とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2013年10月

ただいま稼働中の原発ゼロ!まったく問題なし!の10月13日(日)、なのに、あくまで「原発再稼働」を推進しようとする安倍政権に、大きな「NO!」が叩きつけられました。
この日の大行動の主催は、官邸前金曜行動をリードしている首都圏反原発連合。共催が、さようなら原発1000万人アクションと原発をなくす全国連絡会です。この呼びかけに応えて、全国から「福島を忘れるな!再稼働を許すな!」と、のべ約4万人が参加しました。

午後1時からの日比谷公会堂での集会に入れたのはわずかな人で、多くの人々は外の日比谷公園に集合。2時からのデモは日比谷公園霞門から出て、外務省前~経産省前~東電前~新橋~日比谷公園西幸門へと、順調にいけば40分くらいのところなのですが、この日は何と、デモに出るまでに3時間も待つということになりました!

2時過ぎの日比谷野音入口付近です。

画像

霞門方向には人並みがぎっしりで、前に進めません。

画像

NAZENの人たちがデモコールの練習をはじめました。

画像

かわいいコールもありました。

画像

こんな少年もデモに参加です。

画像

まだかなあ~ 
2時間が経過したころ、千葉の佐倉から参加の高齢の方々は残念そうに帰って行かれました。

画像

日比谷公園霞門出口です。デモ規制が厳しそうです。

画像

画像

いよいよ、私たちのグループのデモ出発です。

画像

画像

画像

経産省前テントひろばの皆さんとエールの交換です。

画像

私たちのデモが西幸門に戻ってきた頃にはもうすっかり暗くなっていました。

画像


休む間もなく、国会前へ。
国会前では大集会がすでに始まっていて、ちょうど山本太郎さんのアピールの声が聞こえていました。山本さんは、特定秘密保護法反対の全国キャラバンをやり抜いての参加です。お疲れ様でした!

画像

国会正門前では、次々とアピールが続きました。

画像

画像

反対側の歩道からも大きなコールが聞こえました。

画像


数万、数十万の人々が一同に介して集会やデモをすることは大変なことですが、やはり必要なことですよね。いろいろ工夫を重ね、がんばりましょう。そして、何より、職場・学園・地域にもどって、闘いを広げましょう.。

この日のデモには、三里塚芝山連合空港反対同盟のノボリや「、「国鉄1047名解雇撤回」のノボリも見えました。

画像

三里塚現地では、10月20日(日)に全国集会があります。また、11月3日(日)には、同じ日比谷公園内で国鉄闘争を闘う全国集会があります。安倍政権と闘う農民、労働者の皆さんとも連帯していきましょう。
皆さんもぜひご参加下さい。(S)

■改憲・TPP阻止の最前線~10・20三里塚全国集会へ
とき◆10月20日(日)正午~集会開始、集会後デモ
ところ◆反対同盟員所有の畑(千葉県成田市東峰)
集会場への行き方◆JR成田駅前より、午前11時20分発のチャーターバスあり。片道500円
主催◆三里塚芝山連合空港反対同盟(tel.0476-35-0087)

■今こそ闘う労働組合を全国の職場に!11・3全国労働者総決起集会
とき◆11月3日(日)正午開始
ところ◆東京・日比谷野外音楽堂(地下鉄「霞ヶ関」すぐ、日比谷公園内)
内容◆韓国民主労総、アメリカ・ドイツの労働者らの発言あり
呼びかけ◆全日建運輸連帯労組関西生コン支部、全国金属機械労組港合同、国鉄千葉動力車労組ほか(tel.043-222-7207)























10月11日(金)昼、茂木経産大臣あてに「すべての原発いますぐなくせ!」の第3回目の署名提出行動がありました。百万人署名運動からもこれまで集約した「な全」署名3万1090筆を持って参加しました。
この日提出する署名は全部で7万665筆となりました(これまでの総数は13万7561筆です)。

画像

12時に、経産省前に、「すべての原発いますぐなくそう!全国会議」(な全)事務局長の織田さん、な全・品川、な全・江戸川の代表らが集まり、署名簿の入った段ボール箱を担いで、経産省本館地下に赴きました。

画像

経産省側から出てきたのは、資源エネルギー庁電力・ガス事業部原子力立地・核燃料サイクル産業課と政策課の若い人たち2人でした。

織田さんは、署名が入った箱を開けて、それぞれの箱にたくさんの人たちの反原発の意思・要請が詰められていることを示しました。そして、そのうちの福島県で集められた署名の束を取り出して、この一筆一筆には苛酷な生活を強いられている県民の“すべての原発を廃炉に”の思いが詰まっていることをくみ取ってほしいと訴えました。また、子どもたちの甲状腺がんの発症が深刻であり、すぐにも避難させるべきことを訴え、署名を手渡しました。
画像

