とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

カテゴリ: 反核

2月16日(第3金曜日)午後6時30分、官邸前で多摩川太鼓が打ち鳴らされ、原発いらない金曜行動が開始されました。
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能登半島地震から1か月半も経つのに、被害者の生活は破壊されたままです。この上もし、志賀原発が再稼働されていたらどうなっていたか。参加者は口々にその危険性を訴えました。

たんぽぽ舎の柳田真さんは「能登半島でマグネチュード7.6という大きな地震がおきた。同じことが東京に一番近い東海第二原発近くで起きていたらどうなるか。配管が全部切れて、数時間後には東京に放射能が来る。東海第二原発は出力110万キロワット、福島原発と同じ沸騰水型で福島の2.5倍の巨大な原発だ。茨城県にも"地震の巣"がある。東海第二は今年の9月に再稼働されようとしいる。何としても東海第二の再稼働を止めたい。地震は止められないけど、原発は止められる。」と訴えました。
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「福島県原発被害」東京訴訟原告団長の鴨下祐也さんも参加されてアピール。鴨下さんはまず「皆さんの力で本人尋問を乗り切り、傍聴席があふれた力で裁判打ち切りを先延ばしにした」と、1月31日に行われた避難住宅追い出し訴訟「本人尋問」裁判傍聴へのお礼を述べられました。この裁判は2022年2月に、東京都が鴨下さんだけに避難住宅の明け渡しと損害賠償を求めて起こしたもので、見せしめ的で許せない裁判です。
鴨下さんはさらに、福島原発被害東京訴訟裁判の昨年末12月26日の東京高裁の不当判決への憤りを語られた。「高裁は、地裁で認めた国の責任を否定した。原発政策が国に責任がないとは考えられない。やれることがあったのに国はやってこなかったのだ。最高裁で国に責任ありと認めさせたい。全国の訴訟と連携して、原発を止めたい」と。
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福島原発事故は終わっていません。何が「復興」だ!と怒り、くやしさがわきます。国は「安全だ」と言って原発を強制し、「想定外」と言って責任をとらず、福島県は安全を求めて県外に避難した人たちを「期限が来たから」と追い出し、東京都は生きていく場を奪いながら賠償金を求めて避難者を訴えるとは!!!
鴨下さんらと共に、こんな理不尽なことをする岸田・自民党政権、小池・東京都を弾劾し抜いて、国・東電に福島原発事故の責任を必ずとらせましょう。(S)


テントひろばの座り込みに参加している仲間からの報告です。

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能登半島地震と日航機炎上・海上保安庁機炎上死亡事故で今年が明けた。イスラエルによるガザへのジェノサイドは続き停戦どころか攻撃はより強まる中での新年だった。年末年始もなく経産省前の抗議行動は続けられて、1月5日、金曜行動を強化して「新春抗議行動」になった。集った人は約60人。
交流

第一部 経産省前テントひろばの抗議行動(15時~16時)
毎年、南京玉すだれが披露されるのだが、今年は演者がインフルエンザのため中止になり、代わって、織田和也さんのオープニング音楽から始まった。抗議のシュプレヒコールのあと、下山さんが発言しパレスチナ問題について話した。「許してはいけない、何とか止めたい!」と。

続いて三上さん。テントひろばの存在と8月から始まった原発汚染会の海洋放出阻止の闘いの意義について話す。とりわけ、福島県浪江町請戸川河口の海岸にテントを建てて、吉澤さんを中心にして現地での抗議行動を開始した意義を話した。
三上開会あいさつ
そのあと、しゃべりたい人がいろいろな問題について話す。

石川県・志賀町の「北陸電力志賀原発に反対する命のネットワーク」の藤岡彰弘さんからのメッセージが紹介された。志賀原発の被害が過少に打ち出されていることを糾弾。これから日がたつにつれ、もっと被害が大きくなるに違いない。

第二部 請戸川河口テントひろばの闘いの報告(16時~17時)

吉澤正巳さん(浪江町希望の牧場)が参加して発言された。吉澤さんは、8月以来の「請戸川河口テントひろば」の闘いについて次のように発言された。

「汚染水を流す前の5月に福島第1原発から6㎞のとこでとったクロソイから、国の食品安全基準の180倍の1万8千ベクレルの放射性セシウムを検出した。そういう魚が湾内に泳いでいるということ。汚染水が放出されるなら自分たちで魚の線量を調べなければならない。どうしたらいいか。自分たちで魚を釣って、それを放射能検査しようということで、釣り大会を始めた。釣りは難しくてなかなか釣れない。でも、釣った魚の検査は東大の小豆川先生が調べてくれて67種類の放射性物質を調べてくれた。セシウム137、カリウム40が検出されている。水俣を忘れてはならない。50年たっても福島の汚染は続いている。だから、われわれは自分たちで調べる。
5日吉澤吠える
福島県富岡建設事務所に対して、放射能検査のために魚を釣るので浜を使用する許可を求めたところ、富岡事務所は「どうぞご自由に使ってください」と快諾した。ところが後になって使わせないと、警告や指示を何回も言って来たが私たちはがんばっている。経産省前テントひろばのみなさんが請戸に来て一緒に闘ってくれている。正月にも初日の出を拝みながら今年もがんばろうと誓った。

