とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

カテゴリ: 沖縄

山梨からの報告です。
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7月16日、百万人署名運動の主催で、大月キリストの教会で「沖縄、再び戦場へ(仮)」スピンオフ作品上映会を開催しました。地域の仲間が久々に集まり、急速に進む沖縄の島々の「軍事化」への島民の危機感と闘いを共有。「あきらめずに戦争絶対反対の声を上げ続けること」の大切さを確認しました。
なお、山梨・郡内地域では6月22,23日(都留文科大学生協主催)に続く2度目の開催です。大学では「作品資料」を使った事前学習会も行われました。

大月
以下、参加者のアンケートより。
● 人々の思いを全く無視して強行されている。そのことが全く国民に知らされていない。島民の命も国民のことも虫ケラのようにされている。
● 国民を守るはずの自衛隊、警察官が国民の感情を無視している。沖縄は本当に戦時下なんだと思った。
● 沖縄ではもう戦争が始まっている。この動画をみて、私の認識は甘かったと痛感。明日から沖縄の新聞を購読します。
● 避難シェルター建設に対し、それは正に戦争の準備であり、その前に戦争を起こさないための努力をすべきではないか、という沖縄市民の皆様の主張に感動した。
● 弾薬庫やミサイル、軍事演習、避難訓練などに反対していない人々の発言から、戦時中の天皇絶対、非国民はダメだ、と同じマインド、戦争が始まってしまう考え方、心ができてしまっている人がいると感じた。
● 一番の危機感は、南西諸島の次は富士山にミサイル基地が作られる国の計画があるということ。最近の沖縄の状況を見て、すでに後戻り出来ない、ただならぬ事態になっていること。

上映会に取り組もう

今回、上映会開催へ背中を押してくれたのは、三上監督からの熱い呼びかけです。
「映画の公開まで待てない、刻々と変わっていく沖縄の状況と危機感を共有していただきたい」、「5人でも10人でもいいので見る会を開催してほしい」、「観客として見るのではなく、私たちが必死で渡す情報を受け取って、皆さんも地域に発信するサテライトになってほしい。平和を作る力のある人たちを揺り起こすツールにしてほしい」。(公式HPより。一部要約)

45分間の映像には、弾薬庫建設やミサイル搬入を身体を張って阻止する宮古島の人々、シェルター建設の政府方針に反対し「沖縄を戦場にしないで」と訴える市民、生活の場に次々と乗り出していく戦車、分断される住民たちの苦悩、ミサイル避難訓練に抗議する住民/参加する住民/動員される自治体職員、何度踏みにじられても立ち上がり、戦争に反対し続ける沖縄の人々の姿が次々と映し出されます。説明がほとんどないためか、見る者に「あなたはどうするのか?」と迫ってきます。

上映費用はDVDを返却する郵送代のみ。公式HP(https://okinawakiroku.com/)からダウンロードできる「作品資料」には三上監督のあふれんばかりの思いが詰まっています(郡内では参加者に配布)。
申し込みは公式ホームページからできます。貴重な映像を無償で提供してくれる三上監督の思いに全国から応えましょう。(郡内地区連絡会 T)


6月19日付琉球新報の一面に「国は住民守らない」という見出しで、宮古島市の平良長勇さん(84)へのインタビュー記事が掲載されていました。沖縄地元紙でなければ目にできないであろう見出しに、戦争体験者の率直な実感をかみしめました。

記事の書き出しは、宮古島保良区での射撃訓練の「パンパンパン」という射撃音からです。住民の反対を押し切って建設が強行された陸自宮古島駐屯地は、2019年3月に開設され、現在、集落内を大型の自衛隊車両が行き交って、弾薬庫のある保良訓練場で射撃訓練が行われているのです。

沖縄戦を体験された平良さんは、保良集落に射撃音が鳴り響く"軍事"の日常化が、かつての日本軍に軍事要塞化された島の姿と重なると言われました。
宮古島
平良さんは、5歳のころ、日本軍の弾薬の爆発で大怪我をしそうになったことがあります。その後も焼夷弾によって家が焼かれ、その体験から、「軍隊が近くにあることで住民は危険にさらされる」と実感を持って語られています。
だから、弾薬庫は中国からの攻撃に備えるためという国の言い分に対して「違う、弾薬庫があるから標的になる。何もなければ、こちらを攻撃する理由はなくなる」と怒り、2019年に始まった陸自の弾薬庫建設に対して、資材搬入の出入り口付近座り込んで反対を訴えられました。

そして、「戦時中は『沖縄のため、宮古島のために戦いなさい』と日本兵から何度も言われた。しかし、日本兵が守ろうとしたのは国土であって、住民の命ではなかった。」と言われ、「戦争をしたら、軍事産業に関わる人たちはもうかるだろうが、庶民は必ず貧困になる。『国民のために』とよく言うが、戦争とはいったい誰を守るためのものなんですか」と疑問を投げかけています。

