7月3日土曜日、仙台弁護士会館にて、「裁判員制度にとどめを!全国一斉行動・仙台」を行いました。死刑廃止連絡会・みやぎ、とめよう戦争への道!百万人署名運動宮城県連絡会、裁判員制度に反対する在仙弁護士の会の共催で、集会後元気にデモもやりました。当日は、仙台弁護士会主催の司法修習生の給費制問題の集会があり、裁判員制度推進の宇都宮日弁連会長が来るという真っ向からの対立軸の中、約70名の参加があり、裁判員制度つぶそう!の決意を参加者全員で確認しました。
まず最初に、5.18全国集会と裁判員を経験した方のインタビューのビデオ上映がありました。このインタビューでは、裁判所がどこにあるかも知らなかった一般の方が、裁判員を経験して、本当に嫌な制度だ、間違った制度だとお話されていて、この制度の本質を見たように思いました。
次は高山俊吉さんの講演「裁判員裁判の現実と制度の終焉」です。高山弁護士のお話は、何度聞いてもキレがよく、スッキリします。その中身をかいつまんでみます。
まず、裁判員制度が始まって一年が過ぎ、2000件中、判決は600件しか出ていないことが明らかになった。半分もできていない。裁判員裁判は、全部お膳立てしてあり、セレモニーのようなもので、その分、公判前手続きが長くなる。また、裁判員体験者からPTSDなどのクレームも出ている。そして何といっても、出頭拒否が相次いでいる。12万人もの人が、出たくないとわざわざ返事を出している。そのうち2万何千人が重い病気やケガを理由にしている、というのが、笑えました。6月17日の検事総長の記者会見では「今が正念場。火事場に近い。人の応援を得て進めていく。」と話したそうだが、火事場は止まらない。(笑)
また、よくアメリカの陪審員制度に例えられるが、根本が違う。陪審員制度の根っこには「国家権力に対する抵抗権」ということがある。裁判員制度は、その反対である。この陪審員制度との比較は、OJシンプソンの例もあげて話していただき、大変興味深かったです。この集会のための街宣をしていた時に、通りがかりの人と討論になったことがありますが、この話を聞かせてあげたいと思いました。
裁判員制度は、市民参加と言われているが、これは、強制動員であり、市民参加ではない。本当の市民参加とは、国家権力に対する対決。例えば松川事件の教訓。この裁判はおかしいと、たくさんの意見が出て、判決の日には一万人が裁判所の回りを囲んだ。このような、抵抗-不信-疑問、これが市民参加だ。高村光太郎が、戦時中、「国のために私利を捨てん」と詩を書いたが、こう言わせるために裁判員制度は生まれた。
戦争の危機は現在のこと。改憲と裁判員制度は繋がっている。改憲、恐慌の時代は、改憲反対の時代、戦争反対の時代だ、と、まことにスキッとするお話でした。そして、「私の拒否をみんなの拒否へ。みんなの拒否は制度の廃止」とまとめていただき、一人一人が、がんばろう、という気持ちを確認しました。
集会参加者の方の発言もとても良かったのですが、割愛させていただきます。心配していた雨も降らず、コールを交替しながらのデモは力強く、街行く人の関心を集めていました。今後とも、みんなで廃止に向けて頑張りましょう!(宮城県連絡会 T.M)