とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2017年08月

2016年8月21日未明に、経産省前テントが権力によって撤去されてから、1年になろうとする8月19日(土)、経産省前で抗議集会・イベントが行われました。
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▲2016.8.21未明 テント撤去の現場

脱原発経産省前テントひろばは、撤去された翌日から今日まで 雨の日も風の日も、嵐の日も雪の日も、1日も休むことなく経産省前で抗議の座り込み行動を継続しています。

〇8月19日の様子
イベントは「テント跡地」前の路上で、午後6時から始まったが、5時頃から天気予報通り雨が降り出し、6時前は土砂降りとなった。カミナリさんも光った。

予定通りに会場のセッティングに入り、簡易テントを建てたところ、公安、制服警官、経産省の警備課がやってきて、「テントは大きすぎる、建てるな。パラソルならいい。」などと弾圧する。
いろいろ交渉し、イベント前段のクラリネット演奏は楽器保護のためにテント内でやることを認めさせました。そのあとは結局、たたまざるを得なかったのですが、「日曜合唱団」(日曜日の座り込み当番の人たち)が歌う頃は、雨はやみました。

6時20分から、若手川柳作家(自称)の乱気流さんの司会で抗議集会ははじまりました。
この日のイベントの責任者の橋本さんの発言、テント裁判の被告の淵上さんの挨拶をはじめ、テント撤去時、泊り番をしていた難波さん、双葉町からの避難者の亀屋さん等々、みな意気軒高と発言しました。亀屋さん
7時頃には、当日5時から国会前で行われていた総ががり行動(2400名)が終わっての人たちも集まってきて、路上は100名からの人々であふれました。
ムキンポ全体
その後も、いろいろな人たちの発言が続きました。一言でまとめるなら、“原発が続く限り、経産省前の抗議行動は続ける、テントはなくなってもテントはある、つながって元気に頑張ろう”というものでした。継続は力です。

経産省前テントひろばのイベントではなにかしら口に入るものが出るのですが、この日は冷たい甘酒、塩キュウリ、おせんべい、ウーロン茶が出されました。もちろん、評判は上々。

毎週の金曜日行動でおなじみの日音協(日本音楽協議会)の人がつくってくれた「テントの歌」などはみんなで歌いました。

〇路上にハイエース映画館『路上の小さな抵抗&表現活動~(たぶん)世界最小の映画館~
集会と同時に、路上にハイエース映画館を設置して、上映会をいました。観客は7名程度で最小の映画館といえましょう。
早川ハイエース
車の中
なにを上映したか。
2016.8.21未明にテント撤去執行官・警察・経産省等々がやってきて、テントを撤去した様子を、早川由美子監督が編集したものです。
臨場感あふれるものでこれも評判が良かったです。

最後に、集会宣言が読み上げられ、最後の最後に、司会者から、「経産省前テントひろば設立・9.11から7周年目に突入集会」への参加が呼びかけられて、イベントは終わりました。(T)

8月20日、対岸に泊原発が見える岩内港 旧フェリー埠頭 緑地公園で、「泊原発廃炉でいいんでないかい!TOMA ROCK &泊原発再稼働阻止現地集会」が開かれました。
参加した北海道の仲間からのお便りを紹介します。
* * * * * * *
北海道にも原発があります。日本海に面し札幌市に近く、小樽市に隣接しています。道民の意志を無視して、集会のあった岩内町から望める岬の突端に3つのドームがおどろおどろした姿で立っています。
3-会場から泊原発2
3.11以降は稼働はしていませんが、政府が次のターゲットにしていることは間違いなく、全ての点検と整備は済んでおり、いつでも再稼働はOKと発表しています。

原発の恐ろしさとその犯罪性について、私もあらゆる場面で主張し告発してきました。今回の「泊ロック」と銘打った集会は、激しい島キクジロウさんの唄とトーク、若い皆さんの踊りと太鼓で幕が開けました。そのエネルギーに圧倒されました。(左側が島キクジロウさん)
2-島キクジロウさん
東京、福島、青森、札幌などから駆けつけた活動家や研究者と、キクジロウさんなどのシンガーの切々とした訴えが心に響き、背中を押される思いで暑さを忘れました。(写真下は函館の大間原発訴訟の会の竹田さん)
20泊
屋台もありました。文庫「泊原発とがん」の著者・斉藤武一さんのお店には、ご自分の著書数点の他にトリチウムの測定器(50万円)がありました。全国の皆さんのカンパでやっと買えたとうれしそうに見せていました。
1-ピクニックのような観客席2
最後に主催者から読み上げられた「泊ロック・泊原発廃炉でいいんでないかい」岩内集会宣言が拍手で採択され、デモに出発。約4km、参加者は約200人でした。(北海道 U)

