とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2011年05月

 三里塚現地緊急闘争に行ってきました。梅雨入りと台風の影響で大雨でしたが、なんと約150人の労働者・農民、学生・市民が現地に集まりました。
 5月20日、東京高裁・井上裁判長(第15民事部)は、三里塚芝山連合空港反対同盟の事務所である「現地闘争本部」(天神峰)の撤去を命じる反動判決を下しました。同時に、確定判決を待たずに強制撤去の執行を可能とする「仮執行宣言」なる付帯条項もつけました。今回の緊急闘争は、この反動判決に対する反撃の闘いであり、同時に50名の不当逮捕(注)という歴史的暴挙に対する怒りのデモとして闘われました。
 集会の冒頭、反対同盟の北原事務局長は、「反動判決に50名の不当逮捕、こんなふざけた弾圧はあるか。日本は戦争への道に向かっている。きょう、われわれは、正義のために、未来のために闘い抜く」と宣言しました。
 連帯挨拶に立った動労千葉の繁沢さんは、「時を同じくして関西生コン支部へも13名の不当逮捕が起こった。支配者は、労働運動と農民の闘いをなんとかして圧殺しようとしている。われわれは、労農連帯で勝利を切り開こう。6・5国鉄大集会に結集を」と訴えました。

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北原事務局長

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動労千葉の繁沢さん

 沖縄などからのメッセージや発言が続き、市東さんの畑、天神峰現地闘争本部に向かって直ちに怒りのデモに出ました。

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私服刑事が集会を監視

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法大の倉沢さん

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決意を示す同盟のノボリ旗

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滑走路の真横で集会

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市東さんがデモの先頭に

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 デモ終了後、萩原事務局次長が、「まず、未だ勾留されている38名仲間のの奪還に、みんなの力を合わせよう。そして、この不正義を徹底的に弾劾して訴えよう」と強く呼びかけました。(事務局・K)

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デモ終着点の市東さんの畑の横に「闘争本部」が…

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まとめの挨拶を行う萩原事務局次長

 【注】不当判決に対して弁護団が「強制執行停止の申し立て」を裁判長に行う際に、裁判所にかけつけた支援者たちを突然、警察官が「排除」と叫んで暴力的にひきずり、そのうち「逮捕」と叫んで裁判所の外に待機させていた機動隊バスに次々と連行していった。89歳の北原事務局長以下50名の老若男女が「不退去罪」をでっち上げられて逮捕された事件。



 5月23日(月)、文科省の出した校庭利用の暫定目安の年間20ミリシーベルト(校庭での毎時3.8マイクロシーベルト)の撤回を求め、福島から小さいお子さんを持つ親たち70名が上京し、直接高木文科大臣に訴えようと文部科学省へ。支援者も500人以上が駆けつけ文科省を包囲しました。文科省東館前に座り込んでの2時間以上の交渉に、高木文科大臣はじめ副大臣、政務官らが現れることはありませんでした。
 交渉の場で、渡辺科学技術学術政策局次長が「今回の措置はあくまで暫定のもので夏休み後に見直す方針。モニタリングにより、新しい方針をたてる。」と言ったことに対し、福島の親たちは「モニタリングということは、私たちをモルモット扱いにしているのか。いま現在も、子どもたちは被ばくしつづけている。夏休み後までは待てない。」と抗議。「いますぐ20ミリシーベルトを撤回してほしい。1ミリシーベルトを目指すという文科省の方針を、文書で、福島県に通知してほしい。」等と要請しました。

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 目に見えない放射能、福島原発から日々刻々放射能が放出され続けている恐怖、福島のお母さんたちの叫びと連帯して闘いましょう。
 「百万人署名運動・全国通信」5月号で「内部被曝の恐ろしさ」についての記事を掲載しました。関連して下記に紹介しておきます。(S)

