許すな!憲法審査会

「とめよう戦争への道!百万人署名運動」ブログを改めて、改憲の憲法審査会動向をお伝えしていきます。百万人署名運動は、「改憲・戦争阻止!大行進」運動に合流しました。

カテゴリ: 反核

8月6日、午前7時、スクラムを組んで座り込み部隊を防衛していた仲間たちにも「座って下さい」と主催者から声がかかり、例年通り朝7時からの原爆ドーム前集会が始まりました。それまで、いつ機動隊が突入してくるのかと身構えての緊張した時間を刻んでいたので、その瞬間、「やったー!」という勝利感が沸きあがってきました。

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(8.6ヒロシマ大行動実行委速報より)

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前夜9時過ぎから原爆ドーム前に続々と人々が集まり、翌朝のドーム前反戦反核集会実現のため夜を徹しての座り込みが始まりました。

(広島テレビニュースより)
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若い人々を中心に深夜の座り込みが貫徹され、まだ暗い4時30分からはさらに人々が集まりました。
「機動隊のバスが15台以上到着」の報に緊張感が高まりましたが、原爆ドーム前を守り抜くぞ!と参加者が次々と抗議のアピールに立ちました。
あたりが明るくなると、広島市の職員が機動隊に守られながら、か弱い声で「警告」を繰り返しました。それに対し元広島市職員のAさんがマイクをとって「〇〇くん、そんな恥ずべき行為はやめたまえ」と弾劾しました。その次に県警が「警告」を繰り返しました。
最後に県警は発言中の団体代表を名指しして「扇動するのはやめなさい」「威力業務妨害だ」と言ってきました。私はあまりの見当違いの言葉にびっくりしました。被ばく者の無念、悲しみ、苦しみ、怒りの声を踏みにじる国や広島市の戦争政治に対して抗議することがなぜ「威力業務妨害」という犯罪になるのか!?

(8.6ヒロシマ大行動実行委速報より)
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7時からの原爆ドーム前集会では、中へ入れなかった仲間たちと一体で反戦反核集会がもたれ、被爆者や被ばく2世・3世たちからのアピールが続きました。

(公園入口の検問体制)
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8時15分黙とうのあと、直ちに岸田弾劾のデモに出発。
川向こうの式典会場に向けて「核戦争反対!戦争進める岸田は帰れ!」と弾劾コールを上げました。

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この間、日本会議系の広島市議らと一体となって8.6反戦反核ヒロシマ集会&デモつぶしに躍起になっている右翼団体が今年もデモの妨害に出てきました。
彼らは「不道徳」「非常識」というプラカードを掲げていましたが、彼らの道徳観や常識感の根拠をこそ問題にしたいです。
公園からデモに出ていくとき、公園の外で「本当にやったね、よくやった!」とうれしそうにデモ隊に声をかけていた被爆者の方がデモに合流し、青いプラカードを掲げる人々に「恥を知れ!」と怒りを露わにしていました。

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まさに、いま日本の岸田政権が米国と共に核戦争も辞さぬ戦争体制に突き進む中、それを良しとする「ヒロシマ」はありえません。被爆者の怒りと共に反戦反核デモをやり抜きました。(S)

(2024年8.6ヒロシマアピール)

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今年の8.6ヒロシマ大行動に向けて、朝の原爆ドーム前集会の実質禁止攻撃に対して、激しい怒りが爆発しています。現地の闘いを共有して、8.6原爆ドーム前の反戦反核集会を共にかちとりましょう!
広島からの訴えです。
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「平和公園・原爆ドーム前の集会禁止」を撤回しろ!広島市を徹底追及!      
5月7日に「8月6日の午前5時~9時までの平和公園への入場規制」を発表した広島市に対して、8.6ヒロシマ大行動実行委は「撤回!」を求める申し入れを重ね(6/13、6/28、7/11)、抗議デモも行っています。

