とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2009年08月

8・6ヒロシマ大行動に参加した東京の賛同人の方から感想が寄せられましたので紹介します。* * * * * * *                          
 今年の「ヒロシマ大行動」は、資本主義の崩壊がはじまり、それ故に、核を独占し、戦争という手段で世界を支配する帝国主義を打倒するために、労働者階級人民が団結して闘わなければならないことを鮮明にしたと思います。オバマ大統領の「核を拡散させないために核の傘をさし続ける」という核独占のプラハ演説を、核廃絶演説と賛美し宣伝する日本共産党などとの違いをはっきりさせた行動でした。また、8月6日のヒロシマで、核武装を叫ぶ田母神講演会に向かって、田母神許さないの抗議をし続けたことも意義が大きかったと思います。ヒロシマ大行動の中心に青年労働者・学生がいることもよくわかり、刺激的でした。全体として、ヒロシマ・ナガサキを再び繰り返さないためには労働者人民の闘いがいかに重要であるかを浮き彫りにした行動としてかちとられたと思います。
 翌日の7日に、8・6ヒロシマ大行動の企画にあった原爆の「碑めぐり」に私は他数名の方と参加しました。室本さんという大行動実行委員会の方に案内をしていただきました。被爆者の大槻さんの娘さんも参加されていたので、丁寧にお話を聞くことができました。はじめての碑めぐりなので、自分としてはじっくりという感じで考えていたのですが、時間の都合でそうもいかなかったようで、少し早足の碑めぐりになりました。

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 爆心地から約1.3km地点の「アオギリ」が、翌年の春になって芽吹き、人々に生きる勇気を与えということからはじまりました。「義勇隊の碑」「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」「嵐の中の母子像」「原爆の子の像」「峠三吉詩碑」など、まわった順序などは正確に覚えていませんが、原爆の恐ろしさや被爆した当時の様子を聞き、悲惨な現実を知ることができました。頭の中で、当時の様子を思い浮かべながら立ち止まり、考え込んだりという感じでした。徴兵された若者は戦場で死ぬことを強制され、さまざまな戦争動員に駆り立てられた女性や子供たちは原爆で一瞬にしてなくなった。亡くなった20万の中には強制連行で戦争に動員された朝鮮人2万人も含まれている。碑には、「安らかに眠ってください」という言葉が刻まれているものもある。原爆が落とされた瞬間亡くなった人々、その後に後遺症で亡くなった人々の慰霊や肉体的、精神的に今も後遺症に苦しむ人々の二度と繰り返してはならないという平和への願いがこめられているといわれる。広島市を訪れる人は年間1千万人を超える。昨年度は、8月が最も多い。昨年が特別だとは思えないので、過去においても基本的にそうであろうと推測できます。
 この「平和への願い」や「慰霊」をなによりも帝国主義戦争政策への怒りに高め、「核と戦争のない社会の建設」に結びつければならない、そうでないと被爆者が「安らかに眠る」ことはできないと思いました。

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 碑めぐりが終わってからも、「原爆ドーム」や資料館をみて回りました。資料館の見学は地下1Fから2Fまでの3階なので、じっくり見ているとかなり時間がかかる。夜行バスの時間まで、余裕があると思っていたが、最後は足早に切り上げるということになった。被爆者自身が当時の状況を絵に描いたものが展示されていたり、提供された遺品などもあった。原爆に関する映像や写真、本など資料という意味では、何点あるのかわからないが、数多くある。また、
 被爆者の方が何人かでその時間帯を受け持ち、1時間ほどの語り部をおこなっていた。ちょうど、その時間に遭遇し、参加することができた。その人は、自分の被爆体験を話すことができるまでに、かなりの年月を費やし、悩んだ末決断したといっていた。「腕の皮がはがれ、垂れ下がり腕を前に伸ばしながら、水を求めて逃げ惑ったこと、たどり着いた建物の中は焼けただれ横になっていた人々で埋まり、足の踏み場もないところを踏まぬように進む。その横たわった人が水がほしいと自分の足をつかむ、一方では死体が積み込まれ、一方ではゴミだらけの濁ったタンクの水を飲む人々の姿」など、ほんの一部かもしれない体験談を語る。そこに、自分の身をおき想像してみる。言葉に表すことはむずかしい。資料館には、まだ学校にもいっていない小さな子供たちもきていた。先生らしき人が戦争について説明しているようだった。

