とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

カテゴリ: 原発

福島からの報告です。
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原発事故から12年を迎えた3・11反原発福島行動23は、福島市青少年会館での集会&福島駅までの市内デモ行進として行われました。好天に恵まれ全国から550名の参加があり、汚染水海洋放出攻撃断固阻止に向けた大きな地平が切り開かれました。
福島1
本集会に先立ちプレイベントとして「12年目のフクシマ 大熊、双葉、浪江、飯舘」と題したDVDの上映とミニコンサートが行われました。
13時からの集会では、3・11実行委員会の椎名千恵子共同代表が主催者挨拶を行い、続いて「福島からの訴え」として県内各地から参加した人々が一斉にステージに登壇しました。

最初に浜通りから漁民の方のビデオメッセージが会場に流されました。
「我々は、板子一枚下は地獄という中で何で魚を捕ってくるのか。消費者においしく食べてもらうためだ。(風評対策で)冷凍したり保管したりするために捕ってくるのではないんですよ、廃棄処分するための魚を捕って何するんですか。」「皆さんの力がないと国が暴走しているのを止めることできないから、漁師であれ誰であれ海はみんなのものですから、みんなの力で止めてください。海に流すことは止めてください。」 
この痛切な訴えを私たちはしっかりと受け止めなければなりません。原発汚染水の海洋放出は絶対に阻止です。
福島2
続いて県内からの訴えとして、全国農民会議共同代表で酪農家の鈴木さん、浜通り地方、中通り地方の住民の方が、原発事故直後の被曝・被害の状況を述べ、海洋放出に対する怒りの気持ちをそれぞれ語りました。ふくしま共同診療所の杉井医師はメッセージで、診療所開設から10年を振り返り、「戦争反対」「核と人類は共存できない」の思いを、岸田政権の汚染水海洋投棄と原発政策大転換に対する大反撃として全力で取り組もうと呼びかけました。飯舘村の伊藤さんからのメッセージも読み上げられ、全体で怒りを共有しました。また、ドイツ・ゴアレーベンなど海外からもメッセージが寄せられました。
福島4
この後、全国の闘う仲間からの発言がありました。農地強奪の強制執行攻撃と体を張って闘いぬいた三里塚反対同盟から伊藤信晴さんが闘いの報告と今後に向けた不屈の決意を語り、さらに、動労千葉の関委員長や星野暁子さん、杉並区議の洞口とも子さん(メッセージ)、全学連など次々と闘いの報告と決意が語られました。
最後に、8・6ヒロシマ大行動実行委から戦争会議そのものであるG7広島サミットを許さないという特別アピールがあり、5月19日~20日、サミット反対の広島現地闘争への決起が訴えられました。

福島3
14時46分に全参加者で黙とう。今後の行動提起のあと、福島の怒りと思いが込められた集会宣言が読み上げられ、会場全体の感動の拍手で確認されました。
1-311集会宣言
集会後、福島駅前までの約4キロのデモに打って出ました。デモ出発前、浪江の吉澤さんが怒りのアピール。「戦争に直結するさまざまな動きに対して、断乎たたかっていこう!」
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デモに対し、警察権力が右翼を使って弾圧を策しましたが、これを完全に粉砕して沿道の市民と感動的な合流をかちとりました。(3・11反原発福島行動実行委員会事務局)
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明日で3・11東日本大震災から丸12年となります。あってはならなかった福島原発事故から12年です。大地震・大津波で筆舌に尽くせぬ大惨事となり、さらに福島第一原発の爆発で大量の放射能が放出され、多くの命が奪われ、生活が破壊され、いまなお放射能汚染は続いています。

その解決に全力を尽くすべき政府・東電は、責任を放棄して被災者を見捨てています。岸田政権は大軍拡と一体で原発推進に突き進んでいます。絶対に許せません!