(6.28市役所包囲デモ)
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3回目の7月11日は、広島市の市民活動推進課と緑政課の各課長ら7名が出席(写真下)。私たちは、予め提出していた公開質問状(①原爆ドーム前を含む平和公園の立入り規制、②イスラエルの招待、③岸田首相の式典出席、④教育勅語使用の松井市長の平和宣言)に対する広島市の許しがたい回答(「命令に応じていただけない場合は、広島県警察と連携して対応する」など)を徹底的に追及しました。広島市は、予定していた1時間を遥かにオーバーしても、私たちの迫力に圧倒されて打ち切ることもできず、協議は2時間10分にも及びました。
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市は、立ち入り規制に「法的根拠はない、お願い」だと言いながら、要請に応じなければ警察と連携して退去させると言います。根拠は公園条例5条だと説明しましたが、これに集会禁止の要項はありません。なので、「ゼッケンや拡声器などを持ち込んではいけない」と得手勝手な立入要件を作ったのです。若い市職員の「広島市は集会禁止などしていない」に、怒りが爆発!一瞬で粉砕しました。改憲・核武装を主張する日本会議など右翼と一体となった8・6ヒロシマつぶしを絶対許せません。

パレスチナ人民虐殺を続けるイスラエルの式典への招待には、連日多くの抗議が寄せられています。また、日米で中国侵略戦争・核戦争を進める岸田首相に式典に出席する資格はありません。今や、G7戦争国家の側へのスタンスを鮮明にした松井市長が執り行う「平和式典」とは一体何か!日本ジャーナリスト会議は、機関紙で「根本から問われる広島平和記念式典」と書き、警鐘を乱打しています。

8月6日、ヒロシマの名で「戦争推進の式典」を「静かに」行わせることはできません。6日、朝7時、原爆ドーム前に結集してともに闘いましょう!(8・6ヒロシマ 大行動 I)

(8.6行動案内ビラ)

8・6ビラ
8・6ヒビラ裏

2月16日(第3金曜日)午後6時30分、官邸前で多摩川太鼓が打ち鳴らされ、原発いらない金曜行動が開始されました。
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能登半島地震から1か月半も経つのに、被害者の生活は破壊されたままです。この上もし、志賀原発が再稼働されていたらどうなっていたか。参加者は口々にその危険性を訴えました。

たんぽぽ舎の柳田真さんは「能登半島でマグネチュード7.6という大きな地震がおきた。同じことが東京に一番近い東海第二原発近くで起きていたらどうなるか。配管が全部切れて、数時間後には東京に放射能が来る。東海第二原発は出力110万キロワット、福島原発と同じ沸騰水型で福島の2.5倍の巨大な原発だ。茨城県にも"地震の巣"がある。東海第二は今年の9月に再稼働されようとしいる。何としても東海第二の再稼働を止めたい。地震は止められないけど、原発は止められる。」と訴えました。
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「福島県原発被害」東京訴訟原告団長の鴨下祐也さんも参加されてアピール。鴨下さんはまず「皆さんの力で本人尋問を乗り切り、傍聴席があふれた力で裁判打ち切りを先延ばしにした」と、1月31日に行われた避難住宅追い出し訴訟「本人尋問」裁判傍聴へのお礼を述べられました。この裁判は2022年2月に、東京都が鴨下さんだけに避難住宅の明け渡しと損害賠償を求めて起こしたもので、見せしめ的で許せない裁判です。
鴨下さんはさらに、福島原発被害東京訴訟裁判の昨年末12月26日の東京高裁の不当判決への憤りを語られた。「高裁は、地裁で認めた国の責任を否定した。原発政策が国に責任がないとは考えられない。やれることがあったのに国はやってこなかったのだ。最高裁で国に責任ありと認めさせたい。全国の訴訟と連携して、原発を止めたい」と。
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福島原発事故は終わっていません。何が「復興」だ!と怒り、くやしさがわきます。国は「安全だ」と言って原発を強制し、「想定外」と言って責任をとらず、福島県は安全を求めて県外に避難した人たちを「期限が来たから」と追い出し、東京都は生きていく場を奪いながら賠償金を求めて避難者を訴えるとは!!!
鴨下さんらと共に、こんな理不尽なことをする岸田・自民党政権、小池・東京都を弾劾し抜いて、国・東電に福島原発事故の責任を必ずとらせましょう。(S)