画像


その後、申し入れ。経産省職員に質問や要望が訴えられました。

「3.11原発苛酷事故後、福島に行ったことがあるか」という質問に対して、一人は行ったことがない、もう一人は行ったことがあると言ったものの、どうして行ったのか、何をしに行ったのかは明確ではありませんでした。経産省職員は全員、福島に行き、研修するのが筋なのに、です。

画像

また、オリンピック招致の際に安倍首相が「汚染水はコントロールされている。港湾内の0.3平方㎞の範囲で完全にブロックされている」と言ったことをどう思うかという質問に対して、彼らは、「あれは、外洋には基準値以下の放射能しか漏れていないから、コントロールされていて、ブロックされているという意味だ」と言いました。
これに対しては、福島県民の怒りがわかってないんじゃないか!ふざけるな!と糾弾の声が上がりました。“基準値以下の放射能”なら「(放射能)汚染水」ではなく、外洋に出してもかまわないという、とんでもない見解です。それを「完全にブロックされている」と言ってかまわないと。

こうしたペテン的論理とウソで、政府・経産省は再びまた原発の再稼働を強行しようとしています。このことを広く訴え、絶対に再稼働させないために、署名をはじめ、さらに大きく「再稼働NO!原発は廃止へ!」と声をあげていきましょう。(T)

●「な全」署名はこちらから

http://www.nazen.info/pdf/NAZEN_shomei_yoko.pdf




















10月5日(土)と6日(日)に、青森において「2013年 反核燃 秋の共同行動」(実行委員会主催)が闘われました。青森と全国各地の仲間がのべ150名参加し、集会とデモをやり抜き、「反核燃」と「原発再稼働阻止・全原発廃炉」の決意を示しました。

5日は青森での行動。青森市内で集会とデモを行いました。集会では、基調報告で、怒りをもって福島現地の過酷な核災害の現状が明らかにされ、福島の人々と連帯して、青森での「六ヶ所再処理工場本格稼働反対」「むつ中間貯蔵施設反対・柏崎刈羽からの使用済み核燃料搬入阻止」「大間原発絶対反対」の闘いを強めようと訴えられました。

画像

次に、新潟で柏崎刈羽原発再稼働の動きと闘っている近藤容人さん(刈羽村議、写真下)が発言し、東電・柏崎刈羽原発の使用済み核燃料プールは85%埋まっており、再稼働させるためには搬出させるしか方法がなく、その搬入先として「むつ中間貯蔵施設」が狙われていることを明らかにしました。この提起は、柏崎刈羽の住民と青森のわれわれが団結して闘うことの重要さを強調するものでした。

画像

さらに、青森現地からは、むつ市において2000年より中間貯蔵施設建設反対の活動を続けてこられた「下北の会」の野坂さんが発言しました。かつて地元では、住民を二分した「原子力船むつ」闘争があり、95年に「むつ」廃船が決定したその数年後に、東電と当時のむつ市長が、「むつ」母港化を狙って失敗した関根浜を使って使用済み核燃料を陸揚げし、近くに「中間貯蔵施設」をつくると画策していることが表面化。そのとき以来、「未来に負の遺産は残せない」と反対運動を続けてきていることが報告されました。
                  
また、函館から参加した方からは、「3.11以降は、函館市は現地そのものという感じになった。福島の次があってはならない」と、大間原発絶対反対の決意が表明されました。
「8.6広島-8.9長崎反戦反核全国実行委」の三角忠さんからもアピール。日帝の核政策の基本を「日本のマンハッタン計画」としてとらえつつ、青森での反核燃闘争を、沖縄、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ・全国の反原発闘争と一体的に闘うことの大事さを強調するものでした。

集会の後は市内デモ。秋晴れのもと、集会発言者を先頭にして、祭りの行事に参加していた多くの人々の注目を受けながら、若い人も年配の人も元気いっぱい声を出してやりぬきました。

画像


翌6日は、むつ市での現地集会&デモ。集会は三里塚の団結小屋のような「浜の家」敷地内で行われました。「浜の家」は、原子力船「むつ」母港化を阻み、「むつ」を廃船に追い込んだ闘いで重要な役割を果たした団結小屋でした。むつ闘争勝利後も、仲間によって維持・管理されてきました。

画像

          「浜の家」です。

画像

集会後、中間貯蔵施設に向かってデモ行進。デモ解散地でもある貯蔵施設前で、「柏崎刈羽からの使用済み核燃料搬入を許さない!」という決意を誓い合いました。

画像

私は、今回、むつ現地闘争を全国の仲間とともにやり抜いたことの意義は大きいと感じています。
反原発闘争に勝利していくためには、全国の仲間が、敵の攻撃の一つながりの正体(=新自由主義)を暴きながら団結して闘い、他方で、人々が暮らす現地におもむいて統一行動を積み上げていくことが大事だと思います。またそれには、現地の労働者住民に説得性をもった提案をし、信頼を得て、運動を進めていかなければなりません。
また、「むつ」廃船闘争のような、住民に犠牲を押しつける不正を粉砕した民衆のすばらしい闘いが、各地の歴史にあることに思いをはせ、これに学ぼうということです。その中から、変革のためのエネルギーを獲得していくのです。歴史をどう見るかで、自らの行動が狭まったり大胆になったりすることがあると思うのです。3.11以降の大間原発反対闘争の新たな展開は、それを示していると思います。
労働者民衆を信頼し、自分を信じ、大胆に行動していきましょう。(青森県連絡会・S)