2月26日に杉並で行われた「ビキニデー企画~汚染水海洋投棄をとめよう!講演集会」(主催:NAZEN東京)で福島・浪江町の吉澤正巳さんからの火を吐くような訴えがありました。3.11を前にして、この福島の怒りを共有し、7月ごろと言われる放射能汚染水の海洋放出を阻止していきましょう。吉澤さんの訴え(抜粋)を紹介します。(T)

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 いま牧場には200余の被曝した牛がいます。最後までこの牛の世話を続けて、国がいま原発時代に逆戻りをたどろうとしている時、原発の時代を乗り越えていくという強い気持で、国の方針に反する闘いの場所として牧場でがんばります。
 住んではいけない場所に住んで、僕も牛も被曝している。だけど僕は命の扱いはどうすべきだということをずっと考えてきました。あまりにもひどい命の扱いがそこら中にありました。2万1500人が住む浪江町は双葉郡で一番大きな町でした。漁港のある請戸は津波で壊滅され約200人の人が死にました。

 2011年3月11日に逃げて、12日は1号機が爆発し全町避難となった。避難について浪江町役場からもどこからも連絡も指示はなく、ひたすら逃げて、山間部の津島に7~8000人の人が4日間とどまっていました。3月14日には3号機が爆発し、3月15日になってようやく役場から連絡がありましが、それは「とんでもない放射能が津島に来ている」という連絡で、みな大慌てで、総崩れの状態で二本松の東和というところに逃げこんだ。浪江町からはほったらかしにされ、原発の連続爆発の中を「逃避行」を続けました。あの情景を僕は忘れません。津島には自衛隊の装甲車がずらっと並んでいました。部隊も大垣ダムの手前にテントを張って野営していたんです。ところが、あっという間にいなくなるんですね。まさに戦場のような雰囲気でした。それから、浪江町の住民は散り散りになりました。
 浪江町は小高・浪江原発反対運動があって、用地買収は98%まで進んで反対運動は崩れたんですが、反対の地権者が2人残ったんです。2%の土地がどうしても買収できないということで白紙に戻ったんです。しかし、3.11がなかったら今頃7号機8号機の建設工事になっていたかもしれません。
 僕は浜通りのあの地域は原発銀座、原発中毒の場所と言うんです。いいも悪いもなく、そういうものにみんなが巻かれて、役所もそれにぶら下がって、あるいはたかっていたんだと僕は思います。
 福島県の海岸線には発電所がずらっと並んでいます。いわきの勿来(なこそ)共同発電所、でかい広野火力発電所、福島第一原発、第二原発、原町火力発電所がある。相馬の方には東北電力と東電との共同発電所がある。その電気は関東、首都圏、東京にいくんです。埼玉県750万人の電力は福島県が支えるんです。茨城県300万人も、東京1500万も支えるんです。60年間そうしてきました。福島は電力供給植民地で、ただただ電力を供給する、それが浜通り地方です。追い出されて、ようやくとんでもないことだと気づいたわけです。避難ということは本当に大変でとんでもないことだったのです。

