とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2011年11月

野田政権は、改憲に向けた動きを活発化させています。

臨時国会冒頭の10月20、21日、衆参の両院で憲法審査会の会長と委員が決められました。

憲法審査会とは、改憲案を発議できる国会の常設機関です。

その初議論が、11月17日に衆議院の憲法審査会で行われます。

東京新聞(11月8日朝刊)では、「憲法調査特別委員長を務めた中山太郎元外相を呼び、国民投票法制定の経緯などの説明を求め、質疑も行う」と報道されています。

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日経新聞(11月8日朝刊)は、「ある与党側幹事は、『いきなり具体論に踏み込めば議論は止まりかねない。いまは定期的に集まる方が重要だ』」という報道を加えています。

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前原民主党政調会長は、「集団的自衛権に関する憲法解釈の見直しを行うべき」と繰り返し発言しています。また、中山太郎氏は、緊急事態に関する改憲試案を9月冒頭に全国会議員に配布しています。改憲策動が激しく動き出しているということです。

私たち百万人署名運動は今、「反原発!反改憲!」を掲げて、改憲阻止を基軸とした運動を改めて推進していく決意です。

3・11を奇貨とした、この全面的な改憲攻撃に対して強い怒りをもって、徹底対決していきましょう!!






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 11月6日(日)、東京・日比谷で、「反原発!反失業!」を掲げた全国労働者総決起集会が開催され、百万人署名運動も事務局長を先頭に全国から参加しました。雨天予報にもかかわらず5950人が参加、デモ終了まで天気も持ちこたえるという奇跡もあって、集会やデモは大いに盛り上がりました。以下、写真報道と、西川事務局長の発言録です。
主催者の速報はこちらで↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.geocities.jp/nov_rally/

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本集会の前段で若者集会。「革命音楽祭」でした(^_^)/

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被災地・フクシマからもたくさん参加。

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来日したアメリカや韓国などの労働者、滞日外国人が連帯をアピール。

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フクシマを代表して清野和彦さん(百万人署名運動呼びかけ人)が発言。

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子ども福島ネットワークの中手さん、佐藤さん、椎名さんが、子どもの避難と全原発の廃止を熱烈アピール。

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千葉・三里塚から反対同盟農民がTPP阻止を訴え。

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裁判員制度阻止へ、森川文人弁護士がアピール。

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西川事務局長が「改憲阻止」へ決戦アピール。

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反原発・反失業・改憲阻止11.6労働者総決起集会への連帯メッセージ
とめよう戦争への道!百万人署名運動事務局長 西川重則


 「とめよう戦争への道!百万人署名運動」の事務局長、西川重則と申します。私たちは、「民衆のみが戦争を止めることができる」ことを確信し、国際連帯の闘いを共に闘い、日本国憲法の真髄である第九条、すなわち「絶対的不戦・非武装」の定め、「侵略戦争のみならず自衛戦争をも含めた一切の戦争の放棄」及び「陸海空軍のみならずその他一切の戦力を保持しない」という画期的な意味を受け入れ、「とめよう戦争への道」を邁進してきました。

 しかし、敗戦後66年を経過した2011年の日本は、再び戦争への道を直進する政治がなされています。

 率直に言って、今年の3月11日の東日本大震災を奇貨として、平和憲法破壊である改憲がめざされ、具体的な条文の改悪が公然と進められています。国家緊急権や自衛軍の明記、集団的自衛権の行使や徴兵制、基本的人権の制約その他、まさに改憲派は、憲法の全面改悪を早期に実現しようとしています。フクシマや被災地で行われていることは、生存権の剥奪、基本的人権の破壊そのものです。

 こうした中で今年の5月18日、参議院憲法審査会の規程案が、圧倒的多数によって可決・成立しました。投票総数229名、賛成の投票数218名、反対は11名でした。憲法審査会は、憲法改正(改悪)を具体的に進める国会の機関です。

 そして10月20日からの臨時国会で、衆議院・参議院の憲法審査会の委員と幹事を選任し、21日には両院の憲法審査会の初会合が開かれ、会長が選ばれました。改憲のための憲法審査会が動き出しました。直接国会傍聴を続けている私にとって、改憲賛成の幹事及び委員が多数である両院の憲法審査会の現状は、改憲の危機を予測せざるを得ません。

 1955年11月の自民党発足の時、「党の使命」として「現行憲法の自主的改正」を公表し、「国民の負託に応えん」と決定した出来事を、私は忘れていません。戦争を可能にする「改憲・国防・教育」を柱とする有事体制化を阻止すべく、国際連帯の下、最善を尽くすことを宣言します。

 野田内閣は、改憲推進、原発推進の内閣です。私たちは、改憲と戦争を許さないために、フクシマの怒り、オキナワの怒りと一つになって、「反原発、反改憲」の百万人署名運動を推進します。そのことを決意し、連帯の挨拶とします。
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米韓の労働者がデモを迎え入れ。


全国から結集された皆さん、お疲れ様でした!