能登の大地震と日航機の炎上が起こった。3.11は終ってない。大津波も原発事故もまた来る。われわれはその覚悟か必要だ。東京も安全ではない。関東大震災から100年で東京も安全ではない。ゴジラの映画は明日はわが身だということを示している。」

吉澤さんは10分間渾身の声で吠えるように発言されたあとシュプレヒコール。
汚染水放出をやめろ!
福島をの海を汚すな!
福島の魚は食べられないぞ!
汚染水はタンクにためろ!
3.11はまたやってくるぞ!
原発の時代を終わりにしよう!

そのあと、請戸川河口テントひろばの行動に参加した人々から発言が続いた。

乱鬼龍さん:「能登半島地震、日航機炎上事故は政治の貧困をあらわしているので、こういう時代、政治を終わりにしていかなければならない。新しい時代に向かわなければならない。請戸では初日の出も見ることができた。1月2日には請戸漁協の出初式に対して、請戸漁港に行って、私たちの意思表示をしてきた。みんなの知恵と力を合わせて確実に前に進みたいと思う。」

佐藤さん:「請戸に行って来た。3回目だ。今回の大きな"収穫"としては、茨城県の大津漁協でコウナゴから高濃度の放射性物質が検出され(2011.4)コウナゴは出荷停止になった。漁協は放射性物質の測定結果文書を改ざんしたことに内部告発して解雇処分になった永山さんが請戸に来られたことだ。いま裁判中でその「事件」で動いた金についても資料などを持ってきて教えてくれた。もうすぐ判決も出る。そういう人とつながることができた。絆を深めて、浪江・請戸でがんばろう。」

石上さん:「安全な魚を食べたいというのは真実。だから調べる。請戸浜を使用させないという問題はこれから長い闘いになる。僕らは原告になるのか被告になるのかわからないけど、たとえ裁判になろうとも闘っていく。正月は天候は不安定だったが、雲の上から日の出を見た。能登半島地震は家に帰ってきて知った。大変なことだ。なんかの啓示だと思うのでしっかりやっていきたい。柏崎刈羽原発はカナダで一番大きなオンタリオ州・ブルース原子力発電所(建設のための準備に入った)を上回る規模だ。これを動かしてはならない。稼働取り消しを求めていこう。」

杉山さん:「1月2日に3人の新しい人が参加された。懸案事項は、県の富岡事務所が今日5日に浜のテントなどを撤去せよと言って来たこと。私たちは1日の夜にみんなで対策会議をして、文書で反論を提出することを決めた。それで、先ほど、県の富岡事務所と事務員の杉山として、回答の文書はいま検討中なので、1~2週間ずらしてくださいと伝えた。了解してもらった。裁判も含めて具体的な闘いを組んでいこうとなった。それで、請戸川河口テントひろばの第3回目の行動として、3.11を前にして、2月25日(日)13時から、双葉町産業交流センター(伝承館隣)で学習集会を持つことを決めた。講師などはまだ交渉中。請戸川河口テントひろばは独自の宣伝カーを使えるようにしたので、浪江の町の中でも宣伝もしていきたい。請戸に来て下さい。ボーン請戸川(民宿)は1泊300円です。」

ともすれば、汚染水の海洋放出に対してどのように闘ったらいいかと方向性を見失いそうになる。が、ところがどっこい、むしろ闘いが明確になって、みんな元気になっている。
いつもの守屋さんの歌とシュプレヒコールをもって、17時に集会を終えた。
新年最初の充実した抗議集会ができた。(テントひろば T)


●『民の声新聞』(http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-764.html)に、1月2日 請戸漁港での出初式に、吉澤さんら登場して共闘を呼びかけた記事が載っています。