 僕は渋谷のスクランブル交差点で街宣しますが、「渋谷の電気はどこから来てるんだ。いまも福島が支えているんだ。福島からの避難の人をいじめないでくれ。なんで放射能ばい菌なんて言うんだ。なんで福島から嫁をもらうななんて言うんだ。東京オリンピックがやられるって言うけどふざけんな」と言ってきたんです。渋谷駅周辺はものすごいビルがまばゆい光を放って大量の電気を使っています。福島の犠牲の上に、福島を差別して東京のこの無限の一極集中、東京大都会のエゴの姿が東京オリンピックだと思っています。
 東京に対して、じゃあ、僕たちの浪江はどうなのか。もう「さよなら」です。今年正月の役場の発表では、戻った人は1300人です。作業員の方も含め1700名です。これが今の浪江の姿なんです。町は更地です。思い出の浪江小学校、中学校は解体工事で全部更地。オリンピックの最中にそれをやりました。浪江の人たちは心が折れてしまうんです。浪江の人たちは自分たちのルーツが根こそぎ引っこ抜かれて追い出され、散り散りになってしまった。避難した人たちはそこで新しく家をつくった。移住なんです。もう帰るのは難しいんです。かつて浪江町には小学校が6校、中学校が3校で1700人いた。高校は2校あった。全部廃校になりました。いまは創成浪江小中学校に子どもたちは40人で、スクールバスで隣の南相馬から通うんです。はっきり言います。アリバイの町なんだ。中身のない、人は住まない空洞化した町、形だけを残した町なんです。自治体存続の意味があるのか。国からは道の駅「浪江」や港の整備に金はきます。でも請戸にはもう誰も住めないんです。それなのに、「請戸の魚を食べましょう」「シラス、刺身定食」。それが町のメイン宣伝なんです。印刷物はみんな請戸というマークをつけている。請戸キャンペーが行なわれているんです。僕は街宣車を走らせて言います。漁港から6キロのところに汚染水が放出されて請戸が成り立つのか。成り立つわけはないだろう。請戸漁港も難しくなるといいます。

 昔、1980年にホッキ貝にコバルト60が見つかりました。東電は昔も放射能を流していたんです。大騒ぎになって、浜通りではホッキ貝もなにも売れなくなって東電は総額5億円の弁償をしました。汚染水放出が始まったら、そういうことの繰り返しだと思います。去年1月過ぎに相馬沖16kmのところで1400ベクレルの黒ソイという魚が見つかった。国が決める14倍。福島県知事・県庁は国の言いなりで、内堀知事は東京に行って、常磐ものの魚の宣伝をやっている。「カレイ、おいしい、安全だ、安心だ」と言っている。嘘です。福島県漁業の安心・安全を誰が守るのか、これが大事なのです。みんなの食生活にダイレクトに結びつく大事な問題なのです。今年の2月7日にはスズキから85ベクレルが検出された。汚染水放出後はそういうことがどんどん出ると思います。
 北茨城市の大津漁港はインチキをやったんです、基準値を上回るレベルの白魚の加工品をなんとか売ってしまおうと漁協がもめたんです。良心的な漁協職員が内部告発をしました。そしたらその人は組合長に首を切られ、いま裁判をやっています。漁協だってバレなければ市場に売ってしまうことをやるんですよ。福島県の魚の検査は、僕はザルだと思うんです。全量検査などしない。お米は全量検査をしました。だけど今日あがる魚はサンプル検査、ごく一部の魚しか調べない。だからもっと検査の精度をあげて、調べる放射性物質の種類も60種くらいにする、東電は20種類に絞ろうとしてます。経産省などはトリチウムしか言いませんがそうではない。海洋放出を続けていけばあの水俣の海になるんじゃないかと考えました。チッソは有機水銀の海水を薄めて流し続けて水俣の海になり、水俣病になり、長い裁判闘争にもなりました。そしてやっと国は責任を認めて補償になりました。
福島の原発汚染水のタンクの底はそうとうヤバイそうです。爆発原発の汚染水なんで底に沈殿している。それを薄めて安全だと海に流す。そんなのあり得ないよね。
吉澤さん

 僕たちは福島で生きていくしかありません。僕は折り合いをつけていくしかないと覚悟してるんです。それで死んじゃうということでもないので。そうでなければ浪江の復興なんてないんです。覚悟してもそこに家族や子ども連れて戻るというのはハードルは高すぎるからみんな帰って来ないですよ。
 いま福島県では、すごい地震が毎年来ている。日本一地震が多いところです。福島県は地震や津波は終ってないと思います。いまつくっている堤防は7mくらいですが3.11の津波は15mです。堤防を軽々と乗り越えて双葉町の伝承館周辺、復興拠点の中心は泥だらけ、水浸しになるんですよ。でも10mの堤防をつくるとなるととてつもない大工事になり費用対効果で10mが限度です。相馬共同火力発電所は去年3月の地震で、8ケ月間停まりました。これからも大地震で首都圏「計画停電」があると僕は見ています。

