11月12日、午後2時30分~参議院議員会館内で天皇の即位儀式や大嘗祭に抗議する緊急の記者会見が行なわれました。主催は日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会で、委員長の星出卓也さん(政教分離の会事務局長)、カトリック正義と平和協議会の神父の太田勝さん、NCC総幹事の金性済(キム・ソンジェ)さん、日本福音同盟(JEA)社会委員の小岩井信さんが意見表明されました。

まず、星出さんから、午後1時30分~内閣府へ署名提出を行ってきたことの報告がありました。その署名は、「即位儀式・大嘗祭を国事行為・公的行為として行わないでください」という署名で、キリスト教会の中で今年約半年かけて6200筆を集め、天皇の即位儀式~大嘗祭が国を挙げて行なわれていく現状に対して、「問題あり!」と内閣総理大臣・安倍晋三に提出されました。
署名の趣旨文を紹介します。
私たちは2019年秋に行われる「即位礼正殿の儀」「大嘗祭」等、明確な神道行事に対し国が関わり、公金を支給することに反対します。
日本国憲法は、主権が「国民」にあることを明記しています。さらに、憲法20条では「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という政教分離原則、および同89条にて宗教上の組織に対する公金支出の禁止を求めています。また同99条で、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定されています。私たちは、天皇の「大嘗祭」を含む天皇即位諸儀式を国事行為又は公的行為として行なうことは、「国民主権」「政教分離原則」、更には「憲法尊重擁護義務」に違反するものと考えます。
一連の「天皇代替わり」儀式は、それが神道儀式であるばかりでなく、天照大神の神勅に由来し、天皇の神的な地位を表明する儀式です。特に「大嘗祭」の神道儀式を経て即位した天皇が神格化するとされ、宗教的な行為を多分に含んでいることは政府も認めているところです。
また、「即位礼正殿の儀」は、天皇が高い位置から即位を宣言し、「国民」を代表する首相らが下からそれに応える儀式で、「君主と臣下」の関係を表し、「国民主権」の原則に反します。
以上の理由により、私たちは、「大嘗祭」を含むすべての天皇即位諸儀式に国が関与して行わないこと、また公金の支出を行わないことを政府に強く求めます。
さらに、星出さんは「大嘗祭だけでなく、どの儀式を見ても天皇の現人神としてのアイデンティティを表すものばかりです。2012年に出された自民党憲法改正草案で政教分離原則について<社会的儀礼又は習俗的行事の範囲を超えないものについては、この限りではない>とされてます。まさに、解釈改憲が既成事実化によって定着している。それに対して私たちは抗議し反対していく。その抗う姿勢を表明するものとして今回の記者会見を開きました」と述べました。
3人の方のお話は共に真剣な訴えでした。
金性済さんのお話から印象に残ったいくつかを紹介します。

一つは、象徴天皇制という形で明治憲法下での天皇の「象徴権威」というものが現代に温存されてきたという指摘です。
「明治憲法の下では天皇のもとに3つの権力が統合されていた。1つ目は政治権力、2つ目は軍事力(軍隊の統帥権)、3つ目は象徴権威(明治憲法第3条「天皇は神聖にして犯すべからず」)。そして、30年前の大嘗祭、今回の大嘗祭は、仮に政治権力や軍事権力は認められていなくても象徴権力・権威がそのまま現代に温存されていて、それは現憲法の国民主権の理念と全く逆行している、むしろその上に立とうとする事態に至っていることの重大性に私たちは気づかなければいけない」
「現憲法第1条で、天皇は日本国民統合の象徴であるというのは、天皇がいる前ですでに主権在民のもとに統合されているはずの国民をただ映しただけの『象徴』であるはずのものが、この象徴天皇によって国民を統合するという。この<国民を統合する>という動詞の主語が象徴天皇となり替わっている。こういうところに象徴権力・権威というものが大きく可視化される、頭をもたげる、そういう時代に入ったことを大変憂えています」
もう一つは、政教分離原則を破壊することへの警鐘です。
「大嘗祭をはじめとする一連の行事が国家行事として行なわれていくことが、超宗教、独特の日本的政教分離、すなわち宗教を超えた宗教とされる。それを表向きは『習俗伝統である』という形で正当化し貫かれていくときに、国家の在り方、政治の在り方がこの宗教によって正当化され、それは政治自身の腐敗を生み出していく。宗教権威による自己の正当化・腐敗の隠ぺいという事態を日本の立憲民主主義にもたらす」
記者会見に参加して、皆さん、キリスト者、宗教者としての立場からの訴えでしたが、かつての戦争に協力させられてしまった痛切な反省に立ったもので、学ぶものが多々ありました。なにより、安倍政権の政治的経済的危機を「天皇代替わり儀式」を国を挙げておこなうことで覆い隠そうとする反動政治に、真正面からNO!を突きつけた勇気ある行動に敬意を表したいと思います。(S)

