3月4日(水)13時から、今国会2回目の参議院憲法審査会が開かれました。2週連続の開催です。
この日は「憲法とは何か」をテーマとして、まず参考人が20分ずつ意見を述べ、その後委員との間で質疑が行われました。参考人は、発言順に百地章氏(日大法学部教授)、水島朝穂氏(早大法学学術院教授)の2人でした。
前回に続いてこの日も多くの記者(6~10人ほど)が取材していましたが、審査会の様子を伝えた報道機関はほとんどなく、私がネット上で見つけたのは『産経』の短い記事だけでした。
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参院憲法審査、緊急事態条項で陳述 百地氏「憲法に置くべきだ」 水島氏は現行法の充実を
参院憲法審査会が4日開かれ、百地章日本大教授と水島朝穂早稲田大法学学術院教授が「憲法とは何か」をテーマに意見陳述した。緊急事態条項の新設に関し、百地氏は大規模災害を念頭に「憲法に緊急事態に対する規定を置くべきだ」と訴え、水島氏は「災害対策基本法を充実させることで対応できる」と述べ、否定的な考えを示した。
百地氏は緊急事態条項の必要性について「国家の存立を維持し、憲法秩序を守ることによって、国民の生命、人権も守られる」とも述べた。現行の96条が定める発議要件に関しては「国民が(改正への)主権を行使する機会が奪われ続けている」と述べ、改正すべきだとした。
水島氏は「憲法を改正してはならないという憲法学者は一人もいない」と強調した。同時に「(政権には)高い説明責任が求められ、情報公開と自由な討論、熟慮の期間が必要だ」と述べた。(『産経ニュース』、3月4日)
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百地氏の憲法観
百地氏は昨年4月22日に開催された衆議院の憲法審査会でも参考人として招致されており、改憲派の憲法学者として重用されています。しばしば『産経新聞』に寄稿し、「首相の靖国神社参拝は、『精神的戦後レジーム』から脱却するための力強い第一歩となった。当初、中韓両国から激しい批判があり、米国まで『失望』を表明したため、日本が孤立化するのではと危惧する向きもあった。しかし首相の地球儀を俯瞰する精力的な外交によって誤解は解消され、逆に今では日本を非難し続ける中国や韓国の方が国際社会から厳しい目を向けられているではないか」(『産経新聞』2014年12月18日付『正論』)などという曽野綾子氏も思わずのけぞってしまうのではないか?というような驚くべき認識を披歴しています。
この日の陳述の冒頭の次のような発言に、百地氏の憲法観のよって来る所以がよく表れていると思います。要するに、氏にとってはすべてが国家から始まるということなのでしょう。
「国家がまず存在し、その国家を前提として初めて憲法が考えられる。とすれば、憲法の意味を正しく理解するためには、まず国家とは何かを知らなければならない。ところが、戦後の憲法学者たちの多くは国家についてきちんと論じようとせず、たまに語るときも国家とは権力機構であるとの一言で済ませてしまう傾向があった。つまり、戦後憲法学は国民共同体としての国家についてまともに考えようとしなかったため、憲法としての理解も一面的に終わることが多かった。ここに戦後憲法学の最大の欠陥がある。」
水島氏の「意見骨子」
水島氏は学界のみならず講演、著作、新聞への寄稿、テレビ出演など社会的にも精力的に活動されている憲法学者です。氏のプロフィールや主張については、この日の意見陳述、質疑の中で水島氏自身がしばしば言及されていた『平和憲法のメッセージ』というブログ(http://www.asaho.com/)をご覧いただくといいと思います。
参院憲法審査会のホームページでは、この日の氏の「意見骨子」が次の4点にまとめられています。
・ 立憲主義は人類の英知であり、権力抑制が憲法の第一義的役割であるとの見解
・ 多様な意見の共生が立憲主義の基本という観点から、憲法に歴史・伝統・文化を書き込むことには抑制的であるべきというのが憲法学者の共通の理解であるとの見解
・ 憲法に国民の義務規定を設けることには抑制的であるべきとの見解
・ 憲法改正には、高い説明責任、情報の公開と自由な討論、熟慮の期間が必要との見解
このうち2番目の論点について、水島氏は「前文に『歴史』『伝統』『文化』を盛り込み、義務を強調する例」として自民党の改憲草案と中国、北朝鮮、韓国の憲法を掲げた参考資料を配布しました。氏によると、中華人民共和国憲法には「中国は、世界で歴史の最も古い国家の一つである。中国の各民族人民は、共同で輝かしい文化を創造して・・・」、大韓民国憲法には「悠久なる歴史と伝統に輝く我が大韓国民は・・・」といったことが書かれているけれども、「近代立憲主義の正統的な西欧の憲法にはこういう文章はない」ということです。
97条の意味とは?
