2011年3月に福島第一原発の事故が起きたとき原発が立地する福島県双葉町の町長だった井戸川克隆さんが、「被ばくと避難によって精神的苦痛を受けた」などとして、東京電力と国を相手に2015年5月に提訴しました。原発事故の責任者である国と東電に、その責任をとらせる裁判です。
その第7回目の裁判が、7月12日(水)に東京地裁で行われました。傍聴した仲間からの報告を紹介します。
* * * * *

7月12日午前10時より、東京地裁103号法廷で井戸川裁判がありました。原告は元双葉町町長・井戸川克隆さん、被告は東電と国です。事前に傍聴抽選は行われず順次法廷に入っていくということでしたが、100人の傍聴席は満員になり、入れない人もいました。

裁判ではまず、原告側代理人の弁護士が、先に被告側が提出した準備書面について陳述をしました。東電が「津波の高さ15.7m」をとらず、津波対策をきちんと講ずることなく、その結果を「想定外だった」として責任を免れようとしていることに対しての反論の陳述です。

この陳述の論旨は、6月30日に開かれた「福島原発事故強制起訴裁判」の争点とも同じです。要するに、被告の東電側は土木学会・津波評価部会の「波高5.7m」予測を採用して、地震調査研究推進本部が出した「長期評価」に基づく「波高15.7m」を採用しなかったこと、その結果、福島第一原発の電源等の設備を10mのところに設置し、大事故に至らしめたことへの反論です。

陳述を聞いて知ったのですが、土木学会・津波評価部会は「電力会社の団体である電事連(電気事業連絡会)の委託で設置されたもので、予算も全額電力会社負担だ」そうだ。業界も学会もグルになっているということです。

これから、井戸川裁判でも、福島原発事故の責任をめぐる争点の一つとして「波高15.7m」問題が争われていくことになると思いました。(賛同人 T)

報告集会と広瀬隆さんの講演会

裁判終了後、11時過ぎから、衆議院第一議員会館で報告集会が持たれた。
1-DSCF4833
集会では、「井戸川裁判を支える会」共同代表の挨拶、弁護団からの報告に続いて、井戸川さんからの報告があり、質疑応答。その後、広瀬隆さんの講演があった。

講演の表題は、『川内・伊方・高浜・玄海原発の稼動で 次の末期的大事故必至。井戸川裁判の意義を説く』。広瀬さんの言説は端的で鋭かった。以下長くなるが、要点をあげて報告したい。

次の原発事故は必ず起きる。その時、放射能の雲は日本列島に上陸する台風と同じ進路(同じ偏西風に乗る)をとる。
福島第一原発事故の放射能は8割が太平洋に流れた。(太平洋上にいたロナルド・レーガン原子力空母の乗組員にあらわれている深刻な被ばく症状。7名の死者、250人以上が病気に。)
陸、海が汚染されて食べる物がなくなってしまう。日本壊滅だ。
再稼働はありえない話しだ。すべての責任は熊本大地震でも原発を止めなかった人々、止める権限を持ちながら止めなかった人々にある。

必ず起きる、とどうして言えるか。
過去の大地震を調べた。現在、中央構造線(沖縄から諏訪湖で終わるのではなく、東北も含まれる巨大活断層)が活動期に入っている。(1995.11.7の阪神大震災から2016年に起きた4つの大地震。4.14と4.16の熊本大地震の震度やマグニチュードを提示)。そして、この活動期は半世紀続く。

川内原発、伊方原発で起こるのは直下型地震だ。
ということは、制御棒を挿入する時間はなく、一撃で原発は暴走して吹っ飛んでしまう。電源(迷電線)も失う。2008.6.14の岩手、宮城内陸地震は直下型地震。M7.2で4022ガルの揺れが襲い、山を消した。(重力加速度=引力 980ガルの4倍で、宙に浮いてしまったので山が消えた=崩れた。2011.3.11 M9.0 福島第一原発が受けた揺れは550ガル。)
2-DSCF4838

日本列島、どこでもいつでも大地震が起こり得る。
こんな国に原発をつくれるわけはない。再稼働はあり得ない。プールに貯蔵していても崩壊熱を出し続けている。

福島原発事故で許せないことがたくさんある。
被災法の恥知らずな条項。東電が被害者に要求している提出書類の恥しらずな手続きと文言。
ここまで加害者を増長させてきたのはこの国の政府と指導者たちだ。

井戸川裁判は、原発事故は“過失”ではなく“未必の故意”であることを認めさせる重要な裁判。
今後起きる原発事故は“未必の故意”の行為であることを明言したい。
皆さん、怒って下さい。

もう一つ、止めさせることができることがある。
電力が自由化になった。皆さんの意志で新電力に切り替えることができる。
簡単にできる。パンフを作った(200円)。

報告集会での様々な発言はすべて、原発反対、電力マフィアと政府に対する怒りで貫かれていたが、広瀬さんの講演は会場内の押さえた怒りを解放したように私には感じられた。(賛同人 0)