とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2010年10月

 今から11年前(1999年)の9月30日、午前10時35分、茨城県の東海村にあるJCO(住友金属鉱山の子会社)東海事業所の化学処理施設で核爆発が起きました。日本最悪の原子力事故、大惨事でした。核燃料サイクル開発機構の高速増殖実験炉「常陽」向けの燃料加工の工程中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生。20時間にわたって気体状の放射能と中性子線の放出が続いたのです。至近距離で致死量の放射線を浴び被曝した労働者3人中、2人が手の施しようもなくまもなく死亡。救助に来た消防署員、周辺住民ら667人が被曝しました。臨界事故直後から「9.30臨界被曝事故を許さない、真の原因と責任を究明する」と活動が続けられています。また、毎年9月30日の事故があった時間に、経済産業省前での犠牲者追悼と抗議申し入れが行われています。
 今年も、たんぽぽ舎ら「JCO臨界被曝事故11周年東京圏行動実行委員会」主催で抗議行動が闘われました。夜には、明大リバティタワー9Fで講演集会があり、参加してきました。集会には臨界事故被害者の大泉ご夫妻も参加されお話しがありました。大泉昭一さんは発言の冒頭「JCO臨界被曝事故問題は何も解決されていない。事故を風化させてはならない!」と訴えました。

「中性子線が私の体を突き抜けた」と語る大泉昭一さん
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 JCOの事故現場から道路一つ隔てたすぐ近くに大泉さんの自動車部品製造の工場がありました。事故当日、何が起こったのかも知らないまま働き続けていて、5時間以上も中性子線を浴びせられ続けたのです。大泉昭一さんは事故後、持病の皮膚障害が激しくなり、入退院を繰り返しました。お連れ合いの恵子さんも事故の晩から激しい下痢が続き、口内炎もできました。さらにJCOの建物を見ると体がこわばり仕事をすることもできず、胃潰瘍になり入院、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断を受けました。大泉昭一さんは「臨界事故被害者の会」代表世話人としてJCOに健康被害の責任と補償を求めましたが、JCOは健康に影響はないと居直り責任をとろうとしませんでした。2002年9月3日、大泉ご夫妻は、JCOと親会社の住友金属鉱山を相手に損害賠償裁判を提訴。しかし、水戸地裁、東京高裁、最高裁とも反動判決で、大泉ご夫妻の訴えは退けられました。
 大泉恵子さんは怒りを内に秘めた静かな語り口でしたが、昭一さんは「地を這うような苦しみ」「生活者として生きていけない!」と語り、目に見えない放射能被害を認めようとしない政府への憤りをあらわにしました。そして、民主党政権が「CO2を出さない原発」などと言って原発を推進していることに対し、東海村の臨界事故のことを忘れてしまっているかのようだと危機感を表明、しっかり伝えておかなければならないと訴えました。大泉ご夫妻は裁判敗訴後も「臨界事故を語り継ぐ会」を結成し活動されています。82歳の大泉昭一さんの闘魂に強く打たれました。

講演に立つ槌田敦さん
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 この日は、槌田敦さん(核開発に反対する会代表)から「日本の核兵器原料生産の現状と9.30JCO臨界被曝事件」の講演がありました。槌田さんは、核兵器原料生産の4つの方法を説明し、日本の核武装計画は4つめの「軽水炉・高速炉方式」に集中していると説明。そして、JCO臨界被曝事故はこの過程で起きた大事故であると指摘しました。
 つい最近も、高速増殖炉「もんじゅ」でネジのゆるみによる落下事故が起きました。JCO被曝事故被害者の叫びを聞き、二度とこうした被害を出さないために、政府が推進する核燃サイクルをとめ、原発推進をとめなくてと改めて思いました。(S)




















 9月28日(火)、東京高裁での「鉄道運輸機構訴訟」が再開されました。「4・9政府和解案」を国労を含む4者4団体は3日後に受け入れました。そして、和解条件の中にあった「すべての訴訟を取り下げる」に従って、この鉄道運輸機構訴訟も取り下げられました。しかし、原告の一人、秋田闘争団の小玉忠憲さんが新たに弁護団を募り、1047名解雇撤回を貫いて闘いに立ち上がったのです。
 この控訴審は、2008年3月13日の東京地裁判決で、解雇を有効とし消滅時効を理由にその請求が全面的に棄却されたことに対して控訴した闘いです。今年の3月の第7回公判まで19名の原告で闘われてきました。形式上は、それを引き継ぐものとして小玉原告の口頭弁論が28日に行われたのです。
 小玉さんは更新意見書の中で、和解を拒んだ理由を次のように述べています。「今回の和解は、不当労働行為によって解雇され、24年間、解雇撤回を掲げて闘ってきた私たち国労闘争団員に、耐え難い屈辱を強いるものです。私たちが求めているものは、何よりも解雇の撤回です。だが、和解条項のどこを探しても、『JR復帰』はもとより、『解雇撤回』の文字は一つもありません。また、被告・鉄道運輸機構が不当労働行為の事実を認め、謝罪するとの条項もありません。むしろこの和解は、1047名が解雇を撤回させ、JRへの復帰をかちとる道を永遠に閉ざしてしまうものになっています。
 いくばくかの金銭が支払われたとしても、解雇撤回のない和解には応じられません。私たちが24年間、あらゆる困難をはねのけて闘い続けてきたのは、こうした屈辱的な『解決』のためでは断じてないのです。
 しかも、今回の和解は、動労千葉争議団および動労千葉を除く4者4団体に対してのみ提案されました。1047名の全体が、組合の所属を超えて一致団結した時に解雇撤回は実現できると私は確信しています。だから、1047名に分断を持ち込む和解案を断じて認めることはできません。」と。
 この日の夕方、文京区民センターで報告集会が持たれたので参加しました。同じく和解を拒否し最高裁での上告審闘争を闘う国労旭川闘争団の成田昭雄さんと国労小倉闘争団の羽廣憲さん。そして、動労千葉争議団の中村仁さんも登壇し、熱烈たる決意を述べました。

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 連帯のあいさつで動労千葉の田中康宏委員長は、「あらゆる勢力が、危機を資本家と一緒になって救済しようとなっている。こういう情勢の中でこそ、労働組合が闘いに立ち上がるべきだ。1000万のワーキングプア、この怒りを団結させたい。この情勢に通用するものを労働運動としてつくりあげよう。11月7日の全国労働者集会への大結集を実現して、『ここに、その道があるんだ』と示そう!」と呼びかけました。
 労働運動が資本と闘い、反戦運動を力強く担わなければ反戦平和を闘いとることができないことは、歴史の教訓です。不屈に原則的に闘う国鉄労働者を応援していきましょう。(S)









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