青森からのお便りです。
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今年も4月12日(日)に青森で「4.9反核燃の日」行動が闘われました。30年前(1985年)の4月9日に、当時の青森県知事が六ヶ所村への核燃サイクル施設受け入れを表明しました。これに抗議して4月9日を「反核燃の日」とし、青森では毎年4月上旬に核燃サイクル絶対反対の抗議行動が闘われています。
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12日は12時半より、青森市民ホール・会議室で「全国市民集会」(実行委員会[連絡先:阻止実]主催)が開かれ、150人が参加しました。1万人訴訟原告団事務局長の山田清彦さんが基調報告。再処理工場の完成が困難になっていることが明らかになりました。続いて「再処理から撤退し、青森の自立へ向けて」と題して伴英幸さん(原子力資料情報室共同代表)の講演。また、むつや六ヶ所、函館、全国から運動の報告がありました。集会後は青森市内へデモに出ました。
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夜はNAZEN青森の集会に参加
夕方5時から同じ会場で、NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)青森の結成3周年集会が行われ40名が参加しました。集会の基調提案に立った岩田牧師は「民衆をだまし続けてきた国に負けてはならない。反核燃闘争を始めて31年、社会の基礎をなす民衆が動かないといけない。原発の再稼働と輸出を狙いつつ、戦争実行段階へと突入している安倍政権。フクシマを忘れない。闘い続ける」と宣言。青森と福島の母親たちが参加したパネルディスカッションでは、「フクシマの死の灰の本当の規模は知らされていない」と危険な現状が告発され、「3.11でわかったことは、国は福島県民を守らないということ。沖縄でもそう。国策というものは国民のためのものではない」と訴えがありました。司会の教育労働者からも「原燃の宣伝パンフの小学校配布を青森市では阻止している」と報告がありました。
 被曝労働を拒否し、ストで闘っている動労水戸の労働者からの報告は、放射能の脅威と対決する決意を固めている参加者の心を一つにするものでした。最後に、南部バス労働組合の間山委員長が、「国策と対峙し、階級的な労働運動を貫いていこう。7月の大間現地闘争への取り組みを強化しよう」と訴えました。
 青森では6月の知事選で、反核燃を掲げて県内を二分する選挙闘争に立ち上がっています。核燃サイクルを止めろ!日本の核武装阻止!私たちは攻勢を続けていきます。(百万人署名運動・青森県連絡会 S)