今回のガザ無差別爆撃は、「テロとの戦い」がアメリカにとって中東の要であるイスラエルを守る戦いそのものであり、イスラエルに怒りを持ち抵抗する人々は虐殺して構わないとするものなのだ、ということを世界中に示しました。イスラエルはアメリカの全面的な援助で、残虐な殺人新兵器をも使ってガザを攻撃したのです。絶対に許せません。
 ガザで虐殺されたパレスチナの人々、重傷を負った人々、子どもたちの恐怖、怒り、悲しみをしっかりと胸に刻みましょう。「テロとの戦い」の実態を目に焼き付けましょう。ガザの現状の報告を紹介します。
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(アムネスティのガザ調査団のブログより)
2009年1月20日
 我々がどこへ行くにも、毎日、破壊がどれほどのものかということに驚かされる。どこへ行くにも、カメラやビデオカメラを回しているが、惨状の規模をレンズに収めるのは不可能だ。以前には賑やかだった場所が、荒野のようになってしまった。広い地域が、まるで大地震に見舞われた後のようだ。破壊があまりに広範囲で、レンズにはすべて収められない。
 イスラエル軍の戦車と、装甲ブルドーザーD9によって、果樹園や道路はぐちゃぐちゃだ。装甲ブルドーザーは時に鋤のようなフックをつけていて、走行した後の地面を引き裂くのだ。しかしこれも理不尽な破壊の一例にすぎない。軍事上価値があるとも思えない膨大な数の建物が、破壊されている。
 電力供給ラインは壊され、給水本管は引き裂かれた。前回の破壊と数年にわたる制裁で、ガザのインフラはすでに弱体化していたが、いまや悲惨な状況に陥っている。長時間の停電は普通のことで、数千人の人びとが、きれいな水を得ることができず、汚水が壊れた水路から戸外にあふれ出ている。
 大砲の砲弾(従来戦場において使用するために作られている大砲だ)が住宅密集地域に打ち込まれた。このような攻撃に何の軍事的意味があるというのだろうか。武装勢力に向けてロケット弾を発射しているとイスラエル軍は主張しているが、大砲は、軍事用語では、大量殺傷兵器であり、ピンポイント攻撃にはまったく不向きではないか。

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 イスラエル軍はまた、ジャバリアの国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する学校のそばの通りに迫撃砲を発射した。これにより少なくとも41人が死亡した。そのうちの10人は家族だった。ベイトラヒヤのUNRWAの小学校には1898人が攻撃から逃れて避難していた。朝6時、35人が寝ていた3階の教室に大砲が命中し、5歳と7歳の兄弟2人が死亡した。兄弟の18歳の姉は重傷を負い、片足を切断しなければならなかった。彼らの母親は、手を失い頭に重傷を負った。他に12人が負傷した。爆撃を逃れるために家を出て、安全を求めて学校へ来たのにと、彼らの親族は我々に語った。攻撃後しばらくして、同じ階の別の教室が白燐弾によって焼失した。幸い、その教室に避難していた、3人の障がい者を含む人びとは避難することができた。
 今日、1月19日月曜日、何度も人びとが私たちに語ったのは、この3週間、安全と思える場所はどこにもなかったということだ。学校も医療施設も国連のビルもすべてが直接に攻撃を受けたのである。
 ガザのアメリカンスクールの瓦礫のそばで、我々は学校警備員マハムード・モハンマド・セルミ・アブ・クレイクの父親に会った。マハムードはイスラエル空軍のF16機が校舎を爆撃した際に死亡したのだ。ここはガザで唯一のインターナショナルスクールで、男女共学の英語による進歩主義的教育を行っており、「パレスチナの未来の姿の1つ」であると自らを紹介していた。今、この学校に残されたのは、からまった鉄のワイヤーと巨大なコンクリートの土台の大きな瓦礫だけである。この老人は瓦礫を見渡しながら座って語った。ものすごい爆音が聞こえた後、息子の携帯電話をかけたこと、しかし呼び出し音が鳴り続けるだけだったこと・・・・・かれの息子の遺体は、学校から50メートルのところで発見された。
 我々はまた、ガザ市にあるUNRWA現地事務所の本部を視察した。ここは1月15日にイスラエルの砲撃を受けた。倉庫は食料、医薬品、その他の人道援助物資でいっぱいだったが、事務所敷地に打ち込まれた白燐弾とHE弾によって大火災となった。4日後、火はまだ燃えていた。数億ドル分の食料と医薬品が灰やくすぶった残骸となり、すべてが無駄になった。倉庫の周りの地面は、漏れ出した何千リットルもの食用油でぬるぬるしたままだった。
 何台かの国連の乗用車も、攻撃で破壊された。UNRWA本部は、ガザ市中心部のにぎやかな人口密集地区にあり、攻撃を受けたときは約700人の人びとがイスラエルの爆撃から逃れ敷地内に駆け込んできたところっだった。しかし、そこも安全地帯ではなかった。砲火の中、1人の勇敢な国連職員が石油でいっぱいだったタンクローリーを運転し、敷地外に移動した。国連からイスラエル当局に繰り返し連絡をしたが、攻撃をやめたのは10弾ほどが建物を直撃した後だった。近隣のビルから避難してきた700人以上の人びとがいたホールが被弾しなかったことと、タンクローリーが爆発しなかったのは運がよかったとしか言えない。この狭い空間で、多くの人が死や負傷をまぬがれた。しかし、食料や薬は無となり、国連の敷地は安全だという人びとの信頼も打ち砕かれた。
 ガザ市のアルクドゥス病院で、我々は破壊された救急車数台の残骸を見た。そこで、病院職員から、どのようにイスラエルの戦車がバリケードを作るために救急車を押しつぶしたかという話を聞いた。病院の建物は攻撃を受け、薬局は焼けてしまった。医者たちは、患者が動転しながら火災の病院から避難した様子を語ってくれた。市内のほかの場所と同様に、近くの建物から数百人の人びとが病院の建物に避難してきていた。国連の敷地や学校と同じように、ここもイスラエルの攻撃からは安全な場所だと信じて。しかしそれは間違っていたのだ。