9月3日(土)、「キリスト者遺族の会」が主催した、国会とそのすぐ隣にある皇居周辺を歩きながら戦争と平和について考える企画があり参加しました。ガイドは西川重則さん(キリスト者遺族の会代表)。日差しが強い中、歩いて見て回るのはけっこう厳しかったのですが、先頭に立つ高齢の西川さんを追いかけながら(!)の見学でした。

午前9時50分、国会正門前に集合。国会の歴史、天皇制を見て歩き、アジアの視点に立って歴史を考えようと西川さんのリードで出発です。
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まず、国会正門前の公園の中にある憲政記念館へ。ここは議会開設80年を記念して1970年に設立されたものです。このあたりには、江戸時代初めに加藤清正が建てた屋敷があり、のちに大老・井伊直弼も居住していたとのこと。そして、明治時代にはそこに参謀本部・陸軍省が置かれていたそうです。
憲政記念館の中庭の池には、尾崎行雄の銅像が立っていました。石碑には、95歳の人生の中63年余衆議院議員として活動し日本の議会政治の父と仰がれていると書かれていました。
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また、中の展示コーナーにも、1919年3月に上野公園で尾崎行雄が普通選挙の実施を訴えて演説している写真もありました。
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その隣に、翌年の5月、同じ上野公園で日本で初めてのメーデーが闘われた写真がありました。「大日本電気労働組合」と書かれているのではないかと思われるノボリ旗が見えます。
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右下の解説には、「1920年(大正9)5月2日、わが国で初めてのメーデーが上野公園で行われた。大日本労働総同盟友愛会をはじめ15組合と社会主義団体など5千人余が結集し、『治安警察法第17条の撤廃・失業防止・最低賃金制の設定』を決議した。」とありました。
100年近くも前とは思えない、まるで、いまと同じではないか!!とびっくりしました。

この後、皇居へ。
1860年3月3日、江戸城に入ろうとした大老・井伊直弼の一行が、水戸・薩摩の浪士に襲われた(桜田門外の変)という桜田門の前で、「ここです」と西川さんが説明。
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「大昔」を思いながら、桜田門を通過です。観光客やマラソン選手も通過していきます。
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門をくぐって中に入ったかに思いきや、目の前に車がたくさん通っていて(内堀通り)、門をくぐって外に出た感じでした。ここは皇居外苑でした。
一帯は玉砂利が敷かれ広場になっているのですが、西川さんは、「ここが敗戦直後、天皇陛下に申し訳ないと国民が泣き伏していたところ。キリスト教団体も例外ではなく戦争に協力してしまったにがい歴史がある」と話されました。
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内堀通りの反対側には、有名な「二重橋」があり、観光客の撮影スポットとなっていました。
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この橋の上の左側に門があるのですが、そこは厳重に閉じられていました(下の写真)。自由に見学できるのはここまでです。西川さんの説明では、この門の中に入るには、申請書を書き許可される必要があるとのことでした。
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閉じられた高い門前の左右に門番が立っていました(白っぽい入れ物の中に1人ずつ入っている)。そして、橋の手前の門も閉められていて、そこにも門番がいました。さらに、その手前に国会周辺でよく見かける鉄柵が二重に置いてありました。この門の中の、さらに奥の方に天皇が住んでいるわけです。昔もいまも変わらない存在を見た思いでした。

また、さらに進むと、大手門というのがあり、ここから中へ。
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この中は、いわゆる江戸城跡というところです。
下は百人番所跡です。説明に、甲賀組、伊賀組などが交代で100人ずつ配置されていたと書いてあり、忍者が門番をしていたんだ!と意外に思いました。
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石垣がいろいろ。
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ここが、江戸城本丸の石垣です(下写真)。
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石垣の上で、西川さんのお話しを聞く。
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このあと、平川門から出て昭和館へ。
途中、九段会館前で西川さんが説明。「ここは1936年の2.26事件で、戒厳司令部が置かれたところです。」
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その隣が、昭和館です。
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西川さんは入る前に、「戦没者追悼の唯一の国立の施設としてつくられたのですが、ここにはアジアへの侵略加害の視点が全くありません。」と言われました。(S)
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詳しくは、西川重則著『「昭和館」ものがたり』(いのちとことば社、950円+税、1999年6月発行)参照。(百万人署名運動でも取り扱っています)