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 第二次世界大戦の終結し、戦後憲法が制定された。しかし、アメリカをはじめ帝国主義の侵略と戦争は世界いたるところで継続されている。核が使用されていないかというと劣化ウラン弾などはものすごく使用されている。アメリカのイラク・アフガン戦争を肯定するオバマ政権の「核のない世界を」なとど言うことを安易に信じる事ができるだろうか。 ヒロシマ・ナガサキのたたかいを、帝国主義やそれに加担する反動勢力へ、地底からも怒りを呼びさます、国際的な闘いを爆発させていかなければならないと思います。ヒロシマで得た力で、8・6ヒロシマ大行動でも呼びかけられた11月労働者集会の1万人結集に向かって私もがんばっていきます。(東京都 Y・O)









 

 都教委の「10・23通達」(2003年)から始まった「日の丸・君が代」不起立・不斉唱・不伴奏の教職員への不当処分に抗議して、翌年8月から毎年たたかってきた都教委包囲行動は今年で6回目。28日午後3時からの都庁第二庁舎前集会には約250名の被処分者、教職員、市民が集まりました。
 毎年、卒入学式での不起立で処分された教職員のみなさんは、その都度、その処分撤回を求めて人事委員会提訴、さらに裁判闘争をたたかっています。数え切れないほどのたくさんの裁判―予防訴訟の会、被解雇者の会、再任用拒否を撤回する会、解雇させない会、処分撤回を求める会、さらに不当判決を受けた渡辺厚子さん、藤田勝久さんらの発言が続きました。

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 何人かの人と一緒に裁判を闘ってきたAさんは、「ひとり一人が違う怒り・思いを持って不起立していることがわかってうれしかった。小さな喜びは人間の力になる」「学校の中では言えたが、おかしいことにはおかしいと地域住民の中で言えるかどうか。これはなかなかできないが、言っていこう」と。根津公子さんは「学校では、ものが言えない状態が日常化している。若い人たちに何を残していけるか。しっかり行動することで形に残してつなげていこう」「大勢の人が立ち上がったことによって、私の免職をとめることができた。ひとり一人が立ち上がることによって、今の状況を打破していこう」と訴えました。

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 4時からは、二手に分かれて都庁の中へ。一つのグループは知事室へ。もう一つは都教委の人事課へ。知事室に行った仲間は「知事に会いたい」と申し入れましたが、秘書課管理係長が出てきて「アポがなければ会えません」と。ひとしきり押し問答の末、別室へ。責任ある人が対応せよとの再三の申し入れにやっと副参事官がでてきたそうです。都知事は即刻辞めるべし、という要請書と、「日の丸・君が代」処分撤回の要請書を読み上げ、知事に必ず伝え返事をするよう約束させて手渡しました。
 教育委員会人事部を直撃したグループの方は、すでに待ちかまえていた職員・ガードマンの人間の壁で部屋には入れず。まずこのような対応はおかしいという抗議から始まりました。「処分担当部署に話しを聞きに来た。政策担当者と話しをさせてほしい」「開かれた都教委、というが、話しに来た人の思想・心情で差別するのか」。しかし、入口の外に立っている人も、中で立っている人たちも、みんないつも付けている名札をはずし、一切「見ざる・言わざる・聞かざる」に徹していました。都教委に来るといつもまのあたりにするこの光景ですが、権力機構の一環の歯車となって疑問もなく動いている人たちに、思わず「おかしいことにおかしいと言わないと、あなたも共犯者ですよ」と言ってみました。ピクリともしない若い職員の顔を見ながら寒々しい思いがしました。

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 結局、担当部署の扉は開かず、いつものように教育情報課が用意した部屋で、一般の「苦情処理」と同様の扱いを受けました。この窓口を通した要請・質問への回答はいつも同じで「回答を差し控える」です。私たちはこれでは回答になっていないと抗議。この教育情報課ができたころは、こうした話し合いの場に担当所管の責任者が直接出てきて対応していたのに、いつの間にかそれがなくなってしまったのです。そのことを追究しましたが、この日も情報課長は「この仕組みは変えない」と居直りました。