平良さんの訴え、戦争体験者の証言こそ歴史の真実です。
沖縄での旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を迎え、沖縄戦を繰り返さない、政府に戦争をさせないと決意をあらたにしたいと思います。(S)


「辺野古への基地建設を許さない実行委」主催の防衛省抗議行動(毎月第一月曜日18時30分~)、2023年1月は4日(水)に行われました。新年早々の行動でしたが、80名ほどがかけつけました。
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沖縄と連帯して闘う5団体(一坪反戦地主会関東ブロックや立川自衛隊監視テント村など)が申し入れ。申し入れ書を読み上げて防衛省職員に手渡しました。
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沖縄現地からは山城博治さん(ノーモア沖縄戦命どぅ宝の会・共同代表)が電話で新年アピール。
山城さんは、沖縄の島々へミサイルや戦闘機の配備が急ピッチで進んでいる現状に対し、台湾有事をあおる政府の「一定の防衛が必要」論による全国世論の反応の鈍さに「暗たんたる思い」と言われながらも、しかし、岸田内閣の大軍拡に「国を亡ぼす道だと怒りでいっぱいだ」「反戦の闘いを強め、戦争国家への動きを止めるために努力しよう」と訴えました。
沖縄・南西諸島を戦場にするな!日米の中国への戦争反対!の声を強めましょう。(S)
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●1月27日(金)に日比谷野音で、下記のような沖縄との連帯集会が予定されています。

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11月10日(木)から、日米共同統合演習「キーン・ソード23」が開始されました(19日まで続く予定)。自衛隊約2万6000人、米軍約1万人を動員し、英軍の艦艇やオーストラリア軍、カナダ軍の艦艇、航空機も加わるという大規模なものです。日本全国で実施されますが、沖縄を含む南西諸島では島しょ作戦を織り込んだ大規模訓練が計画されています。
(11月9日付琉球新報より)
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今回の演習では、民間港湾の軍事使用が大胆に強行されています。
11月8日、防衛省がチャーターした民間船舶で、沖縄本島の中城湾港に自衛隊車両73台、隊員191人が運び込まれました。そして、陸揚げされた車両は一般車両に交じって国道58号を走行して各基地に移動していったのです。

現地では、こうした民間港、また一般道を戦争訓練として使っていることに大きな抗議の声が上がっています。
(11月9日付琉球新報より)
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いま、岸田政権は、港や空港など公共インフラを「有事の際に使えるようにするべき」と議論を進めています。特に、対中国の戦争を構えて南西諸島の民間空港や港を自由に使えるようにと、こうした訓練での使用に踏み出しているのです。とんでもないことです。全国から防衛省に抗議していきましょう。(S)


今回の演習で行われようとしている大規模な「島しょ作戦」とは?(新聞報道の内容より)

*自衛隊は17、18の両日、福岡県の築城基地から与那国空港へ航空自衛隊C2輸送機で輸送訓練を実施、105ミリ砲を搭載する16式機動戦闘車を運び込む。
*与那国駐屯地には米海兵隊と自衛隊が現場で認識共有を図る連絡調整所を設ける。最新鋭の16式機動戦闘車を与那国町の公道で使用する計画。
*米軍那覇港湾施設(那覇軍港)と米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザ―)は一体的に日米共同の後方拠点と見立てる。米陸軍揚陸艇から軍港に陸揚げしたコンテナを日米でキンザ―に運び込む。
*米軍の嘉手納基地と東京都の横田基地では米空軍輸送機C17で自衛隊の中距離地対空ミサイルやトラックを輸送する。
*米軍普天間飛行場とキャンプ瑞慶覧海軍病院、自衛隊那覇病院は医療拠点となり、13~17日に患者輸送訓練を行う。米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイで自衛隊の負傷者を鹿児島県奄美駐屯地から普天間へ、自衛隊ヘリは米軍の負傷者を那覇基地へ運ぶ。
*知念分屯地では、自衛隊が車載型ネットワーク電子システムを使って統合電磁波作戦を訓練する。四国沖で予定される日米共同の対艦攻撃訓練などと連携予定。
*北大東村の沖大東島射爆撃場には日米が戦闘機や護衛艦、ヘリから実弾を撃ち込む。
*鹿児島県の奄美大島では自衛隊の地対艦誘導弾と米軍の高機動ロケット砲システム(ハイマース)を展開する。
*徳之島では、南西諸島で初めて日米のオスプレイが連携して訓練する。



