1999年5月、新安保ガイドライン関連法成立が強行されました。そして、さらに盗聴法案、国旗・国家法案、憲法調査会設置法案など戦争体制づくりに向けた反動法の強行が策されていた延長国会のさなかの8・6、広島から「再び戦争をくり返すな!8・6ヒロシマ大行動」が呼びかけられました。
それから毎年行われている8・6ヒロシマ大行動。今年は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマの怒りをひとつに、世界の人々とつながって、全原発廃炉・核廃絶へ!被曝労働拒否の労働運動と国際連帯の力で安倍政権の再稼働阻止しようと呼びかけられました。
68年前の原爆投下中心地で、その刻に思いをはせながら、早朝からの安倍の式典出席弾劾デモ、中電への抗議デモ、核と戦争に反対しようと呼びかける市内デモ、と終日闘い抜きました。
<早朝の安倍弾劾デモ>
8・6早朝の原爆ドーム
朝6時30分にはもう続々と人々が平和公園に集まってきていました。
入口に在特会が10人ほどいましたが、原爆ドーム前にはそれを圧倒する人々が集まっていました。7時から原爆ドーム前ヒロシマ・アピール集会が開かれました。
フクシマからは、福島診療所建設委員会の渡辺薫さんがアピール。
沖縄の富田晋さんは、前日キャンプハンセンで起きた米軍ヘリ墜落事故を弾劾、「少しずれたら、私の子どもや妻の頭上だったかもしれない!基地を絶対になくそう」と訴えました。
地元、広島大学の学生もアピール。
通路をつくって、1000人近くの人々が座り込みました。
若いお母さんも署名していました。
すぐ隣では、他の団体がダイ・インをしていました。
8時20分ころ、原爆ドームの横を通って、朝デモに出発です。「安倍首相の式典出席抗議!」
百万人署名運動も新しい横断幕を持って参加しました。
式典会場に向けて抗議のシュプレヒコール。「安倍は帰れ!」
<中電抗議デモ>
デモは、平和公園から市内へ、そして中電へと向かいました。
中国電力前で抗議。
ぐるりと1周するデモで、裏門前。
このとき、なつかしい「希望の牧場」の吉沢さんの訴えの声が少し離れた車の方から聞こえてきました。福島から来られていたのです。
吉沢さんは、デモ後の中電正門前での抗議申し入れの場にも駆けつけてアピール。
身体全身で、フクシマの現実への悲しみ、悔しさ、そして電力資本への激しい怒りを発信する吉沢さん。「僕らは、実力闘争で闘うしかない!」と言い切る姿に、強く心を打たれました。
最後に、みんなでシュプレヒコール。「中電は伊方原発の再稼働をするな!」
この後、代表団が申し入れに中に入りました。
<昼からも集会&デモ>
一休みして、昼12時30分から、原爆ドーム近くの広島県立総合体育館小アリーナで「8・6ヒロシマ大行動大集会」です。
ちょっと驚いたのは、集会の基調提起をこの7月に広島大学で自治会を再建し、その委員長となった百武(ひゃくたけ)拓さん(20歳?)が行ったことでした。
「3・11以降、この社会に疑問を持つ人たちが膨大に生まれ、そして行動に立ち上がってきました。私自身もその一人です。2011年4月に広島大学に入学し、大学が原子力村ムラの住人によって支配されていることを目の当たりにしました。…私は大学に入ってきている資本家=経営協議会と対決する自治会を建設しました。…自治会選挙戦を通じて、学生は直接的な利害や要求ではなくとも、真剣に『この社会を変えよう』と訴えれば獲得できることをしっかりとつかみました。」
3.11世代の登場に、すごいなあと感動しました。
広島の青年からドイツの青年に檄布が送られました。
集会では、放射能から命を守る医療・保養の取り組みの報告、原発再稼働との闘いの報告、広島の教育労働者らのアピール等々が続きました。動労千葉の田中委員長は、腹の底からの怒りでこの腐った政権を打ち倒そう。国鉄闘争でひっくり返してやる。11月労働者集会に向かって闘おう、と訴えました。
百万人署名運動の呼びかけ人でもある島根人類愛善会会長の松浦武生さんもアピール。安倍政権の改憲攻撃を具体的に弾劾し、反原発・反改憲の闘いの重要性を訴えました。
冷房の効いた体育館から太陽がガンガンの外へ。(高齢者には)かなりきついデモですが、横断幕やコールでアピールしながら、広島市内を歩きました。
イスラエルが多数の核兵器を所有していることを暴露したことで18年間の実刑を受け、釈放後も拘禁状態にあるモルデハイ・バヌヌ氏の自由を求めるメッセージボードも。
途中、在特会の妨害もありましたが、毅然とデモをやり抜きました。
デモは平和資料館前まで。