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 中野ZERO小ホールで午後1時から開始された「改憲は阻止できるぞ!2009」集会は、約700名が参加し、まさに今「闘いのまっただ中にある」とビンビンと感じる集会でした。この「8.15労働者市民のつどい」も「国益と排外に憲法は屈するのか」という問題意識で毎年内容の濃い「つどい」として作られてきています。
 集会冒頭「改憲阻止闘争の最前線から」ということで、国鉄1047名解雇撤回闘争の中で、何と国労本部によって警察権力に売り渡され、1年以上の不当勾留を受けながら「1047名解雇撤回」を果敢に闘い抜く国鉄労働者。国家の強制動員には従わない!と拒否を闘う裁判員候補者。ビラをまいたら停学・集会をしたら退学・抗議をしたら逮捕という法政大学で闘う学生、と続きました。

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 そして韓国からは、民主労総ソウル地域本部の副本部長と組織部長が参加し共闘を呼びかけました。解雇攻撃に組合員500人が2ヶ月以上職場占拠・無期限ストで闘い抜いたサンヨン自動車労組の闘いのビデオは、労働者の団結の人間的な力、殺人的な国家権力・暴力職員と果敢に闘い抜く勇気が激しく迫り、感動しました。

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 基調報告の中で、鈴木達夫弁護士は、戦争というのは、市場・資源をめぐる強盗戦争で、誰かの理性でどうにかなるものではなく、大銀行・大資本の利害が対立してどうしてもそこに行き着くものとしてある、と指摘しました。だから、かつてない世界大恐慌という資本主義の生命力が尽きた今、資本主義の「墓堀人」たる労働者を軸にして固く団結した力のみが人民が生きていける社会をつくり出す力だ、と提起しました。
 また、改憲攻撃の2つの方向として、①侵略戦争・強盗戦争…憲法9条改憲、憲法審査会始動、ソマリア派兵、臨検法案などと、②戦争ができる国内支配体制づくり…統治形態(国家と人民の関係)の原理的転換とがあるとし、②に改憲攻撃の実態があると指摘しました。裁判員制度や道州制はここに入ります。また、①との関係で国際連帯の重要性をあげました。改憲と戦争に反対する百万人署名運動にとっても学ぶところが多々ありました。

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 動労千葉を軸とする訪米団の報告の後、動労千葉の田中康宏委員長が、「我々自身の力を取り戻すということなしに、戦争をとめることはできない。11月1日(日)に日比谷野音に、職場で資本と闘う1万人をめざした労働者集会を実現しよう、みんながぜひその担い手になって欲しい」と訴えました。

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 西川重則さんも靖国神社からかけつけ、「憲法審査会の始動」に対する闘いへの警鐘を乱打し、「国境を越えた民衆の連帯した力のみが、究極的に戦争をとめることができる」とアピールしました。

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毎回、ものすごく考えて新作を発表する松元ヒロさん、今年もみんなの笑いで受けました。

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 ところで、会場の前には約100名くらいの公安刑事がたむろし、参加者をチェックしていました。明らかに憲法違反の人権侵害なのに、この人たちを取り締まる人がいない。こういうことにはマスコミも知らん顔。この国はかなり危ないところに来ています!改憲と戦争に反対するためには、国家権力の弾圧をはね返して闘うしかないと覚悟するしかありません。昔も今もこれは同じですね。(事務局S)

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 1937年7.7盧溝橋事件(日中戦争開始)~1941年12.8真珠湾攻撃(日米戦争開始)~1945年8.15敗戦、筆舌に尽くしがたい膨大な民衆の犠牲が強いられたアジア太平洋戦争でした。戦地で兵員230万人(朝鮮・台湾5万人を含む)が死亡、空襲や被爆・沖縄戦などで一般市民が約80万人死亡、のみならず中国・アジア人民への殺戮はさらにその数倍、約2000万人と言われています。生き残ったほとんどの日本の労働者民衆は、もう二度とこんな戦争をやってはならないと思ったにちがいありません。
 64年目の8.15に、二つの集会に参加しました。一つは「憲法を活かして平和を創ろう」(主催:平和遺族会全国連絡会)、もう一つは「改憲は阻止できるぞ!2009」(主催:戦後50年を問う8.15労働者・市民のつどい全国統一実行委)です。

 日本教育会館で行われた前者の集会には約300人が参加し、集会後正午から靖国神社周辺を平和行進しました。主催団体の「平和遺族会全国連絡会」は、既成の「日本遺族会」が、戦争賛美、「英霊」尊崇の方向へゆがめられていくことに対して、かつての戦争は侵略戦争だったとし、その精神的な核が国家神道であり、靖国神社は侵略戦争推進の大きな役割を果たしたと弾劾し、再びそれが繰り返されないようにと23年前(1986年)の7月7日に結成された団体です。現在、西川重則さんが代表を務められています。