10月25日、大坂正明さん(73歳)の第1回公判が東京地裁で開かれ、大坂さんは「無実であり無罪です」と起訴内容を全面的に否定しました。デッチ上げ指名手配後50年の時を経て発した命の言葉だったと思います。

大坂正明さん救援会からいただいた大坂さんの意見陳述を紹介します。
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【10月25日 第1回公判における大坂正明さんの意見陳述】

               被 告 人 意 見
                                                                                                2022年10月25日
東京地方裁判所刑事第4部 御中
                                                                                           被告人 大坂 正明

1 第-に、私は五つの罪名で起訴されていますが、すべての容疑についてその事実はありません。したがって無実であり無罪です。
 証拠とされているものは、当時の参加者の供述調書であり、それは取調べを行った官憲による創作文でしかありません。
 取調べが長時間であったリ、大声で恫喝されたり、あるいは誘導によって、取調べ官が作ったストーリーを当事者自らが語ったという形にさせられたものなのです。
 そうしなければ取調べが終わらないのです。だから嘘を承知で指印を押しているということです。そうした実態は星野文昭さんや奥深山幸男さんの公判で供述者当人が証言していることから明らかです。
 調書に自ら指印を押しているから正しい内容だというのは詭弁です。
 このような供述調書には証拠としての価値はありません。

2 第二に、この創作された供述調書をもとにして、星野文昭さんは、無期懲役の判決を受け、44年間の獄中闘争の末、杜撰な刑務所医療によって無念の死を強いられました。
 供述者本人がその調書の内容を否定したにもかかわらず、それを無視し、官憲が創作した調書のみを根拠として下した判決はあまりにも不当です。
 これは裁判官が「有罪ありき」として下した政治的判決に他なりません。このような不公正で理不尽な判決は許されるものではありません。

3 第三に、1971年11月14日の闘争は沖縄返還協定批准に反対するものでした。11月10日に沖縄で打ち抜かれた全島ゼネストに連帯して闘われたのです。この返還協定の是非が全社会的に問われていたことを認識してもらいたいと思います。
 その協定の内容とは、沖縄県民が望んだ「核抜き・本土並み」とはかけ離れた、在日米軍墓地の沖縄への集中と、自衛隊基地の新設だったのです。これでは平和の島にするのではなく、永久に基地の島となってしまうのです。
 その時私たちが指摘したことの正当性は、半世紀後の今日、沖縄の現実によって証明されています。今や沖縄には在日米軍墓地の70%以上が集中し、ミサイル基地網が作られているのです。沖縄は今、再び戦争の最前線に立たされようとしています。そうした政府の攻撃に対して、辺野古では新基地建設に反対し、連日多くの県民が立ち上がっています。沖縄では「命こそ宝」と言われ、平和の島になることを望んで、どれほど金を積まれてもそれを拒否して、基地と闘う人々が多数存在しているのです。
 このような沖縄の現実と、これを生み出した返還協定を顧みるならば、返還協定に反対した私を裁くことは不当です。本来裁かれるべきは政府の沖縄政策であり、政府そのものだということを強く訴えます。

4 第四に、公訴事実に関してはすでに時効が完成しているということです。奥深山幸男さんが病気から回復することが不可能だと分かっているにもかかわらず、将来的に回復困難であれば手続から解放すべきという最高裁判例を無視し、行うべき判断を回避し続けるという裁判所の不作為によって、この不正義はひきおこされました。奥深山さんは、起訴されてから亡くなるまで45年間、公判停止されてからでも36年間も被告席に縛り付けられたのでした。奥深山さんの主治医は一貫して回復囲難な統合失調症と診断していたにもかかわらず、私の時効を止めたままにしておくために、私に対して刑罰権を行使するために、裁判所は奥深山さんに対する判断をあえて下さなかったのです。
 そのために私は46年間の長きにわたり、指名手配を受け続け、家族にも会えない生活を強いられました。そして、今、51年前の事件について裁かれるという、前代未聞の裁判の当事者という立場を強いられています。証拠は散逸し、防御権の行使も十分にできません。
 1994年に奥深山さんの免訴申立ての際に、奥深山さんについて裁判から解放していれば、全ての公訴事実に関して時効は成立していました。このような裁判所の不公正な不作為をここで正していただきたい。

5 第五に、今日台湾をめぐり、日米と中国が対立を深め、挑発しあって一触即発といった危険な状況が生み出されています。もし戦争が開始されると、沖縄のミサイル基地などが真っ先に攻撃されます。そうなると沖縄は再び「捨て石」とされてしまいます。沖縄県民は不屈に反戦・反基地を闘い続けています。私が半世紀前に抱いた沖縄県民に応えようという気持ちは、今もまったく変わりません。だから沖縄県民の闘いに連帯して、私はこの公判を反戦・反核・反改憲を訴える場として闘います。
                                以上


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