とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2013年08月

8月25日、福島市市民会館で、百万人署名運動・福島県推進委員会の定例総会と、清水雅彦さん(日本体育大学准教授・憲法学)を講師に記念講演会を行いました。

福島県推進委員会結成当初から代表として福島県における百万人署名運動の幅広い陣形をつくり、運動を牽引して来られた清野和彦さんが、昨年末逝去されました。ちょうど1年前の8月25日に行われた前回の総会では、体調がすぐれないにもかかわらず、総会で主催者挨拶をしてくださいました。今回の総会は清野さんを亡くしたあとの初めての総会でした。

さらに、高線量の放射能汚染水の水漏れなど、2年半を経てもおさまることのない原発事故との攻防の中での総会でした。福島の反戦運動、反原発の運動の新たな出発点にしようと事務局一同、総会に臨みました。

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総会は、会員20人が参加しました。主催者挨拶のあと、国労郡山工場支部の橋本さんからの連帯の挨拶を受けました。橋本さんからは、放射能汚染車両K544の点検作業での被爆労働をめぐる攻防と、原則的たたかいで団結の強化をかち取ったという報告がなされました。

その後、活動報告、会計報告を確認し、①安倍の改憲に反対する新署名運動に取り組んでいく、②3・11反原発福島行動に続き、戦争、改憲に反対し、反原発、裁判員制度廃止、国鉄闘争などに積極的に参加していく、③改憲阻止に向け、学習活動の強化をはかる、④会員拡大と会の強化、の4つの方針を全体で確認しました。

休憩のあと、同じ会場で講演会を行いました。講演会は講演会のみの参加者も加わり約30名の結集となりました。
「改憲―ここが問題 自民党改憲草案と安倍政権の動き」と題する清水さんの講演は、自民党の改憲草案と現憲法の違いを、条文ごとに、ポイントを絞りながらも、ほぼ全文に触れるという密度の濃いものでした。時間も30分オーバーする1時間30分でしたが、すっきりとしたわかりやすい話に、会場全体が引き込まれ、集中する素晴らしい講演会となりました。

また、参院選の結果は、決して安倍政権が磐石であることを示すものではないことなど、安倍政権の動きについても、豊かな内容で展開されました。少なくなった質問の時間にもかかわらず、会場から5人もの質問も出て、清水さんの丁寧な回答に内容も深まりました。

「政治は国会内の力関係だけで決まるものではない、国会外の運動・世論によって左右」(講演レジュメ)されるものだ。という結論に参加者一同力をもらいました。(福島県推進委員会 T)

●翌日、福島民報、福島民友にも報道されました。

      8/26付福島民報
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去る8月5日、沖縄県宜野座村松田の米軍キャンプ・ハンセンで米空軍嘉手納基地所属のHH60ペイブホーク救難ヘリコプター1機が墜落、炎上した。3人は脱出、1人は死亡した。事故からわずか11日目の8月16日、事故原因不明のまま、米軍は見合わせていた同型機の飛行訓練を再開した。

22日、地元宜野座村で抗議の村民大会が開かれ(宜野座ドーム)、1100人が参加した。

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宜野座村の米軍キャンプハンセンは、村面積の50.7%を占めている。「空は米軍機が飛び回り、陸は米軍の演習車両が行き交う」状況だ。1955年から現在までの米軍演習による被害は150件を超えるそうだ。

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村民大会の様子報道している8/23付け琉球新報の記事を添付します。

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村民大会で発言に立った松田区婦人会の島田久美子さんの発言要旨を紹介します。

 「墜落事故の発生を知ったのは、8月5日の夕方だった。松田区で暮らしていた私に、米軍基地への怒りが湧き上がってきた。どうすれば宜野座村で基地被害を感じず、安心して暮らせるのか。
 私は宜野湾市普天間の出身だ。私の学生生活は、ヘリコプターや戦闘機の爆音にさらされ、毎日何度も授業が中断された。基地縮小といいながら機能は強化され、米軍基地は今も存在している。
 今回の事故は、私の中の眠っていた怒りや悲しみに火を付けた。決して諦めず、村内でも県内でも、軍事訓練が止まるまで声を上げ続けていこう。」

私たちも怒りをもって、沖縄の基地撤去を闘いましょう!

















島根県・松江市教育委員会が、漫画『はだしのゲン』(中沢啓治作)を生徒たちが自由に読んだり借りたりできないようにするため、松江市内の小中学校の図書館に閲覧を制限するよう要請を出していたことが暴露されました。私たち山陰連絡会は、断固とした強い抗議を表明します。

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ことの発端は、昨年松江市議会に「『はだしのゲン』は日本軍のありもしない残虐行為を描き、誤った歴史認識を植え付ける。学校図書室から排除すべきだ。」とした陳情が提出されたことに始まります。この陳情を行ったのは、松江市在住の在特会メンバーであることが明らかになっています。この陳情は、市議会で採択されませんでしたが、市教委が過剰反応し、昨年12月事務局が閉架の要請を出しています。

市教委事務局が独断で閲覧制限を要請した経緯が問題となっていますが、ことは「市教委の手続き上の不備」という次元の問題でないことは明白です。反戦の決意をどのように次世代に継承するかという重い課題を放棄したことが問題です。

鳥取県でも仲間が調べに行ったら、県立図書館でも以前寄贈されたものを奥にしまい込んでいることが判明。鳥取市立図書館も閉架でした。いずれも、その場で直ちに開架するよう抗議しました。戦争はこうして始まると実感、怒りと危機感をもって地域で抗議の声を上げていきます。(山陰連絡会 F)