「反原発、反改憲」の取り組みをぐいぐい進めましょう!!







●11月4日(金)、この日は午前中、水俣病とたたかう人々が座り込みへの激励に訪れました。患者さん2人と支援の人々で、「水俣で起きたことが、これから福島でもおきるのではないか」「絶対に政府や東電の責任をあいまいにさせてはならない」と訴え、一人一人がマイクをとって連帯をアピール。

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 また、福島から車でかけつけた畜産農家の吉沢さんも怒りのアピール。被爆した自分の牛330頭を見殺しにはできない、と今でもエサを与えに行っているそうです。絶望の淵で仲間5人が自ら命を絶ってしまったとのこと。言葉もありません。吉田さん自身セシウム134を3100ベクレル、さらにもっと被曝していながら、「私は、死んでいいからたたかう。原発をとめろ!」「団結しよう!」と力の限りの訴えました。

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詳しくは「希望の牧場~ふくしま~」参照→http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/

●昼からは、東電・霞ヶ関周遊デモ。日比谷公園霞門から出発して、→外務省→財務省→文科省→新橋駅ガード下→東電前→日比谷公園中幸門まで、約1時間のデモを元気にやりました。100人を超える人々が集まり、官庁街で働く労働者に心に届けと、アピールを続けました。

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あの犯罪者・東電が近づきました。

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声の限りにシュプレヒコール。

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 デモのあとも、座り込み。福島からも佐藤幸子さん、武藤類子さんらが駆けつけました。
不眠不休(!?)の佐藤さん。政府・東電・御用学者への怒りとパワー、子どもたちへの想い、に続こう!

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87歳の武藤さんのお母さん(右)も駆けつけられました。
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●11月5日(最終日)
 この日も朝9時から座り込み開始。10時過ぎに、ドイツ人男性2名が激励に訪れました。翌日の11.6労働者集会に参加するために来日した人々。ドイツでも反原発を闘っており、「連帯して世界から原発をなくそう」とアピール。

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 この日も全国から女性たちが座り込みに参加。広島や岡山からも婦民全国協など多数が参加しました。

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●11時過ぎ、日比谷公園内「郷土の森公園」に移動して全体で座りこみのまとめ集会と交流をやりました。今回のアクションを呼びかけた女たちは、「福島を引き継ぎ座り込むと言ったが20名くらいしか集まらないのではないかと思った。でも全国からたくさんの人が集まってくれて大成功した。これからも、女たちはつながって行動し続けよう」と次々と発言。
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 フラダンスチームの3人が、この日も祈りをこめてジョン・レノンのイマジンにあわせて踊ってくれました。参加者はメッセージを書いた布のバナーをみんなで持って拡がり、噴水を囲んで輪になり、全員が一言ずつ発言していきました。

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福島からの人たちも次々と発言。「福島は非常な困難の中にあるが、あきらめないでかんばる」と。100人以上が参加し、福島の女たちと強く、強く結んで、全国各地で「原発なくせ!」と行動しよう、つながっていこうと誓い合いました。

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 「福島の女たち」の経産省前・座り込みを引き継ぎ、10月30日から「全国の女たち」の座り込みが開始された。11月5日まで毎日、朝9時~午後6時まで続けられる。

●初日は、谷田部さんの司会でキックオフ。リレートーク、うた、踊りと女たちのアピールが続いた。

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アトランダムに発言(要旨)を紹介します。
*呼びかけ人のアイリーン・美緒子・スミスさん。
「ここは朝から晩まで『私たちは原発はいらない』と思う女たちの行動とリレーの場です。原発に反対する人も、反対だけどどうしていいか分からない人も、女たちは手を携えて、『原発は入らない』という思いを胸に座ることでアピールします。お金と時間とエネルギーを使って集まってくれてありがとうございます。その力で新しい世界を築きましょう。この場から自分の持ち場に帰っても、そこで闘い続けましょう。」
*北海道の安斎さん。
「北海道の泉さんと私と福島の佐藤さんとアイリーンさんでニューヨークに行ってアピールしました。もう黙ってはいられない。行動を起こそうと立ち上がった。私は私のすべてをかけて原発反対で闘います。」
*呼びかけ人代表の山口たかさん(北海道)。

