とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

カテゴリ: 沖縄

年末年始にかけて、沖縄の渡嘉敷島や座間味島で米軍の低空飛行の目撃が相次いでいます。新聞報道によれば、1月6日には5機の低空飛行がありました。目撃前の時間帯に嘉手納基地からMC130特殊作戦機5機が離陸しており、この機体が低空飛行をしていたとみられるとのこと。目撃した住民らは「島に突っ込んでくるようだった」と恐怖と怒りの声を上げています。
(1/7付「琉球新報」より)

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また、同日、本島の嘉手納基地では米海兵隊岩国基地所属のFA18Dホーネットが緊急着陸するなどし、周辺に大きな騒音をまき散らしています。(上の記事下を参照)

さらに、米軍普天間基地では5日、6日と垂直離着陸輸送機MV22オスプレイなどが午後10時を超えて飛行し、周辺住民からは「1日中爆音だ」「眠れない」と宜野湾市に苦情が寄せられています。
(1/7「琉球新報」より)
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そのすぐ下には、名護市安和での辺野古埋め立て用土砂の搬出準備作業が強行が報じられていました。

こうした基地被害に対し、周辺住民は長い間、米軍機の飛行差し止めや騒音被害の賠償を国に求めて闘い続けてきました。しかし裁判所は、第2次普天間爆音訴訟に対し、過去に生じた騒音被害にだけ賠償責任を認める一方、将来分は認めず、ましてや「飛行差し止め」については「管理権は日米安全保障条約や日米地位協定上、米軍にあり、国が制限できる立場にない」と棄却(福岡高裁)。そして、住民らの上告に対し、昨年7月8日、最高裁は住民側の上告を退ける決定をしたのです。

しかし、あきらめません。昨年末の12月25日、住民らはこれまで以上の原告団を結成し(4182人。2002年第1次は200人)、那覇地裁に第3次普天間爆音訴訟を提訴しました。
(昨年12月26日付「沖縄タイムス)

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報道によれば、原告の過半数が40代以下とのこと。緑ヶ丘保育園や普天間第二小学校への米軍ヘリの部品落下事故により「騒音だけではなく、飛ばさないようにしないと意味がない。」と子育て世代が原告に多く参加しているそうです。

「日本国憲法の上に日米安保、日米地位協定がある」とするのはおかしいのです。それを基本的な政治姿勢として押し通してきている日本政府に対し、子どもたちの命を守ってください!と若い世代が立ち上がっています。

首都圏でも、厚木基地や横田基地周辺、またオスプレイの飛行訓練が開始された木更津基地周辺などで、基地被害、命の危険が一気に強まっています。
私たちも、沖縄の闘いに学び連帯して、こうした問題への取り組みも強めていきましょう。(S)



2018年12月14日、政府が辺野古の海に土砂投入を開始してから2年が経ちました。工事車両や土砂を積み込んだ車両が入るキャンプシュワブゲート前、土砂を搬出する安和(あわ)や塩川の港では連日、人々が工事車両の前に立ちはだかって「辺野古の海を埋めるな!」と声を上げ続けています。
この闘いに連帯して、12月14日夕方、首相官邸前で「絶対許さない!!」と抗議集会(主催:辺野古への基地建設を許さない実行委)が呼びかけられ、参加してきました。
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集会が始まるまで、「ここに、座り込め」などをみんなで唱和。
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午後6時30分、抗議集会は首相官邸に向けた「チャースガ」コールでスタートしました。(「ちゃーすが」は沖縄の方言で「どうしましょう!」というような意味だそうですが、ちゃー「すが」と菅首相に怒りを叩きつけるコールとなっています。)
「マヨネーズ状の上に基地はできない!ちゃーすが!」
「震度1で基地は崩壊!ちゃーすが!」
「菅さん説明しろ!ちゃーすが、ちゃーすが!」

そのあと、2018年から官邸前でスタンディングを続けている方や宗教者の方、辺野古工事を請け負っている大成建設に抗議し続けている方などからのアピールが続きました。
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途中、沖縄現地からオール沖縄会議共同代表の高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)からの電話アピールがありました。
高里さんは「ゲート前や安和・塩川では、コロナ感染予防策をとりながら強い意志で座り込みや監視行動が続けられている。9300億円もの辺野古予算はコロナ対策に活用すべきだ。12月11日に大浦湾に埋め立て用土砂を蓄積する大型船が設置され、埋め立て工事を加速させようとしており許されない!」と訴えられ、さらに、SACO合意での「基地の負担軽減」は枕ことばで「日米同盟関係を強化する」が実態。1995年の少女暴行事件から続く基地被害、女性差別、自然破壊、子どもたちの上に戦闘機の部品が落下するなど生活が脅かされてることにつながっていることに、「決して許さない!と決意している」と述べられ、闘いのなかで亡くなられた方々の遺志を継いで闘っていこうと訴えられました。
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最後に主催者から、来年1月4日(月)午後6時30分からの防衛省正門前抗議行動などへの参加が呼びかけられました。沖縄現地の闘いにつながって東京での闘いを強めなければと思いました。(S)