 僕は先日舞鶴に行きました。ここは高浜原発、原子炉に制御棒を落っことしちゃって放射能漏れ寸前のトラブルのあったところの近くなんです。福井県の原発自体も危ないです。
 舞鶴は海上自衛隊の、日本海側の唯一の基地があります。空母が、イージス艦が、護衛艦がずらっと並んでいる。いま海上自衛隊の司令部を地下につくる工事が始まるんだそうです。僕はカウ(cow)ゴジラの街宣車で、「そんなものをつくって意味があるのか」「ウクライナ戦争を見ろ。ミサイル雨あられだ」「アメリカもロシアも地下何十メートルも深く貫通するバンカーバスターミサイルをもっている。そんなものつくったつてナンセンスだ」と街宣しました。自衛隊の空母だってミサイル攻撃を受けたらたまんない。ウクライナ戦争でロシアの空母「モスクワ」がミサイル2発でぶち壊されたでしょ。

 舞鶴というのは僕の親父が、シベリア抑留の末に引き上げてきて上陸した場所なんです。アジア太平洋戦争のとき、日本は国策として中国大陸に侵略を行ない、そこに満州開拓団を大量に送り込んだ。誰がやったのか。岸信介です。忘れちゃいけない。日本は戦争に負けて、満州開拓団はひどい目にあいました。関東軍、満鉄の連中はさっさと逃げ、開拓団は取り残されました。沖縄の戦争末期と同じような光景、集団自決がそこら中に起きたんです。そして子どもたちが置き去りにされて残留孤児になった。ウチの親父は『僕ら開拓団』という記録集の中で書いています。「(開拓団は)子どもたちを、親を銃で殺してしまった」。生前そのことは決して言わなかったんですが。そしてバイカル湖のほとりのマイナス30~40度Cのところで森林伐採の強制労働を3年間をやった。大勢の日本の仲間はそこで死んだそうですけど、親父は生きて帰れた。僕は安倍晋三と同い年なんです。安倍政治のルーツは何なんだ、岸信介だ。僕のルーツは何なんだ。親父の満州開拓、シベリア抑留なんだ。ウチの親たちがそういう時代を通り抜けたから、僕はそういう時代に戻ってはいけない、原発の放射能もれの浪江のような姿をつくってはいけないと思います。そのために、僕は残りの人生を、浪江の語り部として続けていきたいと思います。

 あの大震災のなかで、人々は、人間はどのように命を扱ったかです。震災関連死は浪江町で450人。10人近い自殺者。役場の近くに帰れた人が、90歳代のじっちゃんの面倒を見ていた50代の娘さんがじっちゃんを殺して自分も自殺したんです。役場の近くなのに何か月もたってからそれが見っかったんです。浪江の津島の人が腹を斬りました。切腹です。人は自分の腹を包丁で切って死ねるか。死ねない。三島由紀夫だって、切腹してすぐ仲間に首を落としてもらっている。浪江の人たちの無念の気持がそういうすごいことをやったということに僕は衝撃を受けました。

 僕ができることはカウゴジラの街宣車で北海道から沖縄まで出かけることだと決めたんです。僕は沖縄に行って、ようやく沖縄の皆さんの基地問題の苦しさを理解できるという気持になったんです。国策の根幹である米軍基地問題と原発事故の問題はあまりにも根が深く相手が巨大です。でも沖縄の皆さんを学んで、連帯をしながら戦争に戻らないこと、原発事故が起きないことを願います。僕らは言っているだけ、思っているだけではだめなんです。行動なんです。行動によって道をつくるんです。