テントひろばの座り込みに参加している仲間からの報告です。

* * * * * * *
能登半島地震と日航機炎上・海上保安庁機炎上死亡事故で今年が明けた。イスラエルによるガザへのジェノサイドは続き停戦どころか攻撃はより強まる中での新年だった。年末年始もなく経産省前の抗議行動は続けられて、1月5日、金曜行動を強化して「新春抗議行動」になった。集った人は約60人。
交流

第一部 経産省前テントひろばの抗議行動(15時~16時)
毎年、南京玉すだれが披露されるのだが、今年は演者がインフルエンザのため中止になり、代わって、織田和也さんのオープニング音楽から始まった。抗議のシュプレヒコールのあと、下山さんが発言しパレスチナ問題について話した。「許してはいけない、何とか止めたい!」と。

続いて三上さん。テントひろばの存在と8月から始まった原発汚染会の海洋放出阻止の闘いの意義について話す。とりわけ、福島県浪江町請戸川河口の海岸にテントを建てて、吉澤さんを中心にして現地での抗議行動を開始した意義を話した。
三上開会あいさつ
そのあと、しゃべりたい人がいろいろな問題について話す。

石川県・志賀町の「北陸電力志賀原発に反対する命のネットワーク」の藤岡彰弘さんからのメッセージが紹介された。志賀原発の被害が過少に打ち出されていることを糾弾。これから日がたつにつれ、もっと被害が大きくなるに違いない。

第二部 請戸川河口テントひろばの闘いの報告(16時~17時)

吉澤正巳さん(浪江町希望の牧場)が参加して発言された。吉澤さんは、8月以来の「請戸川河口テントひろば」の闘いについて次のように発言された。

「汚染水を流す前の5月に福島第1原発から6㎞のとこでとったクロソイから、国の食品安全基準の180倍の1万8千ベクレルの放射性セシウムを検出した。そういう魚が湾内に泳いでいるということ。汚染水が放出されるなら自分たちで魚の線量を調べなければならない。どうしたらいいか。自分たちで魚を釣って、それを放射能検査しようということで、釣り大会を始めた。釣りは難しくてなかなか釣れない。でも、釣った魚の検査は東大の小豆川先生が調べてくれて67種類の放射性物質を調べてくれた。セシウム137、カリウム40が検出されている。水俣を忘れてはならない。50年たっても福島の汚染は続いている。だから、われわれは自分たちで調べる。
5日吉澤吠える
福島県富岡建設事務所に対して、放射能検査のために魚を釣るので浜を使用する許可を求めたところ、富岡事務所は「どうぞご自由に使ってください」と快諾した。ところが後になって使わせないと、警告や指示を何回も言って来たが私たちはがんばっている。経産省前テントひろばのみなさんが請戸に来て一緒に闘ってくれている。正月にも初日の出を拝みながら今年もがんばろうと誓った。

能登の大地震と日航機の炎上が起こった。3.11は終ってない。大津波も原発事故もまた来る。われわれはその覚悟か必要だ。東京も安全ではない。関東大震災から100年で東京も安全ではない。ゴジラの映画は明日はわが身だということを示している。」

吉澤さんは10分間渾身の声で吠えるように発言されたあとシュプレヒコール。
汚染水放出をやめろ!
福島をの海を汚すな!
福島の魚は食べられないぞ!
汚染水はタンクにためろ!
3.11はまたやってくるぞ!
原発の時代を終わりにしよう!

