8月15日、毎年この日は靖国神社を中心に政治が動きます。靖国神社の国家管理・護持を求めた法案が国会に提出された1969年から一貫して靖国法案反対にとり組んでこられた西川重則さんに同行して正午過ぎ、靖国神社に行ってきました。

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靖国神社の前には物々しく警察・機動隊の車が並んでいました。

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重たい鞄を持ってさっそうと歩く西川さん(86歳)
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まず目にしたのは、道のど真ん中に大きなテントを張って、中で集会をやっているものでした。

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それは、「英霊にこたえる会」と「日本会議」主催の「第27回歿者追悼中央国民集会」というものでした。
「英霊顕彰の国民運動の輪を広げよう!」、「今こそ、安倍総理の靖国参拝実現を!」、「天皇陛下のご親拝を!」と叫んでいました。

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さらに前に進むと、もう一つ鳥居があります。

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拝殿に向かう多くの人が並んでいます。

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出る人と入る人で門は身動きがとれないくらいです。
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門の中もさらに行列。

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突き当たりが拝殿です。

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西川さんは拝殿とは逆の方へ。
ここから、国会議員らが本殿に入るので、マスコミのカメラが集中していました。
すでに石原慎太郎前都知事は参拝を済ませたとのこと。
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上記の近くに「遊就館」があります。戦争記念展示館です。
今回は入りませんでしたが、以前に入った印象は、戦争を反省し二度とくり返してはならないというようなものがなく、いかにいさましく戦ったかと侵略戦争を肯定する実物教育の場としてつくられているなというものでした。ちなみに、現在の特別展は「大東亜戦争70年展Ⅱ 昭和17年ミッドウェー作戦~昭和18年」でした。
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靖国神社の外の歩道では、「新しい歴史教科書をつくる会」東京支部や「北朝鮮に拉致された日本人を救出する埼玉の会」などがビラをまいてアピールしていました。ビラの中には田母神俊雄氏が会長をつとめる会の「大東亜聖戦祭」のご案内というのもありました。

ちょうどこの日、靖国神社のすぐ近くの日本武道館で政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われました。安倍首相は式辞で、アジア諸国の人々への加害の反省と不戦の誓いを意識的に削除しました。そして、「天皇のおことば」です。
ここには日本遺族会の人々が多数出席していました。

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西川重則さんが代表を務める「平和遺族会全国連絡会」は午前中、韓国YMCA9階ホールで8・15平和集会「憲法を活かしてアジアの平和を創ろう」を持ちました。100人近い人々が参加しました。

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西川さんが『アジアの視点に立って「憲法改正」・靖国参拝問題を問う』という演題で講演をしました。

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西川さんは講演の中で、1986年7月7日に平和遺族会を結成した意義に触れました。その前年の8月15日に中曽根首相(当時)と閣僚らの戦後初の靖国神社「公式」参拝が強行されたこと、本格的な中国侵略戦争が開始された7月7日(盧溝橋事件)を結成の日にしたことなど。
西川さんたちは、日本遺族会の歴史観、天皇観に疑問を持ち、自分たちの肉親を奪ったあの戦争は、アジアの人々の生活を破壊し命を奪った侵略戦争だった、その戦争の責任は天皇を頂点とする軍国主義の指導者にあった、そして、その精神的な核が国家神道であり、侵略戦争遂行のために靖国神社が果たした役割は大きい、ということをはっきりさせて、日本の政府が再び戦争をしないよう最善の努力をしていこうと平和遺族会全国連絡会をつくったのでした。

戦争を体験している遺族の方たちは異口同音に「もう戦争はいやです」と言っています。けれども、靖国神社は戦後ずっと、その遺族らの悲しみにすり寄る形で、戦死者を英霊にすることで、戦争を遂行した国家や天皇の責任をあいまいにさせる役割を果たしてきたのだと思います。
それだけではなく、西川さんが「有事法制下の靖国神社」と指摘しているように、これからの戦争に備えて過去の戦争を美化し国防思想をつくりだしていく、そういう役割も果たしている、という思いを強くしました。(S)