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2011年9/11に「経産省前テントひろば」運動が始まって丸12年。13年目に入る前の8/24に岸田政権と東電は「事故原発の放射能汚染水」の海への放出を開始した。直後の9.11テント前大集会は日韓連帯の怒りの集会になりました。
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この日の行動は、午後2時にJR新橋駅前SL広場で、「放射能汚染水海洋投棄を中止せよ」と韓国・ソウルから86日間・1600kmを歩いて来られた李元栄(イ・ウォニョン)さん(前水原大学教授)ら「韓日市民徒歩行進」の皆さんたちとの合流から始まりました。ここに9/6に福島を出発してキャラバンをしてきた黒田節子さん(福島の女たち)や吉澤正巳さん(浪江・希望の牧場)も合流し、一団となって東電→経産省→衆議院議員会館へと歩道を行進しました。
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(写真はレイバーネットより)
東電前では「テントひろば」の木村さんが汚染水放出弾劾の抗議文を読み上げて東電に手渡しました。
議員会館では、陳情書などを手渡す要請をしておいた細田衆議院議長が入院となり、衆議院事務局・請願課の役人に手渡すことになったのですが、議員会館内では写真をとってはいけないそうで、大椿ゆうこ社民党参議院議員の部屋で代表7名が同席して陳情書と書簡集(道中記録)を手渡すことになりました。

経産省前テントひろばでは、韓日市民徒歩行進団の到着が遅れている中、午後3時から大集会が開始。テントからの挨拶を三上治さんがして、日本音楽協議会(日音協)の歌で元気よく始まりました。議員会館から早めに戻ってきた黒田節子さんも発言。黒田さんは放射能汚染水放出を糾弾してから「4日間だったがキャラバンをして、各地でフクシマと闘う人たちと合流できた。どこにも闘う人たちがいることがわかった。私たちはがんばる」ということを力強く話しました。

続いて、吉澤正巳さんが発言。福島・浪江・請戸現地での「魚を釣って自分たちで線量を調べよう」という行動、テントひろばと共闘して請戸浜で「テント活動」をすること、漁民たちと一緒に闘う努力をしていくことを報告してから、「こうして再び福島の切り捨てが始まるんだ。僕たちは請戸の磯から長期にわたる闘いを考えて闘って行こう」と、ほとばしる怒りと連帯を求める発言でした。
続いて、黒田さんと李先生に連帯して関西から参加された朴保さん(シンガーソングライター)の歌。聞く人の心を打ちました。
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その後、国会から戻られた人々が発言。京都在住で88歳になられる水戸喜世子さんは「李先生の行動に感動した。私たちがやらなければならないことをやってくださっている。李さんは闘いの原点、一人でも闘うことを教えてくれた。岸田が『科学的』を云々するがそれは『政治的』ということをさしている。岸田と闘って行こう」と言われた。李元栄さんの応援団で通訳もされた鍬野保雄さんも発言。落合さんの歯切れのいいメッセージに続いて、いよいよ李元栄さんのアピールです。
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李さんは、「原発汚染水海洋投棄を止めるためにここまで来た。原子力発電は電気と大量のプルトニウムを排出する核生産所である。核廃棄物を管理・処理する方法はない。どうしてそういうものをつくるのか。ドイツは原発をやめた。ドイツの科学者と日本の科学者の水準は同じだと思う。汚染水がいかに危険かということについて普通の知識人ならすぐにわかると思うが、日本の知識人はそれを無視していることを日本で行動してよくわかった。日本社会にとってこの問題は大きいと思う」と。そして、「国会には、陳述書や韓国人、日本人から寄せられた3000人のメッセージをUSBメモリーで提出した。この行進の目的の一つは日本の国会へ提出することだったので、その目的は達成できた。日本で脱原発の活動をする人に支えられてここまで来た。みんな一緒に闘えば汚染水放出を止められる」と言われて発言を終えられた。

集会第二部の「テントひろばはかくたたかえり」では、河合弘之弁護士、鎌田慧さん、福島みずほさん、木原壯林さん(若狭の原発を考える会)、山崎久隆さん(たんぽぽ舎)と発言が続きました。それぞれに原発汚染水放出を弾劾し、とめるために闘い続けようと訴えました。
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その後、日々のテントを支える毎日の座り込み当番からの1分間スピーチなどがあり、エンディングの「座り込めここへ」を合唱して大集会を終了しました。

更に7時から近くの日比谷図書文化館で、李元栄先生のお話「徒歩行進を終えて」があり、12周年のテント行動は、長い闘いの1日となりました。 (百万賛同人 N)

8月の「原発いらない金曜行動」が18日(金)に行われました(毎月第3金曜日夜6時30分~首相官邸前)。猛暑が続く中、8月中にも福島の海に放射能汚染水を放出しようとしている岸田を許さない!と怒る人々が首相官邸前に集まりました。
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ちょうど、この日は岸田首相はアメリカでの日米韓首相会談のため訪米中で不在でしたが、参加者はアメリカまで届けとばかりに岸田を弾劾し抜きました。