10月6日、島根県出雲市の中心市街地で、陸上自衛隊出雲駐屯地の軍事パレードが行われました。「開設60周年記念」と称して出雲駐屯地が主催し、島根県と出雲市が共催して行われたものです。こんな軍事パレードはおかしい!と連絡会として抗議にかけつけました。

パレードに先立って出雲市役所となりの大通りで記念式典が行われ、大音量で、地元選出の国会議員・島根県知事・出雲市長(ほとんど代理)などのスピーチが流されました。島根県は朝鮮半島に近く、「竹島=独島」の領有権を主張していることもあって、「国防」への強い期待を込めたスピーチが相次ぎました。また、地元出雲の地名をつけた海上自衛隊最大の艦船となるヘリコプター空母「いずも」が進水したことを誇る発言もありました。
記念式典には、こうした地元権力者だけでなく、自衛隊協力団体や中国電力などの有力企業などが会員や社員を動員し、右翼や軍事オタクがこれを取り巻くといった異様な光景でした。

画像

続く軍事パレードでは、出雲駐屯地の第13偵察隊などの隊員130人が小銃を携帯し、装甲車やりゅう弾砲けん引トレーラーなどの車両60台が行進しました。上空には、鳥取県の三保基地からC1輸送機が飛来してきました。
パレードには、出雲駐屯地だけでなく第13旅団に属する山口駐屯地や岡山県の日本原駐屯地からも参加していました。海外侵略や治安出動の先兵としての自衛隊を隠そうともせず、暴力装置である自衛隊の姿を露骨にさらしていました。

画像

こうした自衛隊の軍事パレードに反対する勢力はほとんど見あたりませんでした。こうした中、百万人署名運動・山陰連絡会は、「STOP自衛隊軍事パレード!STOP集団的自衛権行使!」を呼びかけて奮闘しました。
強風で、横断幕が一枚しかない小規模な闘いになったにもかかわらず、多くの市民が横断幕の前で立ち止まってくれました。また、「憲法改悪絶対反対!国防軍保持絶対反対!集団的自衛権発動絶対反対!」を訴えるビラの受け取りを拒否する人はほとんどいませんでした。「ご苦労様です」とか「頑張って」と声をかけてくれる市民もいました。

多くの市民が「日の丸」の小旗を振って自衛隊パレードを迎えるような“自衛隊賛美”一色のなかでも、憲法や自衛隊を取り巻く危険な流れを敏感に感じ取っている市民が多数いることを実感しました。(山陰連絡会・F) 











10月2日(水)午後6時30分~8時まで、新橋駅近くの東京電力本店前で、放射能汚染水とめろ!柏崎刈羽の再稼働するな!の抗議行動が行われ、約400名の怒りのコールが渦まいた。
主催は経産省前テントひろば、首都圏反原発連合、たんぽぽ舎、東電株主代表訴訟の4団体。今後、11月6日(水)、12月4日(水)にも行なわれる予定だ。

画像

東電の放射能汚染水漏れはとどまるところを知らない。実際この日も、傾斜したタンクから台風による多量の雨水によって高濃度のストロンチウム汚染水がダダ漏れした。

東電は汚染水に対する対策に対して何も手を打たない(打てないのではない)ままに、あろうことか、電力事情や東電の利益の欠損を押し出して、柏崎刈羽の再稼働申請をした。このことについては、東電をかばいにかばっている原子力規制庁ですら、「汚染水対策が後手後手で出来てないのに柏崎刈羽を動かすことなど出来るのか」と言っているほどなのだ。
この日の行動は怒りに満ちていた。コールも激しく、「東電解体!」に集約された。

画像

抗議行動では、主催者を代表して、たんぽぽ舎の柳田真さん、東電株主訴訟の木村結さん、反原連のレッドウルフ・ミサオさん、テントひろばの八木さんなどが発言した。
双葉町前町長の井戸川さんも「オリンピックなんか開催されてもうれしいことはない。悔しい思いで仮設で暮らしている人たちをどうするのだ」と言っていた。

画像

途中で、各団体の代表者が抗議の申し入れ書を東電に突きつけた。受け取った人は「必ず責任者に渡す」などと言いいながら、「渡す責任者の名前は何というのか」を聞いても答えられなかった。そしてやっと「広瀬社長に渡す」と約束した。

午後8時、参加者たちは「東電解体」を闘って行くこと確認してこの日の行動を終えた。(T)












↑このページのトップヘ