『内部被曝の恐ろしさ』
松井英介さん(岐阜環境医学研究所長 医師)にインタビュー

■人類史上最大級の原発事故
 4月12日、経済産業省原子力安全・保安院は福島第一原子力発電所の事故の激しさを国際評価尺度のレベル5からレベル7に変えました。1986年のチェルノブイリ事故(旧ソ連)と同じレベルです。福島原発は現在進行形で「収拾」が見えないわけですから「死の灰」の量は圧倒的に多く、原発の事故としては人類史上最大級です。
 枝野官房長官、原子力安全・保安院、東京電力、テレビに出てくる大学教授たちは放射線が人体にどのように影響をおよぼすかということについては「ただちに健康に影響はない。心配ない」と、それしか言いません。彼らの言っている影響があるという状態は急性障害のことでしょう。身体の外から放射線が当たることを「外部被曝」と言います。それに対して放射線に汚染された空気を吸ったり、汚染されたものを食べたり飲んだりして、身体の内部が被曝することを「内部被曝」と言います。内部被曝は長期間くりかえし影響を受け、ただちにはあらわれません。
 福島原発の場合では、外部被曝、急性障害は現場で困難な作業にあたっている労働者たちにはすでに出ていると思います。たとえば、ずさんな防具で高濃度の水に浸かって被曝した3人の労働者たちには急性障害、皮膚障害は出たと思います。でもその時、同じように働いていた人は3人程度であるはずはなく、何百人もいたわけです。その人たちは下請け、孫請けでしょう。ハローワークで紹介されたり、外国人もいたり、ホームレスの人がいるとも言われています。原発ジプシーと言われている人もいます。不安定な雇用形態の現場労働者たちの急性障害については発表されていませんけれど、内部被曝も受けて大変な状態にあるだろうと思います。過酷な原発労働がそういう非正規雇用といったひどい労働条件にあることも大問題だと思います。

■ゆっくり遺伝子が攻撃される
 内部被曝は長期にゆっくりと出てくる晩発障害です。お母さんが吸い込んだ小さな放射性物質が胎盤を通り越してお腹の赤ちゃんに影響する。あるいは父親、母親の精子、卵子が傷ついて、その子どもが先天障害を受けることです。人間は50センチくらいで3キログラム位の身体で生まれてきますが、その間に脳神経や臓器が形成される。その発達段階の過程で障害を受けると、サリドマイド、ベトナム戦争で枯葉剤に使われたダイオキシン、水俣病の有機水銀で明らかなように、それぞれの発生部位で障害が出てきます。また、知的障害も出てきます。内部被曝についてのそうした認識が大事です。発達段階にある個体・人間は特別に大事にされなければなりません。乳幼児、子どもと妊産婦を避難させることは政府がきちっと決めて優先的に実行すべきなのですがなされてはいません。もちろん、胎児や子どもばかりではなく大人にもがんなどが発症します。
 ヨウ素131は半減期(毒性が半分になる期間)が8日間ですが、喉にある甲状腺に集中し放射線を出し続けます。甲状腺は重要なホルモン臓器です。甲状腺がんは数年から20年という時間軸の中で発症します。白血病は広島・長崎でも10年という比較的早い時期に出てきています。イラク、アフガニスタンでの劣化ウラン弾(ウラン238)の小さな粒を吸い込んだ子どもたちには白血病や重い障害が多発しています。その他にも空気と一緒に入ってきて肺に沈着し、そこからリンパ流にのって全身に運ばれる場合もあります。
 体内に入ってきた放射性物質はアルファ線、ベーター線、ガンマ線を出します。アルファ線というのが一番エネルギーが大きい、ヘリウムの原子核です。ウランやプルトニウムはアルファ線を出して染色体を傷つけ細胞を破壊します。アルファ線は身体の中では38マイクロメータしか飛ばないのですが、その微粒子は1グラムの中に何億とある細胞に密着して四方八方に放射線を出すのです。プルトニウム239の半減期は2万4000年です。ウラン238(半減期は45億年)の粒が身体に入ったとき、5ミクロン(1000分の5ミリ)くらいの粒だと17時間に1回アルファ線を出します。
 ベーター線というのは電子線とも言い、原子核の周りを回っている電子で、粒としては非常に小さいのです。セシウム137はカリウムに似ていて半減期は30年で筋肉に集まり体内にはいると全身に散らばって繰り返しベーター線をだし続けます。ストロンチウム90はカルシウムと非常に似ていて骨に沈着して骨髄に影響を与えます。これが内部被曝です。ゆっくりゆっくり遺伝子が攻撃にさらされる。そこが内部被曝の一番の問題です。

