とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2012年05月

2日目、13日はレンタカーを借り7人で沖縄中部を占める普天間基地、嘉手納基地をめぐり、宜野湾海浜公園野外劇場の「復帰40年 5・15平和とくらしを守る県民大会」(同実行委、沖縄平和運動センター主催)に参加しました。

まず、普天間市の嘉数台地へ。前方に見えるのが普天間基地です。普天間基地の周辺には住居や商店、学校が密集していて、騒音のみならず24時間365日危険と隣り合わせです。

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ここは沖縄戦での激戦地となったところ。
トーチカ(射撃隊が入っていた)や壕が沖縄戦時を思い起こさせました。

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普天間基地に続いて、キャンプ瑞慶覧、キャンプ桑江、そして嘉手納基地。基地のフェンスが国道沿いに延々と続きます。

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途中で米軍基地内に「日の丸」と星条旗が並んでたっているのを見て、「ついに日米一体か!?」とびっくりしました。

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このような基地また基地の大きな道沿いには、お店も大きなものしかありません。ちなみに途中で寄った食料品などの大きなスーパーで働くパート労働者の時給はなんと670円(!)とのことでした。

「安保の見える丘」から見る嘉手納基地の滑走路。

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すぐ前の「道の駅かでな」の屋上より。

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普天間でも、嘉手納でも、なんとこの日は一機も軍用機が飛んでいませんでした。地元の人の話ではなぜか毎年5.15前後はこのように静かなのだそうです。

5・15県民大会会場へ。午後2時からシュプレヒコールで集会が始まりました。

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平和フォーラム代表の挨拶の後、糸数慶子さん(社大党委員長・参議院)、照屋寛徳さん(社民党・衆議院)、山内徳信さん(社民党・参議院)ら沖縄出身の国会議員らが挨拶。嘉手納統合案を主張する下地衆議院議員(国民新党)への批判がありました。
さらに与那国島の闘い、普天間基地や嘉手納基地から爆音をなくす闘い、辺野古・高江の闘い等の報告。韓国の平沢(ピョンタク)からも米軍基地反対を闘う人々の連帯を求める発言がありました。
また、発言者から、野田首相らが5.15に沖縄の記念式典に参加することへの大きな弾劾の声があがりました。
福島からも平和行進に参加した国分俊樹さん(福島県平和フォーラム事務局長)が発言。原発問題も基地問題も根っこは同じ、この社会に風穴を開けるために沖縄から基地をなくそう、それが福島の支援になる、と訴えました。

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3日間の平和行進に参加した青年労働者たちの報告。

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県民大会には約3000名が参加し、高江、辺野古の新基地建設反対、オスプレイ配備阻止、普天間固定化・嘉手納統合案反対、沖縄戦の風化と教科書改ざんを迫る動きに反対など、いっそう団結を強めて闘い抜くことを確認する大会宣言を発しました。


百万人署名運動は沖縄に派遣団を送るのと一体で、全国各地で沖縄の基地撤去を求める街頭宣伝に立とうと呼びかけました。
この日の県民大会と同時刻に、東京・上野駅前でも、百万人署名運動の仲間が街頭宣伝をおこないました。「基地撤去・安保をなくせ」の署名への反応もとても良かったそうです。県民大会でも島田善次さん(普天間から爆音をなくす訴訟団団長)から「皆さんの地元で沖縄の基地基地問題をどう考えるか問いかけてほしい」と訴えられました。がんばりましょう。(Se)

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   沖縄・憲法署名用紙

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    全国統一ビラの表

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    ビラの裏です。

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5月12日~14日、沖縄に行ってきました。「復帰」40年目の5.15沖縄には、「この40年間、何も変わっていない!」という怒りと憤りが渦巻いていました。
その中で、「このままでは本当に私たちの未来だけではなく、子どもたちの未来まで奪われてしまう。私たちには次の社会を建設する責任がある。」と職場で日々闘い抜いている青年労働者らと共に、3日間連続の集会・デモに参加してきました。

第一日目は、那覇・国際通りデモと「復帰」40年、5.12沖縄集会に参加。
県庁前広場には、青年たちを軸に全国各地から闘う労働者や学生、市民らが集合。大きな「福島隊」のノボリもありました。

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那覇で一番賑やかな商店街へ。
青年たちは、「基地はいらない、原発いらない」「労働者は死んではならない、死すべきなのは米軍基地だ」「ストライキで基地をなくそう、ストライキで原発なくそう、ストライキで戦争とめよう」「闘う組合よみがえらせよう」とラップ調のコールで沿道の人々に呼びかけました。

