広島県連絡会の谷口です。
 全国の皆さん、8・6ヒロシマ大行動への賛同・参加、本当にありがとうございました。今年は福島原発事故の事態を受けて、医師としてイラクで劣化ウラン弾被害とたたかっておられるフサーム医師にもご参加いただきました。2003年のイラク開戦以降、放射線被害とたたかっているイラクの病院や子どもたちを支援しておられる大江厚子さんがその報告をヒロシマニュースに寄せてくださいましたので、紹介させていただきます。

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イラク人ドクター・フサームさんをヒロシマに迎えて

 震災、福島第一原発事故から半年が経とうとしています。そしてこの日9月11日は10年前アメリカで起きた同時多発爆破の日でもあります。この事件を大義のひとつとして、米英軍はアフガニスタン、イラクを攻撃し占領しました。アメリカはさらにさかのぼること1991年の湾岸戦争で、世界ではじめてイラクにおいて劣化ウラン弾を使用しました。私たちは、侵略戦争、劣化ウラン弾、原発事故を通して、「この体制の権力者、資本は、その利益追求のためなら平気でわれわれを殺す。」ことに気づき、この我慢ならない状況をわれわれのこの手で変えると立ち上がりました。多くの人々が主張し拳をあげ、その怒りの炎が広がりを見せる今年の8月6日、私たちの「8.6ヒロシマ大行動」に侵略戦争と闘い劣化ウラン弾による被害と闘っている私たちの友人であるイラク人ドクター・フサームさんを迎えることができたのは大変うれしいことでした。
      8.6原爆ドーム前でアピールするフサームさん
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 思えば最初に彼を広島大学病院で研修をしてもらうために招聘したのが2004年4月で、まだ米英のイラク暫定占領当局(CPA)による統治がなされており、イラクから出国するのにCPAの旅行許可書が必要とされていました。なんと屈辱的なことでしょうか。それから8年アメリカ軍は完全撤退はしておらず、3000人の職員がいる世界一のアメリカ大使館の存在は今のイラクの状況を示しています。
 さて、フサームさんに、このたびの来広の目的のひとつイラクにおける被曝の状況について、3回の報告会で話してもらいました。癌や白血病の発症地帯が、1991年、2003年で使用された劣化ウラン弾による攻撃地点と重なること、また癌・白血病の発病が特に上昇したのは2003年から6年経った2009年からだと言うこと(1991年の際もやはり6~7年後のことでした)から、これらの病気の発症は劣化ウラン弾による放射性被害だということが明らかではないかと報告されました。また、発症が通常ではありえない小さな子ども(乳児、幼児)に顕著に見られることです。今、福島原発事故による子どもへの被曝の心配と重なります。そしてイラクの医療現場の状況が更なる治療の困難さを深めます。
 現在フサーム医師が勤務している「バスラ子ども専門病院」は昨年10月に完成した新しい病院で、これはブッシュアメリカ元大統領の夫人が代表するNGOが作ったものです。外観はすばらしいのですが、設備はまったく使い物にならない、MRIやCTスキャナーがないばかりか、設置されている機器もはじめから付属キッドがない(これは日本に来てわかったことです)、技師が操作できない等でほこりをかぶっているとのことです。このプロジェクトは単なるアメリカのプロパガンダだと話されていました。このような状態ですから診断の時点でなかなか正確な判断ができません。治療についても今できることは海外のNGOからの支援で手に入る医薬品による化学治療だけで、充分な手術・放射線治療・骨髄移植はできません。そのため経済的に可能な子どもは海外で治療しますが、そうでない子どもはあきらめなくてはならない場合もあります。また親は他の子どもの面倒も見なければならず、病気の子どもの治療を放棄することもあるようです。
 フサーム医師はこのたびも広島大学病院の厚意で4日病院に行き、アドバイスや資料をたくさんいただいたと喜んでおられましたが、『治療のすべての選択肢がこのひとつの病院で受けられるんだよ!!』とうらやましそうに言われました。イラク政府要人の汚職や、医療や生活インフラの補償をせず石油の確保や車等の販路に精力を傾ける多国政府、企業には怒りがわきます。また日本のことでは、今後福島で被曝した人々への充分な医療を補償することを今からはっきりさせなければなりません。これまでの薬害・公害の二の舞をさせることは絶対に許せません。
        8.7広島での報告集会
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 アメリカ反戦活動家シンディ・シーハンさんとの関係は、彼にとっては簡単なものではありませんでした。彼女の現在の闘いを認めながらも『彼女はなぜアメリカがイラクを攻撃する前に、反対しなかったのか?』『なぜ息子を兵士としてイラクに行かせたのか?』が疑問としてあるのです。8月7日のイラク報告会でシンディさんの質問『今日の生活水準とサダム・フセイン時代のそれと比べて、どうですか?』に彼はこう答えました。
 『サダム・フセインは独裁者であり、その時代は厳しいものでした。私たちに自由はありませんでした。しかし、あのときは安全が保障されていました。現在は自由を手に入れましたが、安全保障がありません。外出することができず、子どもの世話をすることもできません。人々の暮らしは悲惨で、今のほうが悪化しています。誰もが国境を超えて簡単にイラクに入ってくることができます。イランが一部をかすめとり、クウェートが一部をかすめとる、といった状況です。なぜなら石油が豊富だからです。1991年にはイラク国民が容易にサダム・フセインを倒すことができました。特に、バスラの人々は、サダム・フセインと政府を倒すために立ち上がっていました。あのとき、イラクの人々は自分たちの手で国を変えることができたのです。しかし、他の国の多くが、サダム・フセインを擁護しました。そして、2003年になって、アメリカがイラクを侵略しました。1991年のとき、イラク軍はサダム・フセインを倒すために人々と合流しようとしていました。しかし、アメリカ軍がそれを阻止したのです。イラク人が自ら状況を変えることができたのにです。アメリカは、アメリカ式の民主主義を導入しようと攻撃してきましたが、それはまったく無駄に終わりました。イラクは現在、非常に遅れた国になっています。独裁主義と占領時代を比較するのは不可能です。多くの人が今、アメリカに占領されるよりサダム・フセイン時代のほうがよかったと思いはじめています。なぜなら、安全に生活できたからです。イラクは独立国家ではなく、政府は多くの他の国からの圧力を受けています。以前は、教育や医療サービスが無料でしたが、今は教育も医療サービスもお金がかかります。』
 自国の体制を倒すのはあくまでその国の労働者、民衆であるべきです。そのために私たちは国境を越えて連帯します。<戦争反対、戦争とめろ、原発今すぐ止めろ、すべてを廃止に>の激しいデモに歩道でずっとともに歩いてくれた彼は、ヒロシマでの私たちの闘いを共有してくれました。

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 フサームさんは2週間の日程を終えて、電気が一日18時間止まっていて気温は52度という暑いイラクへ帰っていかれました。私たちはイラクで多くの人が殺された事を、今も多くの人が苦しんでいることを、そんな中でアメリカ占領と闘い腐敗している政府と闘っている人々がいることを忘れません。充分な医療体制が整っていない中でも最善の治療を尽くし、助けることができた子どもの未来に希望を見出している医師たちがいることを常に思っています。私たちも職場で地域で原発即時廃止、『私たちの命を奪うな、幸せを奪うな』をさらにさらに闘い続けていきましょう。(セイブ・ザ・イラクチルドレン広島  大江厚子)