 僕は「さようなら浪江町」を掲げて町長選挙に立候補しました。怒る人もいた。「やめろ『浪江町さようなら」という表現は」と。浪江町役場のところには「おかえりなさい浪江町」という看板が出ています。僕は言いました。「帰ってこないじゃないか。その見通しもないじないか、だからさようならなのだ。村になっていくんだよ。そのことはみんながわかっている現実なんだよ。人が戻らず、人がいないんだから。アリバイなんだ」
 オリンピックの時、オリンピック歓迎式典で、漁協の人が大漁旗を振った。僕は言った。「コロナパンデミックの中で何百万人も人は死んでるのにオリンピックが成功するわけはない」「漁師のみなさん!オリンピックの後に来るのは汚染水放出じゃないか。なんで請戸漁協のみんなは闘わないんだ。反対運動に立ち上がらないのか。『腰抜けか』」。若い漁師が怒って出てきてケンカになって、警備の警官が出てきて「式典なんで、けんかなんかしないでくれ」。僕は「こっちは本気なんだ。原発の地元で、漁業補償金にまみれた、そういう場所ですよ、請戸は。繰り返し繰り返し補償金をもらって。結局は自分たちの首をしめる未来予想図は迫っているわけです」と言いました。今年の正月の出初式で、漁師は「俺たちは汚染水放出を理解もしてない。反対だ」と言っていました。でも行動はないんです。浪江の未来を考えたとき、なんとか抵抗して闘っていかねばと思います。

 あとね、いま浪江町の高瀬川の水がおいしいと話題なっています。「モンドセレクションで金賞受賞した」とイオンスーパーや道の駅で売っています。ところがその高瀬川は渓流釣りは禁止です。いわな、やまめ、鮎には放射能が出ます。でも町営ポンプ場で汲み上げた水がおいしいって売り出しているんです。「逆転ひねり技の復興宣伝」です。12年前放射能が一番流れていたその場所だったのにリセットなんです。「問題ない、おいしい」。「前を向け、後ろを向くな」。復興の縛りがガンガン始まってるんです。でもみなさん、絆はもう終わったんです。町民は帰ってこない。みんなそのことを知っているんです。

 人間として生きていく大事なすじ金は希望なんです。絶望状況のなかにあって、人間が最後にたよる大事なすじ金は希望なんです。それは与えられるものではなく、用意されるものではないんです。自らが考えて、自らの行動によって、希望をつくるしかないんです。だからわれわれはつぶされてはならないんです。
 僕たちは原発事故の被害者です。避難民です。被曝民です。なんでふるさと浪江を追い出されて流浪の民になったのか。なんでチリジリになって、よそで小っちゃくなって人生が終ってしまうのか。僕らはあまりに無念が深い。その無念を怨念に転換する必要があります。原発の時代を終わりにするんだ、国を相手にそのマグマのような怨念をもって闘うんだ。これはぼくらのカウゴジラの名前の由来です。ビキニ水爆実験で始まったゴジラの話はまさに僕に、原発事故で牛たちに放射能が降り散り、僕たちの身体にも放射能が入った。でもそれを糧として僕はつぶされない。僕は闘うんだ。原発事故を逆転させる、そういう残り人生にしていきたいと思っているんです。

※「ゴジラ」誕生は、映画公開と同じ年に起きた「第五福竜丸事件」。西太平洋のビキニ環礁」付近で操業していた日本の漁船が、米国の水爆実験による降灰を浴びて被爆した事件である。この事件が「核実験によって太古の眠りから目を覚ました怪獣が、安住の地を追い出されたことに怒り、東京を破壊する」という構想につながった。

※広島市教育委員会は、2023年度の小学生の「平和教育教材」から『はだしのゲン』を削除し、中学生向けの「平和教育教材」から、マグロ漁船「第五福竜丸」の記述を削除する。岸田内閣の「原発政策大転換」と同じ。