敗戦記念日の8月15日、平和遺族会全国連絡会の8.15集会に参加しました。約100名が参加し、戦争絶対反対、憲法改悪反対で、安倍政権と対決しようと確認しました。
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戦没者遺族の団体としては「日本遺族会」(1947年に創設)が有名ですが、平和遺族会全国連絡会は1986年7月7日に結成されました。この二つの団体は、戦争の見方・戦没者の見方、靖国神社のとらえ方で正反対の考え方を持っています。

日本遺族会は、かつての戦争を「大東亜戦争」と当時の日本政府と同じ表現を使い、「自尊自衛」の戦争であったとしています。したがって、戦没者は「英霊」であり、靖国神社でその魂を「顕彰」し続けなければならないとし、靖国神社の国家護持を求めています。

平和遺族会全国連絡会は、かつての戦争は侵略戦争だったととらえ、家族の死を「意義ある死」ととらえることはできないとしています。そして、侵略戦争遂行のための役割を果たした靖国神社とし、憲法20条の政教分離を守るよう、閣僚や国会議員の「公式」参拝に反対し、政府が二度と侵略戦争をしないよう最善を尽くそうと確認しています。

平和遺族会全国連絡会発足を牽引してこられた西川重則さんが8.15集会の基調報告に立ち、「アジアの視点に立って戦争反対を戦おう、憲法改悪を阻止しよう」と訴えました。
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この日の講演は小西洋之さん(民進党参議院議員)で、「憲法9条を破壊する安倍改憲を阻止する方策」という演題でした。
小西議員は、2014年7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定のインチキ、ペテン性について力説されました。
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具体的には、安倍政権がこれを「合憲」とする根拠として出してきている「昭和47年政府見解」は、その前後の見解と切り離し本来の意味をわざと「読み替えている」ということを、詳しく論証しました。
●「昭和47年政府見解」(原議)の一部
47年見解
上記の赤線の部分の「外国の武力攻撃によって」というところを、安倍政権は「日本に対するものに限られないんだ」とし、「わが国に対する外国の武力攻撃」だけではなく、+「同盟国に対する外国の武力攻撃」も入るtと読み替えているのです。

しかし、上記の政府見解(原議)の作成者ら自身(吉國、真田、角田)が、日本に対するものだけだと明言しています。
<吉國長官答弁(昭和47年9月14日)>
見解1

<真田次長答弁(昭和47年5月12日)>
見解2

<角田長官答弁(昭和56年6月3日)>
見解3
政府見解を作成した当人たちが上記のようにはっきりと答弁しているのに、安倍政権は白を黒と言いくるめるペテンを弄して、集団的自衛権の行使容認は合憲とする7.1閣議決定を強行したのです。本当にひどい話です。

この7.1閣議決定に基づいて、集団的自衛権行使容認の安保法制が強行採決され、これに基づいて、8月17日の米ワシントンでの外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)で日米軍事協力強化が確認されたわけです。

改めて、政府のウソとペテンで戦争体制がつくられていくということに、怒りと恐怖を感じました。
どうして、こうしたことがもっと大騒ぎにならないのでしょうか。
小西議員は、「野党もマスコミも大問題にしないからです」と。
私は、その現実のほうに、さらに怒りを感じました。

小西議員は、このインチキ「読み替え」の政府の不正行為を大問題にしてほしいと言っていました。
ウソとペテンで9条を読み替え、戦争国家をつくるな!と、私たちこそが、安倍政権のこうしたインチキを、職場、学園、地域で暴露し弾劾していきましょう!(S)

8月12日、午後2時から、那覇市の奥武山陸上競技場で、「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」が開かれ、会場から溢れる45000人が結集しました。
下の写真は、参加した百万人署名運動の仲間から送られてきた8.12の写真です。
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同時刻に、この県民大会と呼応する集会が、東京・東池袋中央公園で行われました。(ちなみにこの公園は「巣鴨プリズン」跡地でA級戦犯・東条英機らが処刑されたところです。)
集会が始まる前から続々と人々が集まってきました。
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集会では、8.12首都圏行動実行委員会に参加する諸団体のアピールが続きました。また、「普天間基地所属オスプレイ墜落!同型機の沖縄での飛行強行に、怒りを持って抗議する」という緊急抗議アピールを参加者全体で確認しました。沖縄の県民大会では「オスプレイの配備撤回・飛行禁止」を求める特別決議が採択されたそうです。
集会後、約800人で池袋駅周辺をデモしました。
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8月5日に、米海兵隊普天間飛行場所属のMV22オスプレイが、オーストラリア東部の海上で墜落し、乗員26名中3名が行方不明となりました。

