賛同人の方からのお便りです。
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7月22日(日)東京西荻窪の西荻南地域区民集会所で、すべての原発いますぐとめよう!全国会議(略称:な全=NAZEN)東京の集会が開かれました。
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7月22日(日)東京西荻窪の西荻南地域区民集会所で、すべての原発いますぐとめよう!全国会議(略称:な全=NAZEN)東京の集会が開かれました。
主催者挨拶ののち、映画がありました。①『人間をかえせ』、②肥田舜太郎さんの「内部被ばくの真実」という話でした。そのあと質疑が行われました。
印象的だったことをいくつか紹介します。
①『人間をかえせ』は広島、長崎に原爆が投下された直後に、アメリカの米国戦略爆撃調査団が原爆の威力と効果知るために二つの市で撮影したフィルムがアメリカ国立公文書館に在って、それを10フィートを単位としてカンパを集めて買って、つくった映画でした。
そこに写されている大やけどの人とか、おびただしい散乱した死体の映像とか、何もなくなった市街地は、改めて原爆の恐ろしさ、悲惨さを伝えていました。こういう映画を学校などで見せる(見る)機会がなくなっています。
この映画のナレーションをした大竹しのぶさんは「長女のIMALU(いまる)が中学2年生だった時、この映画が中学校の授業で上映されたのですが、先生が「ここから先は残酷になるから」と言い、カットされました。「知ることが大切なのでは?」と学校に行き、(自分の)気持ちを伝えたことが今も忘れられません。」と言ったことがネットに出てました。
集会では、元小学校の教員だったIさんが、「東京教組は生徒たちを広島に連れていく運動をしてきた。修学旅行ではなく、募集をして春休みなどに連れて行った。その運動がとうとう今年からできなくなってしまった。日教組が協力しないことや教職員組合も弱体化してそういう運動をやる力がなくなったからだ。自分はもう現役教員ではないが、改めてそういう運動を復活しなければならないと思った」と言われました。
②肥田先生は、3.11以後、内部被ばく問題、原発の恐ろしさを訴えられていて、私たちは「なじみ」になっていました。2017年3月に亡くなられましたが、肥田先生は西荻診療所の初代所長だったそうです。(集会場の近所)
1954年3月1日、アメリカのビキニ水爆実験で『第五福竜丸』の久保山愛吉さんが亡くなられたことで、杉並区の主婦が署名をはじめ、それが全国的な運動になりましたが、肥田先生はその先頭に立っておられたそうです。
ビデオを見ての質問で、内部被ばくと甲状腺がん発生の質問が出て、討議になりました。ふくしま共同診療所で検診を続けている杉井先生がいろいろいと医学的なことを答えて下さいました。

肥田先生は昨年亡くなられましたが、『しあわせになるための福島差別論』(かもがわ出版)の中で、執筆者の一人の野口邦和が「肥田さんの内部被ばく論は悪しき経験主義と無知と不勉強」「有害」とまで言っていることは、「しあわせになるための福島差別論」などとわけのわからない表題の本の差別性や非科学性を逆に証明しているように思いました。
③注目すべきことのひとつは、ナゼン品川と東電抗議新橋アクションで7月18日、復興庁に抗議の申し入れをしたということでした。
復興庁は昨年12月に福島原発事故による「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」というものを公表しましたが、要するに「福島はなんの問題もない。安全だから帰還せよ」ということなのです。それで「今現在の福島の子どもたちの状況、甲状腺がんの状況についてどのような態度をとるのか、労働者に帰還を強制する業務命令は出してはいけない」ということを訴えたそうです。東京でもやれることはどんどんやるべきだと思いました。
④注目すべきことの二つは、ナゼン池袋を中心に、練馬清掃工場の見学会に行ったという報告です。同じ地域で働き、生活する清掃工場の見学会を事業所の組合の人に案内してもらって行ったそうです。
ナゼンは以前にも東京のゴミの埋め立て地の見学を行ったそうですが、そこには3.11で出たゴミで8000ベクレル以下のゴミが埋められていて、それは清掃労働者や港湾労働者の被ばくという問題があるとことを知ったそうです。
