4月9日(水)、「大江・岩波沖縄戦裁判勝訴!判決報告集会」(主催:沖縄戦首都圏の会<東京>、沖縄戦裁判支援連絡会<大阪>、平和教育をすすめる会<沖縄>)が、東京・後楽園の文京区民センターで開催されました。参加した賛同人Mさんより報告が寄せられましたので紹介します。
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沖縄戦当時の座間味島で元戦隊長だった梅沢氏本人と、渡嘉敷島の元戦隊長・赤松氏の遺族が「集団自決を命令したとの記述は虚偽」などとして、『沖縄ノート』著者の大江健三郎さんや岩波書店を訴えていた不当裁判は、3月28日に原告全面敗訴の判決が大阪地裁で下されました。本集会は、その勝利判決の意義を確認すると共に、原告が控訴した高裁段階でも勝利し、歴史の歪曲を許さないとの決意にあふれたものとなりました。
岩波書店『世界』の岡本厚編集長は、この裁判を「殺した側」に立つのか「殺された側」に立つのかを決するものだと強調。旧軍隊の「名誉回復」と、この国が本格的に戦争ができる国となっていく過程で民衆より「軍」を優先させる論理を構築させ、そのために「軍隊は民衆を守らなかった」という沖縄戦の真実自体を葬り去ることこそが、原告らの真の裁判目的であったと断言しました。しかし、原告らの「誤算」は、沖縄11万人の結集に象徴される「県民の怒り」を呼び覚まし、これまで語らなかった生存者が「目の前で肉親を失った」記憶を語り出したことにあり、死者を悼む感性をあらためて獲得する営みを通じて、この裁判闘争に勝利しなければならないと強く訴えました。
新聞社に入社したきっかけが「沖縄戦報道にたずさわりたい」からだったという『沖縄タイムス』編集委員の謝花直美さんからは、地元マスコミとしての沖縄戦への向き合い方という観点から意義深いお話がありました。1970年代の『沖縄県史』編纂の頃は、調査に行くと住民が逃げ出すような状況で、「集団自決」が地域に残した傷跡のあまりの大きさから、メディアが簡単に問題に取り組めなかった経緯を示しました。その状況を大きく変えたのが教科書問題であり、戦後ずっと引きずって語れなかった体験を苦しみながら語り始めた、そうした証言が引き出されるようになったことが明らかにされました。そして、沖縄戦で傷ついた人々の話から今の沖縄をとらえ返し、今の私たちとどうつながっているかということについて、しっかり考えを深めていくことの大切さを強調されました。
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昨年の3月に出された問題の教科書検定(沖縄戦「集団自決」への軍命削除)は、この裁判の原告側訴状などを根拠にしています。今回の裁判勝利で「文部科学省が教科書を書き換えさせる根拠が裁判で崩れた」とし、「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会は4月16日に、また教職員組合なども4月25日に、政府・文科省に改めて検定意見の撤回を要請しようと上京するそうです。
沖縄戦の歴史歪曲を許さないため、私たちも文科省に「検定意見の撤回」を求めていきましょう!