そのあと、請戸川河口テントひろばの行動に参加した人々から発言が続いた。

乱鬼龍さん:「能登半島地震、日航機炎上事故は政治の貧困をあらわしているので、こういう時代、政治を終わりにしていかなければならない。新しい時代に向かわなければならない。請戸では初日の出も見ることができた。1月2日には請戸漁協の出初式に対して、請戸漁港に行って、私たちの意思表示をしてきた。みんなの知恵と力を合わせて確実に前に進みたいと思う。」

佐藤さん:「請戸に行って来た。3回目だ。今回の大きな"収穫"としては、茨城県の大津漁協でコウナゴから高濃度の放射性物質が検出され(2011.4)コウナゴは出荷停止になった。漁協は放射性物質の測定結果文書を改ざんしたことに内部告発して解雇処分になった永山さんが請戸に来られたことだ。いま裁判中でその「事件」で動いた金についても資料などを持ってきて教えてくれた。もうすぐ判決も出る。そういう人とつながることができた。絆を深めて、浪江・請戸でがんばろう。」

石上さん:「安全な魚を食べたいというのは真実。だから調べる。請戸浜を使用させないという問題はこれから長い闘いになる。僕らは原告になるのか被告になるのかわからないけど、たとえ裁判になろうとも闘っていく。正月は天候は不安定だったが、雲の上から日の出を見た。能登半島地震は家に帰ってきて知った。大変なことだ。なんかの啓示だと思うのでしっかりやっていきたい。柏崎刈羽原発はカナダで一番大きなオンタリオ州・ブルース原子力発電所(建設のための準備に入った)を上回る規模だ。これを動かしてはならない。稼働取り消しを求めていこう。」

杉山さん:「1月2日に3人の新しい人が参加された。懸案事項は、県の富岡事務所が今日5日に浜のテントなどを撤去せよと言って来たこと。私たちは1日の夜にみんなで対策会議をして、文書で反論を提出することを決めた。それで、先ほど、県の富岡事務所と事務員の杉山として、回答の文書はいま検討中なので、1~2週間ずらしてくださいと伝えた。了解してもらった。裁判も含めて具体的な闘いを組んでいこうとなった。それで、請戸川河口テントひろばの第3回目の行動として、3.11を前にして、2月25日(日)13時から、双葉町産業交流センター(伝承館隣)で学習集会を持つことを決めた。講師などはまだ交渉中。請戸川河口テントひろばは独自の宣伝カーを使えるようにしたので、浪江の町の中でも宣伝もしていきたい。請戸に来て下さい。ボーン請戸川(民宿)は1泊300円です。」

ともすれば、汚染水の海洋放出に対してどのように闘ったらいいかと方向性を見失いそうになる。が、ところがどっこい、むしろ闘いが明確になって、みんな元気になっている。
いつもの守屋さんの歌とシュプレヒコールをもって、17時に集会を終えた。
新年最初の充実した抗議集会ができた。(テントひろば T)


●『民の声新聞』(http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-764.html)に、1月2日 請戸漁港での出初式に、吉澤さんら登場して共闘を呼びかけた記事が載っています。

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2011年9/11に「経産省前テントひろば」運動が始まって丸12年。13年目に入る前の8/24に岸田政権と東電は「事故原発の放射能汚染水」の海への放出を開始した。直後の9.11テント前大集会は日韓連帯の怒りの集会になりました。
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この日の行動は、午後2時にJR新橋駅前SL広場で、「放射能汚染水海洋投棄を中止せよ」と韓国・ソウルから86日間・1600kmを歩いて来られた李元栄(イ・ウォニョン)さん(前水原大学教授)ら「韓日市民徒歩行進」の皆さんたちとの合流から始まりました。ここに9/6に福島を出発してキャラバンをしてきた黒田節子さん(福島の女たち)や吉澤正巳さん(浪江・希望の牧場)も合流し、一団となって東電→経産省→衆議院議員会館へと歩道を行進しました。
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(写真はレイバーネットより)
東電前では「テントひろば」の木村さんが汚染水放出弾劾の抗議文を読み上げて東電に手渡しました。
議員会館では、陳情書などを手渡す要請をしておいた細田衆議院議長が入院となり、衆議院事務局・請願課の役人に手渡すことになったのですが、議員会館内では写真をとってはいけないそうで、大椿ゆうこ社民党参議院議員の部屋で代表7名が同席して陳情書と書簡集(道中記録)を手渡すことになりました。

