「成田空港 B滑走路閉鎖へ」というYAHOO!ニュースのチバテレの画像を見ていたら、市東孝雄さんの住まいと畑が映し出されました。市東さんと反対同盟の闘っている姿が凝縮されていて、改めてそのすごさに圧倒されました。

写真下の一番右側のまっすぐな滑走路がB滑走路です。手前の曲がりくねった滑走路が「誘導路」です。
右下の誘導路に挟まれたこんもりとしたところが、市東さん宅です。その下方にある耕作地は萩原富夫さんの畑です。
B滑走路.psd
下記の写真は、昨年末に市東さん宅の敷地内からB滑走路の方向と誘導路を撮った写真です。
B滑走路1
B滑走路2

一番上の全体写真の中央左側、誘導路がへの字に曲がったあたりにあるのも市東さんの畑で、いま国・成田空港会社が強制収容で取り上げようとしているところです(請求異議裁判控訴審中)。この一帯の畑で産直野菜がつくられています。
畑からはすぐ横の誘導路を通っていく航空機の尾翼が見えます。
B滑走路3
畑1

新型コロナウイルスの影響で、発着回数が大幅減となった成田空港で2本ある滑走路のうち1本を4月12日から閉鎖、開港以来初めてとのことです。
成田空港の開港が強行されたのは1978年5月なので42年前、この空港建設が三里塚にと一方的に閣議決定されたのが1966年7月ですから、今から54年前。その翌月に三里塚芝山連合空港反対同盟が結成されていますので、三里塚農民の闘いは半世紀を超えています。

50年前には、成田空港敷地一帯にはたくさんの肥沃な農地とたくさんの農民たちの平和な営みがありました。それを国・自民党政府は、金(税金)と暴力(警察・機動隊)で破壊したのです。農業より巨大空港建設、カネもうけのために。
さらに、いま、コロナで閉鎖としていますが、有事の際は米軍が大挙押し寄せ優先使用することになっています(「武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律」など)。反対同盟は当初から軍事空港反対!と闘ってきました。

空港に取り囲まれた市東さんの家と畑を見ていて、私にはその周辺に、亡き市東東一さんをはじめ体を張って闘い抜いた三里塚農民のたくさんの人々がウロウロしているように思えました。いつも孝雄さんを見守り、励まし、また権力が近づいてきたら威嚇し…。

市東孝雄さんの農作業場で昨年12月14に開かれた「芋煮会」には全国から支援の人々が集いました。反対同盟ととも「反対同盟のうた」を歌い、市東さんの農地を守り抜こうと誓い合いました。
畑2

新型コロナウイルスの影響で、3月に結審情勢にあった請求異議裁判の期日が取り消され、
6/3(水) 請求異議裁判控訴審(証言と補佐人陳述) 午後2時~
7/1(水) 請求異議裁判控訴審(最終弁論) 10:30~
となりました。(さらに変更になるかもしれません)

三里塚農民の尊厳をかけた闘いは、私たち自身のありようでもあると思います。共に闘いましょう!(S)