「とめよう戦争への道!百万人署名運動」の呼びかけ人であり、事務局長として運動の先頭に立たれてきた西川重則さんが、7月23日(木)午前10時41分老衰のため永眠されました。92歳でした。
コロナ情勢の中、25日に療養先の静岡県熱海市の斎場で家族葬スタイルで日本キリスト改革派東京教会の今井牧師による式で見送られたそうです。
心より哀悼の意を表します。
コロナ情勢の中、25日に療養先の静岡県熱海市の斎場で家族葬スタイルで日本キリスト改革派東京教会の今井牧師による式で見送られたそうです。
心より哀悼の意を表します。

西川さんは昨年6月に路上で転倒されて歩行が困難となり、昨年末から熱海の施設で生活されていました。ところが3月以降は、コロナ感染対策の中で面会が制限され、ご家族も面会ができないという中でしたので、本当に残念です。
西川重則さんは、百万人署名運動発足の1998年4月4日の九段会館の大集会で司会を務められて以降、つねに百万人署名運動の最先頭で行動されていました。事務局長に就任されて以降の20年間の事務局会議は、ほぼ一度も欠席することなく、事務局長としての責任を果たしてくださいました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました。
西川さんはキリスト者として毎週教会に通われながら、いくつもの団体の代表や事務局長の重責を担われていました。そして、国会開会中は毎日お弁当を持って国会傍聴に取り組まれていました。「戦争は国会から始まる」という危機感から、不断の監視をされていたのです。
大きな悪法(戦争法)が国会に出されるたびに、傍聴席からもどり国会前で警鐘乱打されていました。

また、自らも「わたしたちの憲法~前文から第103条まで」を著し、つねに「憲法に習熟してほしい」と訴えておられました。西川さんがお持ちの「日本国憲法」は何千回、何万回もめくられたのではないかと思われるほどボロボロのものでした。
戦争・改憲をめぐる攻防はこれからますます激しくなります。西川重則さんはつねづね「とめよう戦争!」必ずやこれを成し遂げよう、そのために、自分がつながってきた人々がぜひ力を合わせてほしい、小異を残して大同につこうと言っておられました。
西川さんの御遺志を引き継ぎ、「とめよう戦争への道!百万人署名運動」を継続・発展させ、さらに多くの労働者、市民、農民、学生の闘いとつながって改憲・戦争阻止へ!がんばっていきたいと思います。(百万人署名運動事務局)