この日の水島氏の陳述の中で私がいちばん感銘を受けたのは、憲法97条の意義についての説明でした。それは、自民党の改憲草案では、11条と重複するとして97条を削除しているが、両者は「まったく意味が違う。11条は人権の総論として存在する。97条は『最高法規』の章にあって、98条が憲法を最高法規とする目的は97条の人権の保障にある、だから99条で公務員は憲法を尊重し擁護する義務があるんだという立てつけになっている。このような位置関係からすれば、97条は無意味なものであるどころか、日本国憲法のアイデンティティの本質が『最高法規』の章のトップにある97条にある」のだということです。
注:
日本国憲法第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
日本国憲法第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
委員たちの質疑の水準
この日の審査会では、参考人2氏の意見表明の後、16人の委員が質疑を行いました。そこで取り上げられたテーマは多岐にわたりましたが、悪い意味で印象に残った発言を2つご紹介しましょう。
まず、陸上自衛隊イラク派遣時、「ひげの隊長」として脚光を浴びた佐藤正久氏(自民)の「今の憲法には第3章で国民の権利及び義務が書かれているが、権利が15に対して義務が3か所、自由が6か所で責任はたった1か所と、あまりにもバランスが悪い」という恐るべき低レベルの発言。
これについて考えを聞かせてほしいと求められた百地氏は、「権利と義務についてのバランスといった発想には私も賛成だ」とリップサービスに努めながらも、「立憲主義の立場からすれば、まず権利を保障することが当然だ」「義務については、当たり前のことは憲法に書かないということもあるので、必ずしも条文にこだわる必要はない」と、ここでは憲法学者らしく答えていました。佐藤氏は「今の意見を参考にして、また議論を進めていきたい」と言っていましたが、はたしてどうなることやら。

もう一人は田中茂氏。長く中曽根康弘氏の秘書を務め、2010年の参院選にみんなの党から比例区で立候補、落選するも藤巻幸夫氏の死去に伴い繰り上げ当選となり、昨年3月から参院議員となったという人です。みんなの党が解党したため、現在は「日本を元気にする会・無所属会」という会派に属しているそうです。
さて、氏は中曽根元首相が言ったという「現憲法の出生は切り花だから、きれいに見えるが自分で花を作っていない。内閣法制局や裁判所の解釈や便宜主義で造花みたいに永らえてきたバーチャル憲法だ」という珍妙なたとえ話を紹介したり、「戦後日本は焼け野原から不死鳥のように立ち直り驚異的な復興を成し遂げたが、敗戦のトラウマから国民は国家の名誉も誇りも感じなくなった。国民に自由の気概、国民としての誇りを覚醒させることが子孫に対する私たちの責務だと思う」という筋道のよくわからない見解を披露したりして、私などは毒気に当てられたような気分で聞いていたのですが、これを受けた憲法学者たる百地章氏の発言にはまさにあっけにとられてしまいました。
それは、「今の憲法はあまりにも無国籍で、前文には日本らしさがどこにも存在しない。また、占領政策もあって、日本人の意識から国家意識とか歴史、伝統に対する思いが失われてきている。そういう中であればこそ、私は憲法前文に高らかに日本の国柄とか歴史、伝統をうたうことによって、日本国民にもう一度国家意識あるいは日本人としての誇りを取り戻させる必要がある(と思う)」というもので、先に紹介した水島朝穂氏の見解とは正反対の意見です。
私は以前から改憲派の理想とする国家像、憲法観は、欧米諸国より彼らが嫌悪しているはずの中国や北朝鮮のありようと親和性が高いのではないかと感じることがままあるのですが、実際のところどうなのでしょうか?
この日の審査会の出席者は35~40人程度で推移し(定数は45人)、前回ほどではありませんでしたが出席率はまずまずでした。傍聴者は20人ほどでしたが、予定より審議時間が20分以上延びて散会が15時50分すぎになったため、途中で退席する方もいて最後は15人くらいになっていました。私たち百万人署名運動は2人で傍聴しました。(G)