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沿道からも共感のエールがたくさんありました。

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私たち持って行った全国統一ビラをまきました。

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デモ終了地点の与儀公園で見た豆の木(?)です。

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デモのあとの集会(主催:集会実行委員会)は、与儀公園となりの市民会館でおこなわれました。会館近くの掲示板に「時の眼・沖縄」比嘉豊光・山城博明写真展のポスターが貼ってありました。

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写真展は15日からなので、「見られないのが残念」と思いながら会場へ。そうしたら集会の前段でこの比嘉さんたちの写真のスライドがあったのでラッキー!でした。
昨年の琉球新報に載った比嘉さんの衝撃的な写真と「時の眼」記事より。

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集会の中でも、現在の若い基地労働者からの発言がありました。
関連して、沖縄タイムスの記事より。

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集会では、フクシマから教育労働者の報告と診療所建設への訴えがあり、3.11以降のフクシマとオキナワの闘いと想いがひとつになりました。

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さらに国鉄労働者(動労千葉、動労水戸、国労闘争団)も発言。今こそ新自由主義とたたかう労働組合をつくろう、職場で仲間を増やし6・10全国集会(13時~東京・文京シビックホール)に集まろう!と呼びかけました。(Se)























5・15沖縄闘争の全国街宣ビラをつくりました。
ダウンロードはこちらから。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hyakuman/bira.htm

ビラ片面の下、点線カコミ部分を、
各連絡会の連絡先に置き換えてもかまいません。
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経産省前「テントひろば」は原発再稼働を許さないために闘った。
5月5日こどもの日を原発ゼロで迎えたいという思いだったが、それは実現できた。稼働原発ゼロは42年ぶりだという。しかし今回のゼロは、泊原発が定期点検に入ったから「原発ゼロ」なのではなく、再稼働をとめてゼロにしたのだ。闘いとったゼロなのだ!

4月17日から始まった集団完全ハンストは5月5日正午まで続けられた。最終日、朝10時にはテント前は賑わいはじめた。でもまだハンストは続いていた。
12時から、テントひろばとしての集団ハンスト行動の終了式を行う。

渕上さんが総計118名以上の人がハンストに参加したことを報告し、ハンスト行動の意義、この日にゼロを迎えたことの意義を話した。そして、今後もっともっとこのゼロを続けよう、1日ずつ数え、30日、365日、2年、3年と原発をなくす日まで数えきろう。そういう長い闘いを今日を出発点としてやっていこうと述べた。

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椎名さんは言った。
このテントひろばが経産省、東電に身体をはりながら抗議の声をあげていることをすごいと実感した。原発いらないの闘いは、このテントひろばを抜きにしてはあり得ないと思った。12月1日から「未来を孕むとつきとおかの女たち行動をはじめた。そして今日まで、みんなで守って闘ってきた。再稼働阻止の全国の闘いをここで見ることができた。
今日はその成果のうえに原発ゼロの日を迎えることができる。そのお祝いの日を福島の仲間たちとテントの前でできることがとてもうれしい。夕方からはかんしょ踊りで経産省を取り囲みます。原発ゼロはみんなでとめたんだ。次は廃炉に向かって行きましょう。
子どもたち!3.11はごめんね。でもやったよ!今日を迎えたよ!これからもこの大人たちのつながりを絶対ほどくことなく原発いらない世界をつくるためにがんばります。子こどもの日バンザイ!

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7日間のハンストをやった江田さんから。
原発ゼロをわれわれがかちとったということをわれわれ自身がかみしめる必要がある。今朝の朝日新聞は「達成感なき脱原発運動」というタイトルだった。しかし、そうだろうか。ここにはマスメディアの姑息な性格が現れている。われわれは達成感なきなどと思っていない。われわれはここで運動の一つのポイントをやりきった。10万人集会を成功させることも達成感になる。そういう形で闘いのうねりを作り出すひとつがこのテントの行動だったと思う。だから、メディアのそういう姑息な言動に惑わされず闘おう。
この反原発運動はわれわれが考えている以上に、原発に依拠していくような政治に対して圧倒的なアンチを作っている。あきらかに社会を変えていくということにつながっていく。その点をしっかり自覚して、第一次ハンストを終わります。第二次がいつ始まるかわからないけど、原発村は再稼働を狙っているので、その時に、その動きに負けないようなポイントをつくっていきましょう。
それから、子どもの日は重要だ。われわれは子どもに大きな責任を負っている。今日は菖蒲と柏餅と鯉のぼりでお祝いをしよう。