まず、星出さんから、午後1時30分~内閣府へ署名提出を行ってきたことの報告がありました。その署名は、「即位儀式・大嘗祭を国事行為・公的行為として行わないでください」という署名で、キリスト教会の中で今年約半年かけて6200筆を集め、天皇の即位儀式~大嘗祭が国を挙げて行なわれていく現状に対して、「問題あり!」と内閣総理大臣・安倍晋三に提出されました。
署名の趣旨文を紹介します。
私たちは2019年秋に行われる「即位礼正殿の儀」「大嘗祭」等、明確な神道行事に対し国が関わり、公金を支給することに反対します。
日本国憲法は、主権が「国民」にあることを明記しています。さらに、憲法20条では「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という政教分離原則、および同89条にて宗教上の組織に対する公金支出の禁止を求めています。また同99条で、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定されています。私たちは、天皇の「大嘗祭」を含む天皇即位諸儀式を国事行為又は公的行為として行なうことは、「国民主権」「政教分離原則」、更には「憲法尊重擁護義務」に違反するものと考えます。
一連の「天皇代替わり」儀式は、それが神道儀式であるばかりでなく、天照大神の神勅に由来し、天皇の神的な地位を表明する儀式です。特に「大嘗祭」の神道儀式を経て即位した天皇が神格化するとされ、宗教的な行為を多分に含んでいることは政府も認めているところです。
また、「即位礼正殿の儀」は、天皇が高い位置から即位を宣言し、「国民」を代表する首相らが下からそれに応える儀式で、「君主と臣下」の関係を表し、「国民主権」の原則に反します。
以上の理由により、私たちは、「大嘗祭」を含むすべての天皇即位諸儀式に国が関与して行わないこと、また公金の支出を行わないことを政府に強く求めます。
さらに、星出さんは「大嘗祭だけでなく、どの儀式を見ても天皇の現人神としてのアイデンティティを表すものばかりです。2012年に出された自民党憲法改正草案で政教分離原則について<社会的儀礼又は習俗的行事の範囲を超えないものについては、この限りではない>とされてます。まさに、解釈改憲が既成事実化によって定着している。それに対して私たちは抗議し反対していく。その抗う姿勢を表明するものとして今回の記者会見を開きました」と述べました。
3人の方のお話は共に真剣な訴えでした。
金性済さんのお話から印象に残ったいくつかを紹介します。

一つは、象徴天皇制という形で明治憲法下での天皇の「象徴権威」というものが現代に温存されてきたという指摘です。
「明治憲法の下では天皇のもとに3つの権力が統合されていた。1つ目は政治権力、2つ目は軍事力(軍隊の統帥権)、3つ目は象徴権威(明治憲法第3条「天皇は神聖にして犯すべからず」)。そして、30年前の大嘗祭、今回の大嘗祭は、仮に政治権力や軍事権力は認められていなくても象徴権力・権威がそのまま現代に温存されていて、それは現憲法の国民主権の理念と全く逆行している、むしろその上に立とうとする事態に至っていることの重大性に私たちは気づかなければいけない」
「現憲法第1条で、天皇は日本国民統合の象徴であるというのは、天皇がいる前ですでに主権在民のもとに統合されているはずの国民をただ映しただけの『象徴』であるはずのものが、この象徴天皇によって国民を統合するという。この<国民を統合する>という動詞の主語が象徴天皇となり替わっている。こういうところに象徴権力・権威というものが大きく可視化される、頭をもたげる、そういう時代に入ったことを大変憂えています」
もう一つは、政教分離原則を破壊することへの警鐘です。
「大嘗祭をはじめとする一連の行事が国家行事として行なわれていくことが、超宗教、独特の日本的政教分離、すなわち宗教を超えた宗教とされる。それを表向きは『習俗伝統である』という形で正当化し貫かれていくときに、国家の在り方、政治の在り方がこの宗教によって正当化され、それは政治自身の腐敗を生み出していく。宗教権威による自己の正当化・腐敗の隠ぺいという事態を日本の立憲民主主義にもたらす」
記者会見に参加して、皆さん、キリスト者、宗教者としての立場からの訴えでしたが、かつての戦争に協力させられてしまった痛切な反省に立ったもので、学ぶものが多々ありました。なにより、安倍政権の政治的経済的危機を「天皇代替わり儀式」を国を挙げておこなうことで覆い隠そうとする反動政治に、真正面からNO!を突きつけた勇気ある行動に敬意を表したいと思います。(S)