2017年12月7日、沖縄の緑ヶ丘保育園に米軍ヘリの部品が落ちてきました。幸い屋根の一部にあたって怪我人はありませんでしたが、あと50センチずれていたら子どもたちにあたっていたかもしれず、背筋の凍るような出来事でした。

その事故から3年目の今年の12月7日、東京・文京区民センターで緑ヶ丘保育園のみなさんとの交流集会が開かれ、90名が参加しました。緑ヶ丘保育園のお母さんたちの活動を広く知らせようと「チーム緑ヶ丘1207」活動報告DVDの販売拡大に取り組んできた改憲・戦争阻止!大行進実行委「チーム緑ヶ丘1207」支援プロジェクト(百万人署名運動も参加)の主催です。
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コロナ感染が広がる中でオンライン映像での交流会となり、支援プロジェクトのメンバーにとっては初めての試みでしたのでどうなるか不安でしたが、何とか沖縄と映像がつながり有意義な交流集会となりました。

集会では、最初に緑ヶ丘DVDを短くまとめた「チーム緑ヶ丘1207のあゆみ」が上映され、その後、緑ヶ丘保育園と映像を繋げて、神谷園長やお母さん方からのお話をお聞きしました。
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上の「なんでおそらからおちてくるの?」というのは事故当時に子どもたちが発した言葉だそうです。雨しか落ちてこないはずの空から怖いものが落ちてきたのです。神谷園長は私たちに、これに私たち大人はどう答えることができるでしょうかと問いかけました。そして、パワーポイントを使いながら、3年前の12月7日の部品落下事故のこと、目の前の普天間基地のこと、お母さんたちの活動のことなど詳しく説明してくださり、雨以外に何も落ちてこない平和な空にするために、一緒に声を上げて行動を起こしていきましょうと呼びかけました。
(下の写真は、12月8日の琉球新報記事より。緑ヶ丘保育園側にて)
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神谷園長やお母さんたちのお話の中で、印象的だったことをいくつか紹介します。

ドーンという衝撃音、屋根の上で跳ね上がる物体を何人もの人が目撃、同時刻に園上空をヘリが飛んでいる写真もある、近くの収音機にも音が収まっている。それなのに、米軍は翌日の8日に、落下物はCH53の部品だと認めましたが、部品は全部回収しており飛行中の機体からは落としていないと言い張りました。政府も「ああ、そうですか」と言わんばかりの状況。これには大変驚かれ、おかしいと思われたそうです。

そうした中、神谷園長とお母さんたちは動き出します。子どもたちに怪我がなかったからよかったではすまされない、だんだんワジワジしてきたさーって声が上がり、3日後の緊急父母会で、全会一致で嘆願書作成、署名活動が始まっていきました。嘆願書の要望は、事故の原因究明及び再発防止、原因究明までの飛行禁止、米軍ヘリの保育園上空の飛行禁止の3つです。
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事故から6日後に、今度は保育園から1キロほどにある普天間第二小学校の校庭に7.7キロのもの(ヘリの窓枠)が落ちました。事故当時、下の娘さんが緑ヶ丘保育園に通い、息子さんが普天間第二小学校に通っていたお母さんは「怒りともどかしさと言いようのない感情の涙があふれて止まらなかったです。私たちはすぐに子どもたちを守りたいって声を上げました。回れるところをすべて回って要請して、保育園上空を飛ばないでとお願いしました」と語りました。
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神谷園長は、つらい体験として、保育園に誹謗中傷のメールが次々に送られたり、朝早くから嫌がらせの電話がかかってきたことを話されました。内容は、自作自演だろうとか、保育園は基地がつくられる前からあったのかとか、好き好んでそこに住んでいるんだろうとか、ひどいものばかりでしたが、神谷園長はその言葉に、普天間基地がどのようにつくられたか知らない人たちだと思うと言われ、普天間基地の歴史について触れられました。