経産省前テントひろばでは、韓日市民徒歩行進団の到着が遅れている中、午後3時から大集会が開始。テントからの挨拶を三上治さんがして、日本音楽協議会(日音協)の歌で元気よく始まりました。議員会館から早めに戻ってきた黒田節子さんも発言。黒田さんは放射能汚染水放出を糾弾してから「4日間だったがキャラバンをして、各地でフクシマと闘う人たちと合流できた。どこにも闘う人たちがいることがわかった。私たちはがんばる」ということを力強く話しました。

続いて、吉澤正巳さんが発言。福島・浪江・請戸現地での「魚を釣って自分たちで線量を調べよう」という行動、テントひろばと共闘して請戸浜で「テント活動」をすること、漁民たちと一緒に闘う努力をしていくことを報告してから、「こうして再び福島の切り捨てが始まるんだ。僕たちは請戸の磯から長期にわたる闘いを考えて闘って行こう」と、ほとばしる怒りと連帯を求める発言でした。
続いて、黒田さんと李先生に連帯して関西から参加された朴保さん(シンガーソングライター)の歌。聞く人の心を打ちました。
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その後、国会から戻られた人々が発言。京都在住で88歳になられる水戸喜世子さんは「李先生の行動に感動した。私たちがやらなければならないことをやってくださっている。李さんは闘いの原点、一人でも闘うことを教えてくれた。岸田が『科学的』を云々するがそれは『政治的』ということをさしている。岸田と闘って行こう」と言われた。李元栄さんの応援団で通訳もされた鍬野保雄さんも発言。落合さんの歯切れのいいメッセージに続いて、いよいよ李元栄さんのアピールです。
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李さんは、「原発汚染水海洋投棄を止めるためにここまで来た。原子力発電は電気と大量のプルトニウムを排出する核生産所である。核廃棄物を管理・処理する方法はない。どうしてそういうものをつくるのか。ドイツは原発をやめた。ドイツの科学者と日本の科学者の水準は同じだと思う。汚染水がいかに危険かということについて普通の知識人ならすぐにわかると思うが、日本の知識人はそれを無視していることを日本で行動してよくわかった。日本社会にとってこの問題は大きいと思う」と。そして、「国会には、陳述書や韓国人、日本人から寄せられた3000人のメッセージをUSBメモリーで提出した。この行進の目的の一つは日本の国会へ提出することだったので、その目的は達成できた。日本で脱原発の活動をする人に支えられてここまで来た。みんな一緒に闘えば汚染水放出を止められる」と言われて発言を終えられた。

集会第二部の「テントひろばはかくたたかえり」では、河合弘之弁護士、鎌田慧さん、福島みずほさん、木原壯林さん(若狭の原発を考える会)、山崎久隆さん(たんぽぽ舎)と発言が続きました。それぞれに原発汚染水放出を弾劾し、とめるために闘い続けようと訴えました。
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その後、日々のテントを支える毎日の座り込み当番からの1分間スピーチなどがあり、エンディングの「座り込めここへ」を合唱して大集会を終了しました。

更に7時から近くの日比谷図書文化館で、李元栄先生のお話「徒歩行進を終えて」があり、12周年のテント行動は、長い闘いの1日となりました。 (百万賛同人 N)

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