9月19日午後、東京・代々木公園で「さようなら戦争 さようなら原発 9.19大集会」が行われ、悪天候の中、1万3000人が参加しました。戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会とさようなら原発1000万人アクション実行委員会の共催で行なわれ、1週間後に迫った「アベの国葬」反対・中止を迫る大集会&大デモとなりました。
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大型の台風14号が日本列島に上陸し、東京も時に強い雨が降り、時に青空という天気の中、代々木公園野外ステージ周辺には続々と人々が集まり、ステージ前が埋められていきました。集会場入口で配られたボードを持つ人、自分でつくってきた安倍国葬反対、原発再稼働反対のメッセージボードを持つ人、ノボリ旗を持つ人と、一人ひとりが強い意志を示していました。自治労、教職員組合等々の労働組合の旗や幟も目立っていました。

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野党の連帯あいさつ(立憲民主党、日本共産党、社会民主党)のあと、市民の発言が続きました。
「安倍元首相国葬反対!改憲発議と大軍拡をやめろ!『戦争法』強行から7年 福島原発事故を忘れない」という集会の名称に表されている通り、集会内容、発言は国葬反対と原発反対を基調にしているものの、各発言者は、安倍・自民党政治、岸田政権への強い批判、岸田内閣の原発再稼働、新増設批判、統一教会と安倍内閣の一体性への批判と多岐にわたっていました。それぞれ、言わずにはいられないという感じでした。
落合恵子さんは「みんな怒ってるよね。安倍はアンダーコントロールと言ったが、何ひとつ原発は解決してない。それなのにそのまま安倍の国葬に組み込まれるのか、お断りしましょう。はっきりとNO!という私たちを示していきましょう」と。
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閉会のあいさつで鎌田慧さんは、「岸田内閣の支持率は29%になった。国葬反対は70%になっている。これが世論だ。原発の再稼働・新増設、アベの国葬という岸田のメチャクチャな政治を絶対に許さない、変えていくということをデモ行進で示そう、がんばろう!」と結びました。

集会後、渋谷コース、原宿コースと二手に分かれてデモに出発。渋谷コースだけで10梯団ほどあり、渋谷の街は波状的なデモ行進となりました。
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国葬予定の9月27日まで、毎日毎日、安倍・岸田・自民党政治を批判し、国葬反対の声を集め、大きくしていこう。国葬を粉砕して、統一教会と結んだ腐りきった政治、戦争へと突き進む政治を変えていくときは今をおいてない!(T)

第15回目の官邸前「原発いらない!金曜行動」に参加しました。
前々日24日のテレビニュースで、岸田首相が原発7基の追加再稼働方針や、既存の原発の60年までの運転期間延長、さらに新たな原子炉の開発などを確認したことが報道され、その耳を疑うような内容に「ありえない!」と驚きました。参加者からも「今まで休んでいたけど、今日は官邸前に行かなければと思って駆けつけた」という発言がありました。
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「金曜行動」呼びかけ人の鎌田慧さんもアピールの中で、「岸田首相は、電力資本の言うとおりに原発再稼働に踏み込んでいて、許せない。憲法違反の国葬も強行しようとしており、安倍以上の状態だ。あらゆるところで一人ひとりが闘って岸田首相をさらに追い込んでいこう。」と檄を飛ばしました。

福島現地からもアベの国葬反対のメッセージが届きました。
「安倍は東京オリンピック招致のためIOC総会で『汚染水は制御され、港湾内で完全にブロックされている』と大うそを世界に向かって発した。福島県民の命と暮らしなど眼中にないウソとごまかしとデタラメの安倍政治の国葬は、福島県民として認められない!」
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たんぽぽ舎の柳田真さんは、原発再稼働に関して政府は「電力需給がひっ迫している」と言っているが、これはおかしいと言われ、二つの事実を指摘されました。一つは、2010年と2020年の10年間で日本の電力使用総量は12%も減っており、今後も減っていくこと。もう一つは、10年前東京で停電が続いていた時、余っていた関西から電気を譲ってもらいたかったが転換周波数が足りなかった。その後この周波数の変更をしなかった東京電力と経産省の政策の大間違いがあるということです。
さらに、これに関しては、福島原発被害東京訴訟などを闘っている鴨下余生さんも「まず、火力発電所を使っていないということがある」と言われました。