練馬の清掃労働者たちは福島現地の清掃工場に見学に行き交流したそうです。福島でのゴミ処理は8000ベクレル以下の放射性廃棄物は穴を掘ってそこにフレコンバックを入れて埋め立てているようですし、8000ベクレル以上のものは第一原発そばに一時保管所をつくって保管するということになっていますが、本当のところは福島のゴミ全体が放射性廃棄物なわけで、労働者の命を守るということはすごく大変で、練馬清掃工場の人たちは福島を訪問して衝撃を受けたという話はすごくリアリティがありました。 (賛同人 T)
①『人間をかえせ』は広島、長崎に原爆が投下された直後に、アメリカの米国戦略爆撃調査団が原爆の威力と効果知るために二つの市で撮影したフィルムがアメリカ国立公文書館に在って、それを10フィートを単位としてカンパを集めて買って、つくった映画でした。
そこに写されている大やけどの人とか、おびただしい散乱した死体の映像とか、何もなくなった市街地は、改めて原爆の恐ろしさ、悲惨さを伝えていました。こういう映画を学校などで見せる(見る)機会がなくなっています。
この映画のナレーションをした大竹しのぶさんは「長女のIMALU(いまる)が中学2年生だった時、この映画が中学校の授業で上映されたのですが、先生が「ここから先は残酷になるから」と言い、カットされました。「知ることが大切なのでは?」と学校に行き、(自分の)気持ちを伝えたことが今も忘れられません。」と言ったことがネットに出てました。
集会では、元小学校の教員だったIさんが、「東京教組は生徒たちを広島に連れていく運動をしてきた。修学旅行ではなく、募集をして春休みなどに連れて行った。その運動がとうとう今年からできなくなってしまった。日教組が協力しないことや教職員組合も弱体化してそういう運動をやる力がなくなったからだ。自分はもう現役教員ではないが、改めてそういう運動を復活しなければならないと思った」と言われました。
②肥田先生は、3.11以後、内部被ばく問題、原発の恐ろしさを訴えられていて、私たちは「なじみ」になっていました。2017年3月に亡くなられましたが、肥田先生は西荻診療所の初代所長だったそうです。(集会場の近所)
1954年3月1日、アメリカのビキニ水爆実験で『第五福竜丸』の久保山愛吉さんが亡くなられたことで、杉並区の主婦が署名をはじめ、それが全国的な運動になりましたが、肥田先生はその先頭に立っておられたそうです。
ビデオを見ての質問で、内部被ばくと甲状腺がん発生の質問が出て、討議になりました。ふくしま共同診療所で検診を続けている杉井先生がいろいろいと医学的なことを答えて下さいました。

肥田先生は昨年亡くなられましたが、『しあわせになるための福島差別論』(かもがわ出版)の中で、執筆者の一人の野口邦和が「肥田さんの内部被ばく論は悪しき経験主義と無知と不勉強」「有害」とまで言っていることは、「しあわせになるための福島差別論」などとわけのわからない表題の本の差別性や非科学性を逆に証明しているように思いました。
③注目すべきことのひとつは、ナゼン品川と東電抗議新橋アクションで7月18日、復興庁に抗議の申し入れをしたということでした。
復興庁は昨年12月に福島原発事故による「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」というものを公表しましたが、要するに「福島はなんの問題もない。安全だから帰還せよ」ということなのです。それで「今現在の福島の子どもたちの状況、甲状腺がんの状況についてどのような態度をとるのか、労働者に帰還を強制する業務命令は出してはいけない」ということを訴えたそうです。東京でもやれることはどんどんやるべきだと思いました。
④注目すべきことの二つは、ナゼン池袋を中心に、練馬清掃工場の見学会に行ったという報告です。同じ地域で働き、生活する清掃工場の見学会を事業所の組合の人に案内してもらって行ったそうです。
ナゼンは以前にも東京のゴミの埋め立て地の見学を行ったそうですが、そこには3.11で出たゴミで8000ベクレル以下のゴミが埋められていて、それは清掃労働者や港湾労働者の被ばくという問題があるとことを知ったそうです。
練馬の清掃労働者たちは福島現地の清掃工場に見学に行き交流したそうです。福島でのゴミ処理は8000ベクレル以下の放射性廃棄物は穴を掘ってそこにフレコンバックを入れて埋め立てているようですし、8000ベクレル以上のものは第一原発そばに一時保管所をつくって保管するということになっていますが、本当のところは福島のゴミ全体が放射性廃棄物なわけで、労働者の命を守るということはすごく大変で、練馬清掃工場の人たちは福島を訪問して衝撃を受けたという話はすごくリアリティがありました。 (賛同人 T)