■生態系の連鎖と濃縮
 3月19日に東京の金町浄水場からヨウ素131が検出され、関東一円からも検出され、赤ちゃんや乳幼児に水道水を飲ませないようにと指示が出ました。3月20日以降、福島県産の牛乳から、各県のほうれん草や各種野菜類から、4月15日には茨城県沖のコウナゴからヨウ素131が検出され出荷停止になりました。福島原発2号機付近の海水のヨウ素131は基準の14万倍です。高レベル汚染水の貯蔵のために、捨てた1万トンの低汚染水のヨウ素131は基準の100倍で低レベルではありません。海の水はいっぱいあるので薄まるなんて言うのはとんでもない。コウナゴはプランクトンを取り込んで生き、そのコウナゴを少し大きな魚が食べ、さらに大きな魚が食べ、水鳥が魚を食べる。その水鳥の産む卵は最初の海水の汚染数値の5000倍になるのです。濃縮です。水の汚染でも空気の汚染でも一緒です。生態系の連鎖・濃縮は重要なキーワードです。政府・東電が黙って突然汚染水を捨てたことに対して福島や茨城の漁民、近隣諸国はじめ、世界各国が怒っていますが当然です。

■プルトニウム保有の目的
 原子力発電ではウラン235を燃料棒に使いますが、このウラン235(半減期7億年)はウラン鉱山から掘り出されたときは0.7%しかなく、99.3%はウラン238で燃料には使えないのです。それで0.7%のウラン235を4%に濃縮して燃料にします。濃縮方法は秘密で日本はオーストラリアなどからウラン鉱を買って、それをアメリカで濃縮してもらって使っています。濃縮過程で大量の0.7%以下の劣化ウランが廃棄物として出てきて劣化ウラン弾にされます。他方、広島型原爆のウラン235の純度は100%に近いということです。
 ウラン235は原子炉で運転すると、核分裂でプルトニウム239が生み出されて廃棄物の中にたまっていきます。プルトニウムは自然界には存在しない元素です。廃棄物をイギリスの、現在はフランスの再処理工場に送ってプルトニウムを分離してもらい、それを青森県の六ケ所村に運び込んで、ものすごい量ためているわけです。プルトニウムは核兵器の原料になります。その大量保有は核拡散条約(NPT)に抵触することにもなるので、プルトニウムとウランを混合した燃料(MOX燃料)を原発で使うプルサーマルというシステムを編み出しました。福島原発3号機は昨年、そのMOX燃料を使って動かすことに切り替わりました。
 日本がなぜ原子力発電をして、プルトニウムを保持するのかと言えば、核兵器の原料がほしいからです。他国も同じです。経済発展はいいことだ、新自由主義だ、核の平和利用だなどと宣伝されてきました。原子力と核は同じものなのに使い分けて、だまくらかしてきました。
 もともと「原子力の平和利用」は、核戦略の一環でした。1955年頃アメリカのビキニ環礁の核実験が、第五福竜丸の被曝で全世界に明らかになりました。日本ではまだヒロシマ、ナガサキの被害が鮮明なときでしたので核兵器反対・戦争反対の大運動となって全世界的に広がり、それを抑え込むためにアメリカによって持ち込まれたのです。

■原発のない社会を
 核も原子力も人間の力では制御できません。大変なことが本当に起こったのです。だからレベル6だとかレベル7だとか言う前に、どれだけの放射性物質が大気、水、土、環境中に出たのかということを明らかにしないといけない。なにしろ桁(けた)外れなのですから。そして、原子力を操作するといったテクノロジーのレベルではなく、社会全体のシステム、原爆をつくり、原発をつくり、電気を消費し、原発ジプシー労働者をつくり、そうやって支えさせられてきた新自由主義、資本主義のシステムの根幹の問題点を今回の原発事故は明らかにしました。そのことをみんなうすうす感じている。いま原発問題に取り組んでいかなければならないと思います。原子力発電に多額の税金がつぎこまれているわけです。鉄の五角形という政官財報学による支配構造を変えることです。何よりも自分のあり方について認識し直して、どう立ち向かうのかということが問われていると思います。そうやって大行動に立ち上がるとき、はじめてこの閉塞的状況を変えることができるのではないでしょうか。(4月12日、文責:事務局)