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音楽やコールを挟みながらアピールが続きましたが、やはり、原発推進、福島切り捨ての安倍元首相の国葬に反対する発言が多かったです。約120名の参加で、岸田首相の原発大改悪と国葬に絶対反対!の抗議の声を上げました。次回は、第3金曜日の9月16日です。
いろいろなところから9.27アベ国葬反対のうねりをつくっていきましょう!(S)


7月30(土)~31日(日)に青森県下北半島の大間原発建設地で3年ぶりで行なわれたオオマグロック・第14回大間原発反対集会&デモに参加してきました。
2020年、2021年とコロナで中止され、今年は7月30~31日の開催にこぎつけましたが、しかし、日本全国コロナ蔓延状態でした。開催できて主催者は本当に良かったと言っていましたが、参加者も同じ気持ちでした。
6-メール織田翔子さん7.31大間[22354]

7月30日は、実は大間のイベント参加組と「核」半島ツアー組と分かれて行動しました。私はツアーの方に参加したので、主にその報告をします。

第一日目~下北「核」半島ツアー
1-写真①

30日朝10時30分に八戸駅集合。参加者はNAZEN東京や百万人署名運動(東京・宮城・福島)、経産省前テントひろばの仲間、反核反原発を闘う仲間、福島の黒田節子さんも参加され、合計14名。この他、ガイドは六ケ所村村長選挙に立候補した山田さん。マイクロバスの運転手さんは南部バス労組委員長の間山さん、世話役はたんぽぽ舎(青森)の小熊さん。(コロナ感染で3名が不参加できず)

出発。ギンギンの天気。三沢基地→六ケ所村→と進む。

山田さんは走り始めるやすぐ、7月2日に起こった六ケ所村の「高レベル放射能廃液の冷却不能8時間問題について」、プリントで説明してくれました。
要するに、冷却しなければならない放射性廃液が8時間冷却できず、高温になり、重大事故にもなる可能性があったということです。

<三沢基地>
その後、三沢基地に向かいました。ここには米空軍のF16戦闘機40機やP8A対潜哨戒機等、自衛隊はF35戦闘機27機等々が配備されていて、戦闘機の爆音で、周りの村落が移転を余儀なくされたそうです。台湾有事で三沢基地の米軍・自衛隊の「重要性」が増していること、津軽海峡は国際海峡で、ロシアや中国の艦船、米の艦船の航行が激しくなっているとのことでした。
時間の制約で、地図上の施設を車を降りて「見学」するということにはならず、用意してくれた資料で三沢基地の概要を知ることができました。

六ケ所村に向かう過程で、この辺りが昔の斗南藩の領地であったことを知り、ツアー参加者には黒田さんほか会津出身者がいて、バスの中で、ひとしきり会津藩と斗南藩の関係についての話になりました。会津を追われて斗南藩に移らされた会津の武士たちがいま原発にさらされているのはつらいという話にもなりました。
斗南藩と原発.png

<六ケ所再処理工場>
ここでは、工場正門前で車を降りましたが、工場の門のところまで行くと警備員が出てきて、門前も工場内敷地ということで人を近づけさせませんでした。それで、「六ケ所原燃PRセンター」に行き、そこで「原子力サイクル施設」についての説明を山田さんから受けました。六ケ所の場合も東通りの場合も、PRセンターの1階は子ども用の遊び場になっています。