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 今年の記念講演は吉田裕さん(一橋大学大学院教授・写真下)で、「田母神問題と歴史修正主義」というテーマでのお話しでした。吉田さんは、田母神本人が著書の中で述べている言葉「自虐史観が、我が国の安全保障体制の確立を困難にしている」「日本の防衛の手足を縛っているのは、『日本は侵略国家だ→軍にまかせておけば暴走する→軍は動けないようにしておく必要がある』などという思考パターンである」を紹介し、田母神が防衛問題の核心を歴史認識問題であると考えており、ここでの国民の意識を変えていこうとしていると指摘しました。

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 西川重則さんも、基調報告の中で、自民党の新憲法草案の9条のタイトルが「戦争の放棄」から「安全保障」(武力による安全保障)に変えられていること、国にとっての安全保障論の中で靖国神社は「防衛思想の拠点」と位置づけられていると指摘しました。そして、靖国神社法案は決して過去の戦没者の問題ではなく、今後の問題として出されてきたこと、それは現在、海外派兵との関係で自衛隊員の戦死問題として目前にあるとして、すべての市民が有事法制下の靖国神社問題を重要な問題であると考えてほしいと訴えました。

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 現在、陸海空自衛隊のソマリア沖派兵が強行されており、ソマリア沖の護衛艦には死体安置所が戦後初めて設置されました。そのような中での今年の8.15。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会(自民・民主ら44人)、同・地方議員の会(40人)、小泉・安倍元首相、野田聖子消費者行政担当相らが次々と靖国神社に参拝に現れました。この間活発に講演に回っている前航空幕僚長・田母神も現れ、かつての戦争は侵略戦争ではなく「白人国家を次々と打ち破って白人化をとめ、結果、人種平等の世界がきた」などとウソ吹いたそうです。(次へつづく)

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 昨日(8/12)、杉並区教育委員会は多くの反対の声を踏みにじり、扶桑社版の歴史教科書を再び採択しました。本当に許せません。5人の教育委員の内、ナント4人が賛成、「素晴らしい」と絶賛した委員もいたとのことです。山田区長が、こうした歴史認識の人たちを軸に教育委員を選んでいるということに、まず危機感と怒りをもって弾劾したいと思います。
 12日は、朝から、「つくる会」の教科書採択に反対する杉並・親の会ら多くの団体個人が杉並区役所前にかけつけ、午後2時~の教育委員会で「つくる会」教科書採択をしないよう訴えました。11時半ごろ区役所前に到着すると、あたり一帯は騒然としていました。まず「つくる会」派の人々が「日の丸」を掲げ、ノボリを立ててマイクで何かがなり立てていました(写真右側の集団)。さらにそのすぐ後ろの中杉通りには右翼の宣伝カーが止まっていて、その上に男が立ってやはり何かがなり立てていました。宣伝カーの周辺には黒の背広姿の男たちが腕を組んで立っていました。異様な雰囲気! けれどもこの状況に杉並・親の会の女性がマイクをもって猛然と立ち向かっていました。

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そして、まもなく反対派の集会が始まり、次々と力強い発言が続き、「つくる会」派を圧倒してしまいました。
 集会で、杉並区議の北島邦彦さんは、山田区長らが戦争賛美の「つくる会」教科書を採択しようとするのは、過去の問題ではなく、これから戦争をやるためなんだと指摘し、横浜の中田市長や大阪の橋下知事らと一緒に「道州制」推進運動を率先して、資本を救済するために労働者の闘いを押しつぶそうとしている、戦争に突き進んでいこうとしていると弾劾しました。そして、こんなものは労働者が団結し、闘いぬく力ではね返せる!と訴えました。また、部落解放同盟全国連・杉並支部の青年は、「つくる会」教科書は差別をあおっていると弾劾し、祖国愛なんて言うけれど、年収200万のワーキンプアとブルジョアジーに共通の利害なんてない、国境を越えた民衆の団結愛が戦争をとめる、私たちの生活を脅かしているのは日本のブルジョアジーだ、北朝鮮ではない!と訴えました。(事務局S)

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「つくる会」教科書検定撤回を求める2007年9月29日の沖縄県民大会を報じる新聞を掲げてアピール

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「つくる会」教科書を採択するな!杉並区教育委員会に向けてシュプレヒコール。

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この日「杉並・親の会」は、採択反対の追加署名1059筆を教育委員会に提出しました。

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