2004年8月13日、沖縄国際大学敷地に米軍ヘリが墜落炎上した。それから20年となる8月10日に、米軍普天間基地のある宜野湾市で県民集会が行われました。それに参加した沖縄の仲間からの報告です。
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8・10に「ユニオンですからドーム宜野湾」にて、「辺野古新基地をつくらせないオール沖縄会議」、「第3次普天間基地から爆音をなくす訴訟団」「第4次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団」の共催の県民集会が開催されました。「欠陥機オスプレイの飛行停止と普天間飛行場の閉鎖・返還」を求め「米兵の少女暴行事件と政府による事件隠ぺい」を糾弾する!がメインスローガンでした。

この日、大行進沖縄もビラまき街宣を行いました。暑い中、屋内会場に向かう途中には長蛇の列ができて、人が溢れかえっていました。ビラはけもすごく良くて、700枚用意したビラもあっという間になくなりました。もっと用意すべきだった!と思いました。「8・6ヒロシマ闘争やりぬきました」とビラを渡すと、多くの参加者から「すごい」「お疲れ様!」と声が上がりました。沖縄の人々もヒロシマの闘いに心寄せていることがよくわかりました。
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8・10に「ユニオンですからドーム宜野湾」にて、「辺野古新基地をつくらせないオール沖縄会議」、「第3次普天間基地から爆音をなくす訴訟団」「第4次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団」の共催の県民集会が開催されました。「欠陥機オスプレイの飛行停止と普天間飛行場の閉鎖・返還」を求め「米兵の少女暴行事件と政府による事件隠ぺい」を糾弾する!がメインスローガンでした。

この日、大行進沖縄もビラまき街宣を行いました。暑い中、屋内会場に向かう途中には長蛇の列ができて、人が溢れかえっていました。ビラはけもすごく良くて、700枚用意したビラもあっという間になくなりました。もっと用意すべきだった!と思いました。「8・6ヒロシマ闘争やりぬきました」とビラを渡すと、多くの参加者から「すごい」「お疲れ様!」と声が上がりました。沖縄の人々もヒロシマの闘いに心寄せていることがよくわかりました。

県民集会も猛暑の中、主催者発表で2500人が結集して、少女暴行事件を絶対に許さず、全基地撤去まで闘うという怒りに溢れていました。各種住民団体や議員、玉城デニー知事の発言も、大枠で怒りに満ちたものでしたし、参加者もその点で大いに盛り上がりました。ただ、日米の「拡大抑止」の問題、レゾリュート・ドラゴンなどの軍事演習などが語られることはありませんでした。離島の自衛隊問題や勝連のミサイル基地のことすら言及する人はいませんでした。これはとても残念なことです。

私たち大行進沖縄は、8・6ヒロシマ闘争の集会禁止・入場規制を文字通り、体を張って阻止し、歴史的な闘いを爆発させた地平から、もっと反戦反核・反基地闘争をとことん訴え、登場し、闘いぬく必要性を実感しました。
中国侵略戦争・核戦争と対決し、琉球弧の軍事要塞化を阻止すること、全基地撤去を実現することの中にしか、米兵による止むことない女性暴行事件を無くしていく道はありません。
大行進沖縄は、これからも全国・全世界の仲間と団結・連帯し、闘っていきます。ともに闘いましょう。(改憲・戦争阻止!大行進沖縄 S)