2011年9/11に「経産省前テントひろば」運動が始まって丸12年。13年目に入る前の8/24に岸田政権と東電は「事故原発の放射能汚染水」の海への放出を開始した。直後の9.11テント前大集会は日韓連帯の怒りの集会になりました。
09113

この日の行動は、午後2時にJR新橋駅前SL広場で、「放射能汚染水海洋投棄を中止せよ」と韓国・ソウルから86日間・1600kmを歩いて来られた李元栄(イ・ウォニョン)さん(前水原大学教授)ら「韓日市民徒歩行進」の皆さんたちとの合流から始まりました。ここに9/6に福島を出発してキャラバンをしてきた黒田節子さん(福島の女たち)や吉澤正巳さん(浪江・希望の牧場)も合流し、一団となって東電→経産省→衆議院議員会館へと歩道を行進しました。
09115
(写真はレイバーネットより)
東電前では「テントひろば」の木村さんが汚染水放出弾劾の抗議文を読み上げて東電に手渡しました。
議員会館では、陳情書などを手渡す要請をしておいた細田衆議院議長が入院となり、衆議院事務局・請願課の役人に手渡すことになったのですが、議員会館内では写真をとってはいけないそうで、大椿ゆうこ社民党参議院議員の部屋で代表7名が同席して陳情書と書簡集(道中記録)を手渡すことになりました。

経産省前テントひろばでは、韓日市民徒歩行進団の到着が遅れている中、午後3時から大集会が開始。テントからの挨拶を三上治さんがして、日本音楽協議会(日音協)の歌で元気よく始まりました。議員会館から早めに戻ってきた黒田節子さんも発言。黒田さんは放射能汚染水放出を糾弾してから「4日間だったがキャラバンをして、各地でフクシマと闘う人たちと合流できた。どこにも闘う人たちがいることがわかった。私たちはがんばる」ということを力強く話しました。

続いて、吉澤正巳さんが発言。福島・浪江・請戸現地での「魚を釣って自分たちで線量を調べよう」という行動、テントひろばと共闘して請戸浜で「テント活動」をすること、漁民たちと一緒に闘う努力をしていくことを報告してから、「こうして再び福島の切り捨てが始まるんだ。僕たちは請戸の磯から長期にわたる闘いを考えて闘って行こう」と、ほとばしる怒りと連帯を求める発言でした。
続いて、黒田さんと李先生に連帯して関西から参加された朴保さん(シンガーソングライター)の歌。聞く人の心を打ちました。
09112

その後、国会から戻られた人々が発言。京都在住で88歳になられる水戸喜世子さんは「李先生の行動に感動した。私たちがやらなければならないことをやってくださっている。李さんは闘いの原点、一人でも闘うことを教えてくれた。岸田が『科学的』を云々するがそれは『政治的』ということをさしている。岸田と闘って行こう」と言われた。李元栄さんの応援団で通訳もされた鍬野保雄さんも発言。落合さんの歯切れのいいメッセージに続いて、いよいよ李元栄さんのアピールです。
09111
李さんは、「原発汚染水海洋投棄を止めるためにここまで来た。原子力発電は電気と大量のプルトニウムを排出する核生産所である。核廃棄物を管理・処理する方法はない。どうしてそういうものをつくるのか。ドイツは原発をやめた。ドイツの科学者と日本の科学者の水準は同じだと思う。汚染水がいかに危険かということについて普通の知識人ならすぐにわかると思うが、日本の知識人はそれを無視していることを日本で行動してよくわかった。日本社会にとってこの問題は大きいと思う」と。そして、「国会には、陳述書や韓国人、日本人から寄せられた3000人のメッセージをUSBメモリーで提出した。この行進の目的の一つは日本の国会へ提出することだったので、その目的は達成できた。日本で脱原発の活動をする人に支えられてここまで来た。みんな一緒に闘えば汚染水放出を止められる」と言われて発言を終えられた。

集会第二部の「テントひろばはかくたたかえり」では、河合弘之弁護士、鎌田慧さん、福島みずほさん、木原壯林さん(若狭の原発を考える会)、山崎久隆さん(たんぽぽ舎)と発言が続きました。それぞれに原発汚染水放出を弾劾し、とめるために闘い続けようと訴えました。
09114
その後、日々のテントを支える毎日の座り込み当番からの1分間スピーチなどがあり、エンディングの「座り込めここへ」を合唱して大集会を終了しました。

更に7時から近くの日比谷図書文化館で、李元栄先生のお話「徒歩行進を終えて」があり、12周年のテント行動は、長い闘いの1日となりました。 (百万賛同人 N)