●『はだしのゲン』の中に描かれた「天皇の軍隊」の蛮行、「君が代」を拒否するゲン。

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日本内外の厳しい視線の中、8・15靖国参拝を断念せざるを得なかった安倍首相は、政府主催の8.15戦没者追悼式の式辞から、歴代自民党政権が踏襲してきた、アジア諸国に対する加害責任と反省の言葉を丸ごと削除しました。戦後日本民衆の反戦平和意識を根っこから掘り崩そうとするものであり、アジア侵略の歴史を消し去ろうという暴挙です。しかもそのことを「アジア諸国との未来志向」なのだと詭弁を弄する首相を許してはなりません。

新潟県推進委員会は今年も、恒例となった「8・15反戦リレートーク」を新潟市の旧市街で一番の高層ビル、NEX21前で正午から11名の参加で行いました。毎年キリスト者の団体が行っている「8・15平和集会」の宣伝活動も兼ねた共同行動です。

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リレートークは、「原発再稼動をしゃにむに推進する安倍政権」、「領土問題で排外主義を煽り、憲法を変えて戦争の出来る国づくりに突き進む安倍政権」、「アベノミクスで更なる格差社会を目指す安倍政権」、そしてワイマール憲法を骨抜きにした「ナチスの手法に学べ」という恥知らずな麻生発言、「戦後体制からの脱却はナチスの思想と同じだ」等々。安倍政権を全面的に弾劾する内容でした。

また、当日は、新潟の反原発運動団体が共同で取り組んでいる、新潟県知事宛の「柏崎刈羽原発の再稼働に反対し、廃炉を求める署名」にも取りくみ、1時間で75筆集めました。 
参議院選で山本太郎氏の当選に元気をもらい、反原発、改憲阻止運動の高揚を予感させる暑い一日でした。(新潟県推進委員会 S)

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●当日まいたビラです。

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8月15日、毎年この日は靖国神社を中心に政治が動きます。靖国神社の国家管理・護持を求めた法案が国会に提出された1969年から一貫して靖国法案反対にとり組んでこられた西川重則さんに同行して正午過ぎ、靖国神社に行ってきました。

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靖国神社の前には物々しく警察・機動隊の車が並んでいました。

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重たい鞄を持ってさっそうと歩く西川さん(86歳)
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まず目にしたのは、道のど真ん中に大きなテントを張って、中で集会をやっているものでした。

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それは、「英霊にこたえる会」と「日本会議」主催の「第27回歿者追悼中央国民集会」というものでした。
「英霊顕彰の国民運動の輪を広げよう!」、「今こそ、安倍総理の靖国参拝実現を!」、「天皇陛下のご親拝を!」と叫んでいました。

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さらに前に進むと、もう一つ鳥居があります。

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拝殿に向かう多くの人が並んでいます。

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出る人と入る人で門は身動きがとれないくらいです。
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門の中もさらに行列。

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突き当たりが拝殿です。

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西川さんは拝殿とは逆の方へ。
ここから、国会議員らが本殿に入るので、マスコミのカメラが集中していました。
すでに石原慎太郎前都知事は参拝を済ませたとのこと。
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上記の近くに「遊就館」があります。戦争記念展示館です。
今回は入りませんでしたが、以前に入った印象は、戦争を反省し二度とくり返してはならないというようなものがなく、いかにいさましく戦ったかと侵略戦争を肯定する実物教育の場としてつくられているなというものでした。ちなみに、現在の特別展は「大東亜戦争70年展Ⅱ 昭和17年ミッドウェー作戦~昭和18年」でした。
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靖国神社の外の歩道では、「新しい歴史教科書をつくる会」東京支部や「北朝鮮に拉致された日本人を救出する埼玉の会」などがビラをまいてアピールしていました。ビラの中には田母神俊雄氏が会長をつとめる会の「大東亜聖戦祭」のご案内というのもありました。

ちょうどこの日、靖国神社のすぐ近くの日本武道館で政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われました。安倍首相は式辞で、アジア諸国の人々への加害の反省と不戦の誓いを意識的に削除しました。そして、「天皇のおことば」です。
ここには日本遺族会の人々が多数出席していました。

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西川重則さんが代表を務める「平和遺族会全国連絡会」は午前中、韓国YMCA9階ホールで8・15平和集会「憲法を活かしてアジアの平和を創ろう」を持ちました。100人近い人々が参加しました。

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西川さんが『アジアの視点に立って「憲法改正」・靖国参拝問題を問う』という演題で講演をしました。

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西川さんは講演の中で、1986年7月7日に平和遺族会を結成した意義に触れました。その前年の8月15日に中曽根首相(当時)と閣僚らの戦後初の靖国神社「公式」参拝が強行されたこと、本格的な中国侵略戦争が開始された7月7日(盧溝橋事件)を結成の日にしたことなど。
西川さんたちは、日本遺族会の歴史観、天皇観に疑問を持ち、自分たちの肉親を奪ったあの戦争は、アジアの人々の生活を破壊し命を奪った侵略戦争だった、その戦争の責任は天皇を頂点とする軍国主義の指導者にあった、そして、その精神的な核が国家神道であり、侵略戦争遂行のために靖国神社が果たした役割は大きい、ということをはっきりさせて、日本の政府が再び戦争をしないよう最善の努力をしていこうと平和遺族会全国連絡会をつくったのでした。

戦争を体験している遺族の方たちは異口同音に「もう戦争はいやです」と言っています。けれども、靖国神社は戦後ずっと、その遺族らの悲しみにすり寄る形で、戦死者を英霊にすることで、戦争を遂行した国家や天皇の責任をあいまいにさせる役割を果たしてきたのだと思います。
それだけではなく、西川さんが「有事法制下の靖国神社」と指摘しているように、これからの戦争に備えて過去の戦争を美化し国防思想をつくりだしていく、そういう役割も果たしている、という思いを強くしました。(S)









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