<追加> ICRPの歴史と基準値
 厚労省は、去る3月14日に施行された省令で、今回事故を起こした原発の現場作業に携わる方がたの被曝線量上限を、今までの年間100mSvから250mSvに引き上げました。この根拠とされたのが、ICRP (国際放射線防護委員会)1990年勧告の限度500mSvです。しかも、志願して現場での救命活動にあたる人びとに対しては、被曝線量を「限界なし」とするよう、事故直後に検討していたことを、4月20日付東京新聞が一面トップで報じました。このことは 彼らは当初から今回の事故が極めて深刻なものであることを認識していたこと、それを隠していたことを推測させます。
 文科省は、福島、郡山、伊達三市の幼・保育園、小中学校などで、屋外の放射線測定値が3.8μSv/h以上になる場合、校庭での活動を一日一時間以内に制限するよう通知しました。これはICRPの暫定基準値・年間20mSvまでの目安によるとしています。この暫定基準値そのものにも重大な問題がありますが、子どもにはより厳しい基準値の設定が必要なのに、そうはしていないところが問題です。
 ICRPの基準値そのものを厳しく見直さないといけないのですが、現場作業者や汚染地域の子どもたちの基準値がそのときの状況に合わせて甘く変えられることが問題です。とくに子どもをおとなから区別し、子どもにはより厳しい基準値を決めなければいけません。












 裁判員制度が施行されてから2年目の5月20日の夜、「裁判員制度はいらない!大運動」が、「あくまで廃止へ!」と日比谷野外音楽堂で全国集会を開き、銀座の街をアピールして歩きました。誰が何と言おうと「こんな悪制度は廃止しなければ世のため人のためにならない!」と確信する820名が参加し、全国の活動を報告し合い、元気を充てんしました。 
 長崎からはビラを見て学習会に参加し、高山弁護士のお話しを聞いて「何としても廃止にしたい!」と遠路はるばるかけつけた女性が参加、東海からも地域の集会に初めて参加した女性が登壇しました。福岡からは、裁判員通知が来たが「拒否」のゼッケンをつけて登庁して拒否したという報告。茨城からも「裁判員通知書」を手に街頭で「一緒に拒否しよう!」と呼びかけているという報告がありました。千葉で裁判員「拒否」1号の井上さんは、公然たる拒否者がどんどん増えて「うれしい」と喜びを。埼玉からは弁護士たちが「まっぴらごめん!裁判員」の真っ赤な横断幕を掲げて登壇し心強い限りでした。動労千葉の労働者からも「人の命を奪うかもしれないと悩み、守秘義務でがんじがらめされたら電車の運転中に事故を起こしかねない」と労働組合の立場からも裁判員制度には絶対反対!と訴えがありました。

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 呼びかけ人の高山俊吉さんは「最高裁は3.11大震災直後、被災地でも3月28日から裁判員裁判を再開せよと言った。人の心というものがない。その後、被災地でないところから裁判員を選んで行うと言ったが、どこが被災地でどこが被災地でないかと最高裁が区分するのか!」と最高裁のデタラメさを弾劾し、「多くの裁判員裁判関係者がもうやめた方がいいと言っている。廃止する力を私たちは持っている。心を一つにしてがんばっていこう!」と呼びかけました。
 また、この日の昼間に東京高裁で三里塚闘争裁判での反動判決が出され、これに抗議する反対同盟・支援が50名も不当逮捕されたということが報告されました。裁判所内で抗議申し入れをしていた人々を「不退去罪」で公安警察が逮捕したというのです。こんなデタラメなやり方は聞いたこともありません。国策に反対し続けている三里塚闘争への問答無用の弾圧は、3.11震災情勢下で国家権力が弾圧をエスカレートしていることを示しています。ともに抗議していきましょう。