たんぽぽ舎共同代表の山崎久隆さんは「アルプス処理水の中にはトリチウムだけでなく、ヨウ素129(半減期1700万年)など他の放射性物質も残っている。こっちの方がもっと放射性が強いのにまったく言わない。これ以上被曝させるな!」と怒りを叩きつけました。同じく共同代表の柳田真さんは、政府・東電が言っているウソとして「汚染水海洋放出に1300億円もの血税がかかっているという。当初の見込みの40倍だ!」「トリチウムについて、普通の原発から出る汚染水と福島のようにデブリに直に触れた汚染水は質的に全く違うのに、同じように報告している!」と弾劾しました。
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シュプレヒコールでは、「ロンドン条約違反!」と言っていました。この条約は海洋汚染防止のため廃棄物などの海洋投棄を禁じたものですが、放射能汚染水の海洋投棄は特に海の魚の食物連鎖による放射能濃縮の危険性が指摘されており、人間のさらなる被曝につながります。とんでもないこと!
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(以下は私のシュプレヒコール)
放射能汚染水を海に捨てるな!陸で安全に保管しろ!
原発事故は終わってない!政府と東電は福島原発事故の責任をとれ!とらせるぞ!
日米韓戦争会議弾劾!
怒りの福島と連帯して岸田政権を倒そう!
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翌日午前、岸田はアメリカで、20日に福島第一原発を視察し、22日に放出を決める関係閣僚協議を行うと表明しました。
22日(月)午前の閣僚協議での放出決定策動に対し、下記のような抗議行動が呼びかけられています。東京近辺の方は駆けつけましょう。(S)

■放射能汚染水放出の決定やめろ!官邸前抗議行動
とき◆8月22日(火)午前10時~11時
ところ◆首相官邸前
呼びかけ◆さようなら原発1000人アクション実行委(tel.03-5289-8224)



被爆78周年の8月6日早朝、原爆ドーム周辺はセミの鳴き声が響き渡っていました。その中で、警察機動隊、そして組織された右翼「市民団体」らの妨害をはね返して「広島ビジョン弾劾!大軍拡・戦争の岸田打倒!」と大きく書かれた横断幕が掲げられました。原爆ドーム前での緊迫した攻防でした。
そして、人々が続々と集まり、7時前から8.6ヒロシマ大行動主催の反戦反核集会が始まりました。
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右翼集団が「静かに祈ろう」「慰霊の日」という青いプラカードやノボリ旗を掲げて集会を取り囲み、マイクで妨害してきましたが、それに対し、被ばく2世・3世の人たちが「静かにと言って反戦の声を圧殺しようとしている」「被爆で命を奪われた人々への祈りと、その原因の原爆投下、再びの核戦争に向かう岸田倒せの怒りの声は一体だ!」と弾劾し抜きました。
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闘う労働運動を甦らせようと闘っている全国金属港合同の木下執行委員は「労働組合こそ反戦闘争の先頭に立つ」「戦争協力の連合を打倒しよう」と言われ、11月19日の日比谷野音での労働者集会への参加を呼びかけました。また、奈良の教育労働者が集会・デモ参加への思いを綴った自作の詩を紹介されました。
さらに、福島、沖縄からも連帯の訴えがあり、婦人民主クラブ全国協、全学連などからも力強い発言がありました。
最後に、<8.6ヒロシマアピール>が読み上げられ全体の賛同拍手で全世界に向けて発せられました。
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原爆が投下された8時15分に黙とう。平和公園内数百メートル離れたところで8時から始まっている平和記念式典で8時30分ごろに発言予定の内閣総理大臣・岸田の発言に向けて、ただちに抗議のデモ行進に撃って出ました。
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青いプラカードを持った人たちはこのデモに対しても嫌がらせをしてきました。
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前の川のすぐ向こう側が式典会場です。「岸田は帰れ!」「広島ビジョン弾劾!」「戦争反対!」デモ隊が発するコールをかき消したいと必死なのでしょう。
こうした妨害は3年ほど前から始まっています。政府のヒロシマの怒りをからめとりつぶそうとしている動きと一体です。こんな妨害なんかに絶対に負けないぞ!平和公園内に眠る被爆者の無念と怒りと結びつき一段と大きくシュプレヒコールを繰り返しました。(S)

朝デモの後、平和公園に戻ったときに、被団協の方から「ぜひ読んでみてください」と1枚のビラを受け取りました。それは、この6月に広島市が突然調印した「広島平和記念公園とパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定」を撤回すべきという訴えのものでした。
米軍が一般市民の上に落とした原爆、一瞬にして町が消えてしまった平和公園と日本軍の米軍施設爆撃による兵士追悼の公園の提携がどうして「未来志向で平和と和解の懸け橋」(広島市)になるというのか?!
広島市は「広島ビジョン実現のに向けた第一歩」と述べています。こんなことは絶対に許されません。

(ビラの表を紹介します)
ヒロシマ5

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