普天間所属オスプレイは昨年12月にも名護市安部の浅瀬に墜落事故を起こし大破しました(乗員6名はかろうじてヘリで救出された)。その後、同所属オスプレイは今年6月にも2回奄美空港などに緊急着陸するという不具合が生じていました。

こんな危険な欠陥機オスプレイの訓練はやめるべきだし、すぐにでも撤去すべきです。

オーストラリアでの墜落事故があった翌日の6日、小野寺防衛相は米軍に日本国内でのオスプレイ飛行自粛を求めたと発表しました。しかし、米軍はその直後の7日に沖縄で飛行を強行。翌8日、菅官房長官は自粛要請には「運用上必要なものを除く」と条件が付いていたと説明しました。

これでは「抜け穴」を用意した形式的な自粛要請でしかありません。9日に菅官房長官は「条件を付けていなかった」と訂正しましたが、結局、安倍政権はオスプレイ訓練をすぐに認めてしまいました。

こうした米軍のオスプレイ訓練強行、安倍政権の容認の動きは、朝鮮半島をめぐる戦争情勢推進の動きと一体だと思います。

沖縄の闘いと連帯し、戦争絶対反対!オスプレイの飛行禁止!と全国から声を上げていこう。(S)

●沖縄県の飛行中止要請を無視して強行されるオスプレイの訓練(8月10日付琉球新報)
琉球新報



8月10日、千葉地裁で第3回目の請求異議裁判・口頭弁論が行われました。約100名が集まり、千葉地裁へのデモと傍聴闘争を闘いました。

集合場所の千葉市中央公園でデモ出発前に小集会。
反対同盟の萩原富夫さんは、前日の北原鉱治事務局長(95歳)のご逝去に悲しみながらも、「遺志を継いで闘い抜く。今日の請求異議裁判をしっかり闘い抜こう」と力強く呼びかけました。

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動労千葉の田中康宏委員長は、動労本部による三里塚闘争を闘う動労千葉への処分攻撃に対し北原事務局長が「君たちは何ということをするのか!」と動労本部に乗り込んでいったというエピソードを語り北原さんを偲びました。そして、「三里塚の闘いがいま多くの人々の心をとらえる時代になった。北原さんの遺志を継いで闘い抜こう」と訴えました。
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反対同盟を先頭にデモに出発。
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「千葉地裁は強制執行を許可するな!」「高瀬裁判長は空港会社の手先になるな!」「営農を破壊するな!」「生活を破壊するな!」とコールして千葉地裁を包囲しました。(下の写真の左側が千葉地裁)
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10時30分からの裁判は1時間以上続き、弁護士が次々立って「強制執行は権利の乱用である」ということを明らかにしました。

行政代執行は直接強制は禁止されているのに、三里塚では暴力的な権力行使の連続であったこと、これを反省し今後あらゆる意味で強制収用をとらないと確認され、時の運輸大臣や千葉県知事も賛意を示したこと等々が詳しくだされました。
また、農地取り上げ強制は営農破壊であり、農民に死を強制することであり、耕作の権利、生存の権利への侵害であり、権利の乱用であると迫りました。

日にちは決まりませんでしたが、次回第4回口頭弁論も行われることになりました。

裁判開始前に、千葉地裁に強制執行を許可するなと求める署名の第2次分2429筆(合計8824筆)を提出しました。
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裁判後に報告集会がありました。
冒頭、市東孝雄さんが、「北原さんの生き方に学び、私も信念を持ってやっていきたい」と決意を語りました。

弁護士からは、いま闘われている請求異議裁判がいかに重要かという提起がありました。
まず、確定判決(最高裁判決)がでているということは権利者側はいつでも強制執行できる状態であるということ。そういう場合、ふつうはこうした裁判(請求異議裁判)の請求は受け付けられず、開かれたとしても1~2回で終わってしまうこと。また、いま行われているような口頭陳述はほとんどできないとのことです。

それを、三里塚の闘いの地平が狭き門をこじ開け、いま現在「強制執行をとめている」ということ。また、署名の広がりや毎回の傍聴闘争の力が請求異議裁判を勝利的に進めていることが提起されました。

そして、向こう側の弱点をついて追い込み徹底的に強制執行を弾劾し抜いていこう、この闘いを全国に知らせていこうと確認しました。

最後に、萩原富夫さんから、ぜひ三里塚現地へ来てくださいと「8.27天神峰カフェ」への参加や、9.1団結街道裁判、9.25耕作権裁判への傍聴、10.8全国集会への参加が呼びかけられました。(S)

詳しくは三里塚芝山連合空港反対同盟ホームページを参照ください。
http://www.sanrizuka-doumei.jp/home02/2017/08/post-170718.html




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