 集会後元気に銀座デモへ。日比谷公園を出てすぐの東電本社前で、デモ隊は、東電が裁判員制度に協力してきたことを弾劾しました。東電は、模擬裁判を計画した東京地裁に社員名簿を提供するなど率先して協力してきた企業です。また、「裁判員制度も原発もいらない!」とシュプレヒコールで、東電前で「原発とめろ!」と抗議行動をしていた人々ともエールを交換しました。

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 「人を裁くより人を助けよう!」「みんなの拒否で制度をなくそう!」と呼びかけながら常盤橋公園までデモをやり抜きました。(S)

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焼きそばを買うインコさん、このあとどうやって食べたのかな?

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 5月18日、九電本社で「玄海原発2号機、3号機の再稼動をするな!全ての原発を停止し廃止せよ!」と抗議行動と、九電本社との交渉が行なわれました。呼びかけは「九電の原発廃炉を求める会」(5月18日現在で260団体)。私たち福岡県連絡会や合同労組レイバーユニオン福岡も参加し、ともにこの日の行動を闘いました。
 九電本社との13時からの交渉に先立って、4月20日の九電本社への交渉申し入れ以来泊まり込みを続けている「九電本社前ひろば」の深江さんらを中心に様々なアピールが行なわれました。その後、簡単な集会。このころには九電本社前には300人近い人が集まっていました。集会では福岡県内だけではなく、鹿児島、宮崎、熊本、長崎、大分、佐賀と九州全県からの参加者から力のこもった発言が相次ぎました。
 いよいよ13時を前に全員で交渉に参加しようとしましたが、九電は会議室のキャパシティーから参加者は40人に限定すると全員の参加を拒否し、警備員らを動員して入場を阻止する暴挙に。参加者からは怒りの声が沸き起こる。「大きな会議室など九電本社にはいっぱいあるだろうが」「何を怖がってるんだ」「部屋が狭いんだったら、この広いロビーでやったらよか」
 結局、交渉予定時間を40分以上オーバーして、人数制限をある程度受け入れて50人余りが用意された会議室に入り交渉開始。交渉には被災地から放射能を逃れるために避難してきた赤ちゃんを抱いたお母さんたちも参加しました。交渉の模様を入場できなかった200人あまりの参加者にパソコンで実況中継しようとしたところ、これも妨害。しかし、徹底的に九電を追及して実況中継を認めさせました。九電本社前に急遽設置された放映会場で、交渉の様子の一部始終が会場に入れなかった参加者や通行人にも公開されることに。

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 交渉の中で明らかになったことは、九電は地震・津波の脅威についてまったく理解できていないということでした。理解できていないのに「備えは整えている」と平然と強弁しているということです。また、原発を稼働しなければ電力不足におちいるという主張も、「石油などの燃料確保の見通しが立たない」という理由であり、発電能力の問題ではなくまったく根拠がないことも明らかになりました。こんな九電に原発の運転など絶対に許すわけにはいかないことがはっきりしました。
 交渉は2時間あまりで終了し、あらためて本社前で報告集会。交渉参加者が次々に九電に対する怒りを表明。福島第一原発1号炉の建設に従事した当時のGE技術者だった菊地洋一さんの発言は圧巻でした。
「地震を知ったとき、福島第一原発1号炉がどうなっているのか手にとるようにわかりました。無数の配管があるのです。あんな地震に配管の溶接が耐えられるはずがありません。冷却装置が喪失し炉心溶融にいたることは確実だと思いました。…原発は作ってはいけないのです。」

 参加者はなんとしても全ての原発を直ちに停止し、廃炉に追い込まなければならないことを誓い、今後の6・11全世界反原発行動の爆発などに向けて取り組みを強め広げていくことを確認しあいこの日の行動を終えました。(会員・福岡在住)














 昨年の5.15は大雨の中での普天間基地包囲行動でしたが、今年は普天間基地を南北に進む平和行進に参加しました。約2時間半の行進でしたが、「普天間基地を撤去しろ!」「嘉手納統合案反対!」「静かな沖縄を返せ!」と、元気なコールで団結を固めあいました。。

