沖縄からの報告です。
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6月21日~26日、那覇市民ギャラリー(パレット久茂地)で<「復帰」50年写真展・沖縄写真の軌跡>が開かれました。沖縄タイムス社が共催し、那覇市が後援となっています。その一環として写真家の比嘉豊光氏の「牧青行動隊の闘い」のブースも設置され、22日には元牧青と婦人部の方々の座談会も同じ会場で催されましたので、私もそこに参加してきました。

(6月22日付け沖縄タイムスより)
沖縄タイムス
この催し物を開催することになった主催者の思いと経緯(いきさっ)は、「復帰」から50年が経っても沖縄は何も変わっていないにも関わらず、基地労働者の闘いをどこも問題にしていないことへの危機感からだそうです。

全軍労牧港支部青年部(牧青)の闘いは、公(おおやけ)の全軍労闘争史や全駐労の闘いのなかからも抹殺されるか、偽造されるかのどちらかでした。会場の参加者からも「牧青の闘いについての本を出版すべきでは……」という意見も出されていました。

座談会で語ってくれた元牧青の方々の話しを聞いて思ったことは、決して50年前の昔のことではなく、みなさんが今の沖縄の現実について話していることです。沖縄がふたたび戦場の島になろうとしていることへの危機感です。

2・4ゼネスト(1969年)の挫折を乗り越えることを目標に全軍労牧港支部青年部は結成されました。牧青の「解雇撤回・基地撤去」を掲げた闘いは、米軍政支配を揺るがすとともに、当時の復帰闘争に<階級的な力>をもたらしたと言えます。

(下記の写真は、『全軍労・沖縄闘争』比嘉豊光写真集より)
1-牧港1
2-牧港2
3-牧港4

この座談会で元牧青の方は「牧青1200の白ヘルと400の行動隊を組織した力は"大衆のなかに入り言行一致の青年部運動"のなかから生みだされた」とおっしゃっていました。これは印象的な言葉でした。
牧青といえば、その<戦闘性>や<闘いの激しさ>だけが強調されがちですが、それだけではないということです。職場の労働者のなかに入って苦楽をともにする。決して独りよがりではなく、自分たちの言葉が正しいのか、間違っているのかは、現場の労働者によって検証されなければならないというのです。このことは牧青の"指導者"であった故仲田憲和さんがつらぬいた姿勢でした。

座談会では、太田隆一さんの就労闘争における「労働者は死んではならない。死すべきは基地だ」ということが牧青に与えた影響など、また71年の全島ゼネストと米軍の報復的弾圧、無期限ストと全軍労指導部のスト収拾(裏切り)から基地内決起にいたる貴重な話しを聞くことができました。どれひとつとっても重要なテーマです。

戦争が切迫するなかで基地労働者の存在と闘いがどのような意義をもつのか、元牧青のみなさんは身をもって体験してきました。そしてこのような闘いと活動こそよみがえらせなければなりません。 (百万人署名運動・沖縄の会 M)