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「北海道では、夏休みに3200名の福島の子どもたちを受け入れた。マスクをして窓を開けることができない生活をしていた子どもたちは、外でのびのびとしていた。夏休みが終わって帰るとき、子どもたちは『福島では北海道のときにように外で遊べないね』と言っていた。3~4才の子が土をビニール袋に入れて『この土と自分の家の庭の土と入れ替えるの』と言いました。そんなことを言わせる、やらせる社会が文化国家と言えるのか。そんな経済大国って意味があるのか。これまでの生き方、社会のあり方を大きく転換すること、それが3.11の意義だと思う。
 野田政権、経産省は原発の稼働を続けると言い、ベトナムへの輸出を決めて、経済成長を計ると言っている。また、武器輸出3原則をゆるめて、経済成長を計ると言っている。憲法審査会も始動した。福島の子どもたちは「健康で文化的な生活を営む権利」を奪われています。
 子どもたちが避難できるように立ち上がってください。原発はいらない。原発なくてもやっていける。社会を変えよう。女性たちの怒りを共有していってほしい。」

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 この日は、山本太郎さんや湯川れい子さんも参加して、原発を止めるまで頑張ろうと呼びかけた。また、いわきのフラダンスチームの3人の踊り子さんが来て、原発なくそう思いを込めて3回踊られた。

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●10月31日(月)、11月1日(火)は朝、テント前で記者会見を行った。また、ランチタイム行動で、経産省別館(中小企業庁)前で、昼休みで庁舎から出てくる職員=国家公務員労働者たちにアピールをしながらチラシを撒いた。この別館2階には原発関係の部局が入っていて、原子力保安院も入っている。男たちの多くが無関係のような顔で通り過ぎていった。
 この日はベトナムへの原発輸出を決めた野田内閣に対し、怒りの抗議行動を行った。緊急に呼びかけた「原発輸出反対の署名」も提出した。

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●11月2日(水)の行動は怒りで始まった。
①玄海原発4号機は10月4日に事故で停まっていたのに、九電は再稼働を決め、未明に稼働させてしまった。政府が容認し、原子力保安院も許可したというのが九電の「正当性の根拠」だった。九電はどこまでも卑劣な体質だ。
②さらに中国電力が「上関原発着工」の記者会見をした。許せないことだ。上関町の町長選にで原発推進派が勝ったことを根拠にしているのだろうが、これも許せないことだ。
③さらにこの日は福島第一原発の2号機で、原発の臨界の時に発生するキセノンが検出されたというニュースが報じられていた。
 どれ一つをとっても、座り込む女たちには許せないことだ。発言者は抗議の意思表示を続けた。
 ランチタイム行動は厚労省・環境庁前で行った。チラシの受け取りは経産省別館よりはよい。霞ヶ関のエリートの男たちは役所のカゲに隠れないで、自分の足で立って、自分の考えを出す自由をもってほしい。声をだして欲しいと訴えた。
 この日は、12時15分から参議院議員会館で玄海原発4号機再稼働への抗議の記者会見と院内集会が行われた。

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さらに、枝野官房長官事務所への抗議、佐賀県東京事務所への抗議などが行われた。

 午後5時前に、JR有楽町駅前にある九州電力支社に抗議に行く。九電前には約100名が集まり、佐賀県から上京した人2人と在京の佐賀県出身者の3人が要請文をもって、九電と面会した。面会はあらかじめアポをとって行われたが、九電側は面会者は3人しか認めないとか制限を付けてきた。そして「アレコレ言うなら会いませんよ」などといった横柄な態度をとった。
 面会した時も、九電の原発事故の深刻性についての認識が感じらず、見解の相違などと繰り返し、原発は国策であり、今回の再稼働も国が認めたので再稼働したと言い張った。また、この間のやらせメールについての九電のあきれるような態度への反省などみじんも感じられず、やらせメール問題と再稼働は別だと驚くような態度に終始したそうだ。

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 抗議行動は6時まで続けられた。

→詳しくは「全国の女たち」のブログhttp://d.hatena.ne.jp/onna_suwarikomi/を参照ください。









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経産省前座り込み闘争の初日であった10月27日、「原発いらない福島の女たち」が経産省申し入れを行ったビデオです。約1時間ですが必見です。この涙と怒りの訴えに、なんとしても応えたいと思います。









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