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     左側が普天間基地
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     牛も参加
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 大震災後、政府・企業の「節電、自粛」のかけ声の中で、既成の労働組合指導部もこれまでの闘いを自粛するという動きです。こうした中で、沖縄5.15闘争も例年の3日間の取り組みが1日に短縮され、沖縄平和運動センターも県外への参加要請をやめてしまいました。でも当日、宜野湾市役所前(平和行進出発地)には早朝から県外からも多くの参加者が集まり、平和行進終着地近くの宜野湾海浜公園野外劇場での県民大会は会場を埋め尽くす3300人の参加となりました。

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辺野古の命を守る会のおじぃたちも参加
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 3.11大震災-福島原発大事故とういう私たちが戦後初めて経験する大変な情勢下で、沖縄基地の強化、日米安保の強化が大きく進められています。今年の5.15こそ、この攻撃と対決する重要な闘い、縮小などとんでもない!と、沖縄労組交流センターらが独自に那覇・国際通りデモ(14日)、名護市内デモ(16日)を呼びかけました。私たちはこれらにも参加したので、何と3日間連日のデモとなりました!
 14日の那覇・国際通りデモ。若者を先頭に「基地も原発もいらない!」とエネルギッシュで、沿道と一体となって進んでいきました。
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沿道からもピースサイン!
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 16日は朝からあいにくの雨、名護に近づくほど強くなるという雨模様でした。ところが、名護市役所からデモが出発すると同時に雨がやみ、何と空が明るくなったのです。ラッキー!

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 名護市内デモには感動的な多くの反響がありました。路地の奥から両手を振って出てきたおじぃ、バンザイをするおばぁ、手をたたく女性、デモ隊に入り一緒に歩く人、サンダルばきで家から出てきたおばさんが「ありがとうございます」と。若者もガッツポーズ!辺野古新基地建設に反対して闘ってきた人々の熱い思いに触れました。

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保育園の子どもたちも必死にエールを!
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 14日の夜、国際通りデモのあと、那覇市民会館ホールで「『復帰』39年、5・14沖縄集会」がありました。百万人署名運動沖縄の会・共同代表でもある崎浜秀俊さん(元沖縄県高教組副委員長)や宮城盛光さん(北中城村議)らが呼びかけ、国鉄闘争全国運動・沖縄が共催した集会で350人が参加。被災地の宮城、福島、茨城を含め全国からも多くの労働者・学生・市民が参加しました。
 39年前の5月15日、隣の与儀公園では土砂降りの雨の中、「自衛隊配備反対、軍用地契約拒否、基地撤去、安保破棄、『沖縄処分』抗議・佐藤内閣打倒5・15県民総決起大会」が開かれたそうです。72年の「返還」とはあくまでも沖縄に基地を押しつけ続けるためのペテン的な「返還」でしかなかったからです。土砂降りの中で、沖縄の労働者民衆がどんなにか悔し涙を流し、怒りをたぎらせていたかと思うと、ここに「基地のない沖縄」を目指す不退転の闘いの原点があるんだなぁと感じました。
 被災現地からの報告には厳しい現実を目の当たりにしましたが、そうした中で1人1人が怒りをバネに闘っている姿に身が引き締まる思いでした。動労水戸の労働者は「この社会が見えてきた。こうした次期に労働組合は何をなすべきか。地域を元通りにしろ!職場を元通りにしろ!おまえらのせいではないか、元に戻せ!と闘うべきだ。そのために労働者は団結しよう!」と訴えました。

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 沖縄の基地労働者からも「自分が声をあげてこそ結集軸になることが出来る。現場の信頼をかち得て、絶対に闘いをつくろう!逃げない、腐らない、あきらめない!」と、不屈の決意がありました。集会の基調をおこなった青年労働者も「震災情勢による労働運動破壊と沖縄闘争破壊を絶対に許さない。戦争戦略、新基地建設強行を加速する日米政府に労働者の大反撃を開始しよう!」と熱烈にアピール。とても感動的な集会でした。(事務局 先崎)














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