1月24日、経産省が、原発反対の拠点となっている経産省前「テントひろば」に対して、「1月27日午後5時までに、テントを撤去せよ」と「命令」してきました。
27日当日、「テントひろば」を経産省と警察権力に蹂躙させてはならないと、午後3時ごろから人々が集まりました。テントの前では、ロックの演奏や替え歌の合唱が続き、午後4時から抗議集会開始。6時過ぎまで約800人余の人たちが集まり、リレートークと、全員のシュプレヒコールを経産省にたたきつけ、抗議の声をあげました。そして、みんなの力で「テントひろば」を守ろうと団結を打ち固めました。

~フクシマーテントー全世界 命よ叫べ~
★経産省はテント撤去命令を撤回せよ!
★枝野経産相はテントひろばとの話し合いに応ぜよ!
★再稼働やめよ!全原発を廃炉へ!

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経産省の退去・撤去命令書
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■司会は「テントひろば」の八木さん。
■まず、「テントひろば」代表の渕上さんが、「テントひろば」の闘いの経過を説明した。
 「テントひろば」を始めてから2012年1月27日で1139日になる。反原発を闘う者たちをつなく場になったこと、福島の女たち、全国の女たちの座り込みの場になったこと、さらに、12月1日から福島の女性たちが「とつきとおかの座り込み」に入ったことなど。
 そして、「再稼働をやめ、原発をやめるなら、私たちはテントを移動してもいい。経産省の退去命令はお門違い。レベルが違う。私たちはこの国の政治と闘っている。退去はできない。脱原発の闘いの一つとして闘っていくと宣言した。

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■続いて「とつきとおかの」テントひろば・フクシマ村の世話人・椎名さん
 こんなに大勢ここに集まったくれて心強い。ここが反原発の、子どもたちの命を守り、国民の命を守る「ひろば」になっている証だ。退去命令は油に火を注いだようなものだ。しかし、私たちは油ではありません。油は燃え尽きればおわりだが、私たちは命のひとしずくひとしずくを集めて延々と続くでしょう。私たちの力は世界に未来につながっています。テントを守りながら再稼働阻止に向かって闘いひろげていきましょう。

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■福島のおんな・黒田さん
 このテントひろばに、「福島の女たちの座り込み」以降も続けて来てくれているみなさんありがとうございます。福島の地で、寒い日はテントも寒いのではないかと思っています。ここは本当に大事な所だと今日も思いました。東電交渉も文科省交渉もここを拠点にできました。世界中の人たちとここで出会いました。
 ここを撤去せよなんて絶対に許せません。原発がとまるまでここは必要なんです。ここは私たちの出会いの場であり学びの場です。福島ではいまも、こうしている間にも子どもたちが被曝しています。子どもたちを守る闘いの砦です。ここは私たちの精神的砦でもあります。私たちの知恵と力でテントを守っていきましょう。

     女たちのテント
 
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■福島県双葉町から東京に避難してきている神谷さん
 着の身着のまま逃げました。寒い日でした。つらい悲しい日でした。子どもたちを守って下さい。私たちは事故の前に、何度も東京電力の人たちと話しあったのですが、安全ですから安心して下さいと言っていました。安心という言葉は本当に重い言葉です。
 東電の人たちは福島県に来て謝って下さい。東電の社員は福島原発の片付けをしなさい。私たちには先が分からない。国からの35万円でどういう生活をせよと言うのか。仮説住宅に当たっても働く場所がない。若い人に働く場所を与えてほしい。
 私たちは東北電力の電気は使っていましたが東京で戦力の電気は使っていませんでした。それなのに東京に避難させられて、東京電力の電気を使わせられている。どうして東京電力に電気代を払わなければならないんです。払いません。
 子どもたちを守って下さい。子どもたちは内部被曝をしています。私たちは何を信じたらいいのか。でもここに来るとほっとします。
 最後に言わせて。私は二度と、二度とふるさとには帰れないけど、いつか、いつか帰れる日を夢見てがんばりますから、みなさん、福島の子どもたちを守って下さい。原発に反対です。

■福島のおんな・地脇さん(西郷村)
 地域で食品などの放射能の測定をしています。測定所をつくることに最初は躊躇していました。食品を測って食べるより安全な所に行った方がいいのではないかと考えたからです。しかし、地域ではお母さんたちが放射能のことを話せない中で、お母さんたちの情報交換の場をつくり、ほっとするコミュニティにしようということで測定所を開きました。 おじいちゃんやおばあちゃんも自分のところで作った野菜などの測定に来られます。こういう生活がいまだけではなく、ずっとずっと続く。福島だけではありません。汚染は日本中で問題になります。再稼働を阻止したい。福島のことが忘れ去られてしまうかも知れない。ここにこういう場かあるかぎり、ここから福島のことを発信していけます。

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■福島県浪江町の牧場・吉沢さん
 いまも浪江町で原発から14㌔の地点で300頭の牛を飼っています。2度の爆発音も聞きました、白い煙も自分の目で見ました。3月17日に、これまでと思い福島を発って、18日に東京電力に抗議に来ました。福島からの最初の抗議です。「僕の牛は被曝し、商品価値はありません。東電に賠償請求を出します。自衛隊や消防任せてなんで、あんた達は逃げるんだ。死んでもいいから社員で原発をとめろ」泣きながら訴えました。
 僕も僕の牛も放射能を浴びています。でも牛にはエサをやっています。牛たちが、希望の牛たちが福島県の役に立つと信じています。原発はいらない。福島はチェルノブイリになってしまった。東京電力と国は責任を取れ。再稼働を許さないためにみんなで闘いましょう。

■そのほか、全国のおんなたち・世話人の木村さんは「私たちはいままでと同じように闘っていてはだめだ、一歩踏み出さないと」と言いました。そのほかテントを維持して闘っているたくさんの人たちの発言が続きました。若い人も、80歳を超える人も発言しました。たんぽぽ舎の柳田さんも、テントひろばの高橋ひまわりさんも発言しました。

■最後に椎名さんは言いました。
 1月26日、テントに来た人に「もしテントがなくなったらどうするんですか?」「とつきとおかはどうするんですか?」と聞かれました。やっぱり元に戻って座り込みをするんだなと思いました。やめるわけにはいかないんです、私たちは。そうしたら今日、こんなに多くの人が集まってくれた。みなさん、テントを守って下さい。

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■ものすごく寒い夜でした。しかし、午後5時に経産省と警察はテント撤去にくることはできませんでした。経産省がテント撤去をする法的根拠なんかないのです。
テントを守り、闘い続けましょう。(T)

この集会の模様はユーストリームで中継。http://www.ustream.tv/recorded/20033948