●六ケ所施設配置
3-六ケ所施設配置

●再処理工場とはなにか。

原発で発電に使った「使用済み燃料」=使用済み燃料棒には燃え残りのウラン、プルトニウム、「死の灰(核分裂生成物)」が含まれているので、その中のプルトニウムを再び原子力発電で再利用しようと「核燃料サイクル」計画をたてて、「核燃料再処理工場」を六ヶ所村に建設したわけです。プルトニウムは使用済み燃料に約1%含まれていて、六ヶ所再処理工場は1年間で約800トンの使用済み燃料を処理し、約8トンものプルトニウムを分離をしようとしています。

六ケ所村には、ウラン濃縮工場、再処理工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、高レベル放射性廃棄物センター、MOX燃料工場があります。1993年に着工し、1997年に完成する計画でしたがトラブル続きで、いま現在、完成していませんし、前日7/29の新聞報道では、いつになるかわからない状態です。
2-山田さんの説明きく
1-7.29新聞記事

そのあと、東通原発(東電と東北電力の二つの原発建設)のある東通村の役場の傍を通りましたが、原発資金で建てた村役場には驚かされましたし、小・中統合校も大きくて立派な校舎でした。実際には雨漏りの類の破損個所がたくさんあって、その修理が滞っている現状なのだそうです。村の困難につけ込んだ原発推進の「思想の貧困」を感じさせられました。
(東通村役場)
東通村役場

むつ使用済み核燃料中間貯蔵施設を通り、「原子力船むつ」(出航してすぐ失敗→漂流→関根浜に繋留、その後、廃船)が昔あった関根浜をその上の土地から眺めながら、原子力船むつ反対闘争の経験を聞きました。間山さんはその闘争の経験者でした。核関係の施設の周りはほとんど電力会社の土地なのですが、その土地は住民の地主共有地でした。

17時頃、町役場前の「開発センター」に到着。ここで、「大間でTalk Night/2022」に参加して第1日目が終わりました。

第二日目~大間現地集会&デモ

朝9時に宿を出発。大間原発の全体が見える高台から立地・概要をつかみました。大間原発は建屋だけができたけど、中にいれる原子炉など一切が設置されてないので、函館市は行政として「大間原発建設差止訴訟」をやっています。1976年に計画が発表され、2008年に着工しましたが、2022年3月の原電発表では「いつ完成するか未定」ということです。大間の住民とあさ子ハウスが阻止していることは明白です。
あさ子ハウスasako.gif


<第14回 大間原発反対現地集会>
集会は大間原発敷地に隣接する反対派住民・地主共有地で行なわれました。コロナの影響もあって、参加人数200人くらいでしたが、発言者はみなさん今日の情勢下の中で、あきらめずに建設阻止で闘おうという気概にあふれていました。
4-メール7.31大間集会①[22347]

中道雅史さん(大間原発反対現地集会実行委員会・事務局長)のシュプレヒコールで始まりました。発言者は以下の通りです。
・佐藤亮一さん(大間原発に反対する会)
・竹田とし子さん(大間原発訴訟の会)
・今村修さん(大間原発に反対する地主の会)
・中野宏典さん(大MAGROCK/弁護士■大間原発訴訟弁護団)
・黒田節子さん(反核女塾)
5-メール黒田節子さん7.31大間[22350]
・土屋聡さん(女川から未来を考える会)
・前川祐子さん(経産省前テントひろば)
・織田翔子さん(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=NAZEN)
・藤井俊宏さん(後志▼原発とエネルギーを考える会)
・栗橋伸夫さん(なくそう原発▲核燃・あおもりネット/さいクリニック)
・大竹進さん(核の中間貯蔵はいらない下北の会)メッセージ コロナ感染
・粕谷克幸さん(函館市議・日本共産党)
・道畑克雄さん(函館市議・立憲民主党)
・奥村柴さん(青森県労働組合総連合)

・集会アピール 高橋泰助さん(バイバイ大間原発はこだてウオーク)
・終わりに 古村一雄さん(核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会)

・デモへ! 
 シュプレヒコール 「大間原発反対!大間の豊かな海を守ろう!大間原発反対!建設をあきらめろ!」

(報告:百万人署名運動 T)

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