神谷園長が示された1944年9月の米軍が上空から撮影した写真には普天間基地はなく、美しい琉球松の並木道が写っていました。1945年4月1日、米軍が沖縄島に上陸。まもなく米軍は琉球松を伐採していきます。そして、滑走路がつくられていくわけです。戦争が終わって、収容所から解放され、疎開先から沖縄に帰ってきた宜野湾の人が戻ってきたらそこは滑走路になっていたのです。しかたなくみんな自分の土地の近くに住むしかなく、滑走路を中心に宜野湾復興がなされていったのです。神谷園長もこの宜野湾市に生まれ育ってこられました。

現在は約10万人の宜野湾市です。
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ちなみに、普天間基地は東京ドームの約103個分の大きさとのこと。宜野湾市の1/4を占めています。

神谷園長は、「米軍は何のために1700メートル級の滑走路をつくったのか、沖縄戦の後に本土決戦を考えていたわけでしょう、そのために居座ったわけでしょ。でも、普天間飛行場は使われず、1962年までほとんど使われてなかったんです。普天間飛行場が使われていくのは復帰後です。復帰後に岩国や岐阜など大和から基地や海兵隊が来ていろいろ活発になっていったのです。」と言われました。私たちはこうした事実についてもっと知っていかなければならないと思いました。

もう一つ、飛行ルートのこともデタラメさも衝撃でした。
2004年1月に普天間基地のすぐ近くにある沖縄国際大学に大型ヘリの墜落事故がありましたが、その後、普天間飛行場の飛行ルートが新たに整備されて公表されるようになったそうです。その中では、緑ヶ丘保育園の上空も普天間第二小学校の上空も飛行ルートではないのです。しかし、米軍の飛行ルートを観測している沖縄防衛局のデーターでは、あたかも飛行ルートであるかのようにこれらの上空を飛んでいるのです。現実にはこの飛行ルートがまったく守られてないということです。

神谷園長、お母さんたちが口を揃えて言われていたことは、「事故から3年たったけれども、状況は何も変わっていません」ということでした。むしろ、外来機が多くなったり、騒音がひどくなったりで状況はひどくなっているそうです。
この集会当日も保育園の上空をF15ジェット機が2機続けて飛んで行ったそうで、その映像も流されました。保育園の建物の中でも耳をふさがないと痛くてたまらないほどの轟音と、怖いよという声が聞こえました。
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現在、小学校4年生の息子さんと6歳の娘さんがいるお母さんは、「チーム緑ヶ丘1207」の活動でこの3年間子どもたちに寂しい思いをたくさんさせてしまったという思いを語りながら、「国が動かないから、子どもたちとの時間を削って私たちが動かないといけない。3年たった現在でも、子どもたちは毎日毎日危険にさらされています。なので、私たちも立ち止まることはできません。」と言われました。その思いが胸に突き刺さりました。

神谷園長は、嘆願書をもってお母さんたちと沖縄防衛局、宜野湾市長、宜野湾市議会、外務省沖縄事務所、米国領事館、沖縄県庁に要請に行き、さらに東京の政府にも要請に行ったことを報告されました。しかし、いまだ保育園の上空を米軍機が飛び続け、いつ、なにが落ちてくるかわからない状況です。
神谷園長は「県知事選、県民投票、沖縄で何度民意を表しても解決しないということは、これは沖縄の問題ではないということです。これは大和の問題です」と言われました。そして、「皆さんの立っている場所から声を上げ行動を起こしてほしい」と訴えられました。

東京の参加者からも、羽田低空飛行に反対している皆さんや、横田基地に反対して上映会運動に取り組む方などから連帯の発言があり、最後に神奈川大行進呼びかけ人の野本三吉さんが「チーム緑ヶ丘1207」の皆さんの思いを受け止め、一緒に声を上げていくことを伝えました。
交流集会おわりに、東京と沖縄でエールの交換!
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●緑ヶ丘保育園のお母さんたちから、事故から3年目を迎えるにあたってユーチューブで講演会を配信しているとのお知らせがありました。ユーチューブの「チーム緑ヶ丘1207更新中」というチャンネルで検索してください。12月12日の20時からは、このチャンネルで「ことりフェス2020」をオンラインで開催するそうです。ぜひ、ご覧ください。(S)