みんな汗びっしょりでしたが、安倍の原発再稼働・改憲攻撃と対決し、8.6-8.9をくり返さない、3.11をくり返さない、戦争をくり返さない、そのために団結をもっともっと広げようと闘い抜いた一日でした。参加された皆さん、お疲れ様でした。(S)
それから毎年行われている8・6ヒロシマ大行動。今年は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマの怒りをひとつに、世界の人々とつながって、全原発廃炉・核廃絶へ!被曝労働拒否の労働運動と国際連帯の力で安倍政権の再稼働阻止しようと呼びかけられました。
68年前の原爆投下中心地で、その刻に思いをはせながら、早朝からの安倍の式典出席弾劾デモ、中電への抗議デモ、核と戦争に反対しようと呼びかける市内デモ、と終日闘い抜きました。
<早朝の安倍弾劾デモ>
8・6早朝の原爆ドーム
朝6時30分にはもう続々と人々が平和公園に集まってきていました。
入口に在特会が10人ほどいましたが、原爆ドーム前にはそれを圧倒する人々が集まっていました。7時から原爆ドーム前ヒロシマ・アピール集会が開かれました。
フクシマからは、福島診療所建設委員会の渡辺薫さんがアピール。
沖縄の富田晋さんは、前日キャンプハンセンで起きた米軍ヘリ墜落事故を弾劾、「少しずれたら、私の子どもや妻の頭上だったかもしれない!基地を絶対になくそう」と訴えました。
地元、広島大学の学生もアピール。
通路をつくって、1000人近くの人々が座り込みました。
若いお母さんも署名していました。
すぐ隣では、他の団体がダイ・インをしていました。
8時20分ころ、原爆ドームの横を通って、朝デモに出発です。「安倍首相の式典出席抗議!」
百万人署名運動も新しい横断幕を持って参加しました。
式典会場に向けて抗議のシュプレヒコール。「安倍は帰れ!」
<中電抗議デモ>
デモは、平和公園から市内へ、そして中電へと向かいました。
中国電力前で抗議。
ぐるりと1周するデモで、裏門前。
このとき、なつかしい「希望の牧場」の吉沢さんの訴えの声が少し離れた車の方から聞こえてきました。福島から来られていたのです。
吉沢さんは、デモ後の中電正門前での抗議申し入れの場にも駆けつけてアピール。
身体全身で、フクシマの現実への悲しみ、悔しさ、そして電力資本への激しい怒りを発信する吉沢さん。「僕らは、実力闘争で闘うしかない!」と言い切る姿に、強く心を打たれました。
最後に、みんなでシュプレヒコール。「中電は伊方原発の再稼働をするな!」
この後、代表団が申し入れに中に入りました。
<昼からも集会&デモ>
一休みして、昼12時30分から、原爆ドーム近くの広島県立総合体育館小アリーナで「8・6ヒロシマ大行動大集会」です。
ちょっと驚いたのは、集会の基調提起をこの7月に広島大学で自治会を再建し、その委員長となった百武(ひゃくたけ)拓さん(20歳?)が行ったことでした。
「3・11以降、この社会に疑問を持つ人たちが膨大に生まれ、そして行動に立ち上がってきました。私自身もその一人です。2011年4月に広島大学に入学し、大学が原子力村ムラの住人によって支配されていることを目の当たりにしました。…私は大学に入ってきている資本家=経営協議会と対決する自治会を建設しました。…自治会選挙戦を通じて、学生は直接的な利害や要求ではなくとも、真剣に『この社会を変えよう』と訴えれば獲得できることをしっかりとつかみました。」
3.11世代の登場に、すごいなあと感動しました。
広島の青年からドイツの青年に檄布が送られました。
集会では、放射能から命を守る医療・保養の取り組みの報告、原発再稼働との闘いの報告、広島の教育労働者らのアピール等々が続きました。動労千葉の田中委員長は、腹の底からの怒りでこの腐った政権を打ち倒そう。国鉄闘争でひっくり返してやる。11月労働者集会に向かって闘おう、と訴えました。
百万人署名運動の呼びかけ人でもある島根人類愛善会会長の松浦武生さんもアピール。安倍政権の改憲攻撃を具体的に弾劾し、反原発・反改憲の闘いの重要性を訴えました。
冷房の効いた体育館から太陽がガンガンの外へ。(高齢者には)かなりきついデモですが、横断幕やコールでアピールしながら、広島市内を歩きました。
イスラエルが多数の核兵器を所有していることを暴露したことで18年間の実刑を受け、釈放後も拘禁状態にあるモルデハイ・バヌヌ氏の自由を求めるメッセージボードも。
途中、在特会の妨害もありましたが、毅然とデモをやり抜きました。
デモは平和資料館前まで。
みんな汗びっしょりでしたが、安倍の原発再稼働・改憲攻撃と対決し、8.6-8.9をくり返さない、3.11をくり返さない、戦争をくり返さない、そのために団結をもっともっと広げようと闘い抜いた一日でした。参加された皆さん、お疲れ様でした。(S)