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北海道・岩内町の斉藤さんからのメッセージ。
原発ゼロの記念日に乾杯、そしてダッシュだ。
原発への怒りを満身に包み込み、30年にわたり泊原発と闘ってきた。そんな私だが今夜は乾杯。どこまでも素直に乾杯。日本中で運転している原発などないのだから乾杯。福島の悲劇、原発のゴミ、原発解体、原発のある村や町のこれからのこと問題はなにも解決していないが、今夜は夜空に乾杯。
そして夜が明けたらダッシュだ。私にはさらなる闘いが待っている。夜空よ、乾杯の思いを受け止めてくれ。乾杯からダッシュだ。さらなる闘いへダッシュだ。いまこそ原発のない理想の未来をつくり出すときだ。原発はひとりひとりのダッシュを求めている。乾杯からダッシュだ。闘いに疲れ果てていようがダッシュだ。未来に向けてダッシュだ。

このあと、手書き鯉のぼりの紹介。
そして、水でカンパイをしたのち、女たちを中心に芝公園集会に歩いて向かう。
(集会の紹介は昨日のブログを参照ください)

デモ出しをして、すぐテントにもどり、5時から経産省包囲のかんしょ踊りを行う。

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福島の女たちは、ところどこに位置して、所作をしめしながら踊る。この次は、経産省が勤務をしているときにやろうという気持ちになる。

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再びテントににもどり、テントひろば前でカウントダウン集会を開催。
柏餅が配られ、カレーが配られる。
そしてリレートーク。ライブあり。
みんなの顔は明るい。
泊原発の停止は5時過ぎから始まる。11時過ぎまでテントは賑わう。(T)

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5月5日こどもの日、青空のした、鯉のぼりを手にした労働者市民で芝公園23号地は埋まった。この日に北海道・泊原発3号機が定期点検に入り、全国の原発54機がすべて止まる。再稼働を策していた政府、電力会社に痛打を与えた。この状態は労働者市民が闘いとったものだ。集会では「みんなで喜び合おう。そして、再稼働を許さないために新たな闘いに入ろう!」と確認しあった。

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集会は卍のトークと歌の後、鎌田慧さんが主催者挨拶。澤地久枝さん、内橋克人さん(経済評論家)、古今亭菊千代さん(落語家)、長田秀樹さん(北海道平和フォーラム事務局長)、チェヨルさん(韓国環境財団代表)、椎名千恵子さん、神田香さん(講談師)、落合恵子さんが発言。

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この間、経産省前テントひろばのハンストを牽引してきた「原発いらない福島の女たち」が登壇して、代表して椎名千恵子さんが発言した。
「福島では花が咲き、若葉がきれいになりました。自然は移っていっています。しかし、福島は3.11のまま止まっております。子どもたちがかり出されて4月には福島市で「キッズパレード」と称して、1マイクロ、2マイクロといった高線量の中を歩かせました。復興キャンペーンイベントです。本日は郡山で「まちなか子ども夢駅伝」というイベントが開かれています。ありえないことです。私たちは胸が張り裂けそうです。悲しいです。しかし、泣いてばかりいるわけではありません。先日、福島原発告訴団が立ち上がりました。また、命の側にたつ診療所建設運動も立ち上がっております。まだまだ力不足ですが、みなさんつながって応援した下さい。」

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「今日は、原発いらない女たちが『かんしょ踊り』で経産省を取り囲みます。かんしょ踊りは会津地方に明治時代から残る盆踊りです。民衆がその生を謳歌し、その意地を確かめるために178番の歌詞をつけて踊りまくる踊りです。戦後GHQはこの踊りに激しい民衆の意志を見て弾圧しました。私たちはその抗いの踊りを今日踊ります。経産省を取り囲みます。みなさんもつながって下さい。」

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「もうひとつ確認したいことがあります。今日、原発いらないと活動してきた人たちと原発ゼロを迎えます。子どもへのプレゼントをすることができます。止まったんじゃない、止めたんだということを確認しましょう。そして、もうひとつ。どんな絶望的なことが起きても私たちは子どもを守る、未来を守り未来をつくっていく大人たちがこの日このときに集まっていることです。これも子どもたちに生きる姿勢をみせるというプレゼントではないでしょうか。さまざまな違いがあります。ときにそうした違いに腹をたて、怒りをもち、情けなくなったりもします。しかし、そうした事態を誰が喜ぶんだということを頭に置いて、今日のこのつながりをほどくことなく、ひるむことなく原発いらない日に向かって続けて行きましょう。」

集会終了後、芝公園を大きく一周し、浜離宮公園までデモ行進。
「福島の女たち」はデモ出発点のところで、会津磐梯山のメロディーのかんしょ踊りを踊って「デモ出し」をしていた。

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暑い長いデモだったが明るく解放感に満ちていた。闘いはいよいよ本番に入る。(T)

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福島の女性もアピール
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