12月3日(木)正午から、星野文昭さんを獄死させた法務省の責任を追及するデモが呼びかけられ、参加しました。約100人が駆け付け、日比谷公園霞門から星野さんの遺影を掲げてデモに出発。
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霞門を出てすぐに右折してまっすぐ進むと、まもなく法務省前です。
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「星野文昭さんを殺したのは法務省だ!」「法務省は虐殺の責任を取れ!」と弾劾のシュプレヒコールを叩きつけました。
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この日の午前中に、東京地裁で国賠訴訟の第3回口頭弁論が行われました。
星野文昭さんがなぜ獄死することになったのか真実を解明し、徳島刑務所と東日本成人矯正医療センターの責任を追及するために、お連れ合いの暁子さんと文昭さんのご兄弟が今年の2月に提訴した国家賠償請求訴訟です。

昨年5月30日、東日本成人矯正医療センターで肝臓がんの切除手術を受けて2日後に星野文昭さんは帰らぬ人となりました。予期せぬ最悪の事態に誰もが言葉を失いました。
そして、その後明らかになったことは、医療センターでの星野さんの手術体制があまりに無責任であったことです。切除腫瘍が14㎝×11㎝×9㎝ 、重さ1700gもあった大変な手術なのに、手術後担当医は帰宅してしまい異変が生じた星野さんが放置され続けたこと、そもそもこうした大手術ができる施設ではなかったのではないかということです。さらに、徳島刑務所で星野さんが体調不良を訴えていたにもかかわらずきちんとした治療がなされなかったことなどもあります。

しかし、こうしたことに国側は居直っているとのことです。許せません。法務省に対し、「受刑者の命を守れ!」「受刑者に医療を保障しろ!」と訴えました。

また、星野文昭さんと共に闘い、でっち上げ逮捕されている大坂正明さんはすでに3年以上も勾留されています。その中で、ぜんそくや持病、特に鼻ポリープで鼻呼吸ができず苦しんでいるそうです。さらに「大坂さんは無実だ!」「鼻の手術をさせろ!」と訴えました。

デモ解散地で、全国再審連絡会議共同代表の狩野満男さんは、「法務省を徹底的に弾劾し責任を取らせよう」「一人ひとりが星野となろう、星野さんの遺志を引き継いで職場・地域で闘っていこう!」と力強く呼びかけました。国家権力の横暴、犯罪を暴き、人間が人間らしく生きられる社会をめざして闘っていきましょう。(S)
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千葉からのお便りです。
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いま、「百万人署名運動・千葉」は「改憲・戦争阻止大行進/千葉」と共に“オスプレイ木更津基地暫定配備撤回”の街頭署名活動に取り組んでいます。7月に続けてオスプレイ2機が木更津基地に配備され、11月にも千葉県内全域だけでなく首都圏での飛行訓練が始まると言われています。

そうした緊迫した情勢の中、百万千葉として独自に4回目の公開学習会を10月4日(日)午後2時から千葉市のDC会館で開催しました。独自のビラ等を作って、街頭宣伝行動を積み重ねて当日を迎えました。当日は20人を超す参加がありました。

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今回の学習講演会のテーマを「南西諸島軍事基地とオスプレイ」とし、①「宮古島からのSOS」(森の映画社、60分)の上映、②久木野和也さん(百万・賛同人)のお話「コロナ下で変貌する自衛隊」の2本立てで、「イ―ジスアショア」導入を断念した後に「敵基地攻撃」論を突如として打ち出し、ミサイル防衛体制の変化の中での木更津基地へのオスプレイ配備の問題を学習しました。

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メディアがあまり報道しない中で急速に進む南西諸島のミサイル基地化、対中国戦略の変化の中で突然のように浮上した「敵基地攻撃」論、安保法制後に露骨になってきた自衛隊とアメリカ軍の一体的行動、特に、日本の軍事戦略が増々アメリカ軍と共同作戦、共同訓練、共同行動化しつつある現状について、講師からリアルな実態報告があり、慄然とさせられました。さらに行動を強化しなければと決意を新たにさせられました。
(南西諸島の軍事基地化)
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最後に、今後の行動として、①「オスプレイはいらない」の署名行動を中心に、「10日行動」(7月10日にオスプレイが木更津基地に強行配備。以降毎月10日に各地で抗議行動をしている)に一斉行動を、②オスプレイ飛行訓練反対の集会に参加しよう、③それらの行動を通じて11・1労働者集会の成功をかちとろう、との提起を全体の拍手で確認しました。
横田・木更津の東西でオスプレイはいらない、飛行訓練反対の闘争強化を訴えて報告にします。(百万人署名運動・千葉 S)


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