とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2011年09月

 東日本大震災・福島原発大事故から6ヶ月目の9月11日、怒りの福島を先頭に全国で「原発なくせ!」「子どもの命を守れ!」と政府・電力会社への責任を徹底的に追及するデモがたたかわれました。東京でもいくつかのデモがおこなわれました。私たちはこの日、新宿駅東南口で「再稼働も新規建設も一切やめて、全原発の停止・廃炉を」「福島の人々と、子どもたちの命と生活を守れ」「国と東京電力は、福島第一原発事故の全被害を補償せよ」と政府に要求する署名活動とアピールに取り組みました。新宿デモに参加する仲間たちも参加してくれ、にぎやかな街宣活動となり、1時間半ほどでしたが130筆が集まりました。

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 フランス人も署名してくれました。

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 放射能汚染の現実を切々と訴える。

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 今、生きるために声をあげようと訴える“闘うアーティスト”

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 午後2時近くに、新宿デモの集合地点の新宿駅東口に移動。アルタ前の公園はなんと頑丈な塀に囲まれて狭いところが余計に狭く、人々が集まれないようにされていました!
 こんなものです。これにいくらお金をかけたのでしょうか?!
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 そして、デモ呼びかけ人の素人の乱の松本さんが、警察の側からの一方的なデモコースの変更、デモ出発地点の変更がなされたこと、サウンドカーなども駅前につけられないように警察車両が占領してしまっていることが報告されました。しかしこんな妨害など跳ね返して9.11アクションを断固やろうと、東南口に移動してのサウンドアピールへの参加と中央公園からのデモへの参加が呼びかけられました。
 私たちも水分補給態勢を十分とって西口中央公園へ。

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 みんな集まったところで、3時20分頃いよいよデモに出発です。

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 デモは最初から警察の過剰な警備、自動車優先のサンドイッチ規制です。外国では考えらなーい!

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「オレたちの未来はオレたちで決める!」

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猛暑の中、インコさんもがんばる!

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牛さんもがんばる!

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子どもたちもがんばる!

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百万の新しいノボリ旗です。

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 デモコースは、新宿の街を大きく一周してまた出発点の中央公園に戻るというもので、2時間半に及ぶものでした。新宿駅南口前の甲州街道から東南口でのサウンドアピールの人々とエールの交換。

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 デモ解散地点で10名を超える不当逮捕者が出たことが知らされビックり!この報告を書いている時点で、12名のうち6名が釈放されたとのことです。飲み物を買おうと歩道に出ようとしても警官に押し返されるという状況で、ただ抗議したというだけで「公務執行妨害」で逮捕というとんでもない弾圧です。一刻も早く全員を奪い返しましょう!(Se)
 わがカメラマンの写真機の中にあった一コマです。

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 百万人署名運動山陰連絡会は、「9・11反原発全国100万人行動in松江」を連絡会の独自行動として、島根原発から10キロに位置するJR松江駅前で展開しました。署名・ビラまき・リレートークなどの街宣活動を果敢に行いました。午前11時から1時間半の活動で約100筆の貴重な署名を獲得できました。

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 6・11行動のときと同様に、今回の9・11行動でも新たな感動的出会いがあり、署名活動の醍醐味を感じとることができました。お祖母さんが広島で被爆した被爆三世の若者が、被爆の恐怖を語り署名してくれました。さらに、仲間の若者数人にも署名するように勧めてくれました。また、署名に応じた方が、その場で自ら一般市民に対して署名活動をして、署名用紙数枚の署名を集めてくれました。今回も、『百万人署名運動全国通信』などを送ることを約束した市民との出会いもあり、実り多い街宣活動になりました。

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 山陰地区でも、反原発団体や労組などの広範囲な団体や個人が結集して、「さよなら島根原発ネットワーク(原発ネット)」が結成され、私たち山陰連絡会も参加しています。「原発ネット」の署名活動が、山陰連絡会の街宣行動に続いて同じ場所で午後1時から行われました。この後、リレトークを行いながらのデモが行われ、200名の隊列となりました。

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参加者数は多くありませんが、原発が立地する松江で、反原発を訴えてこれほど街頭に集まったことは近年ありません。山陰での反原発の結集軸として、第一歩を踏み出したことに大きな意義あります。島根原発を即時廃炉に!福島のたたかいと繋がってがんばります。(山陰連絡会 福間)













 「福島事故は、すでに100万人の被曝者を生み出してしまった!!」「取り返しのつかない事態が進行している。九州の人たちは、玄海原発を絶対にとめる責任がある!」(藤田祐孝)

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 9月4日(日)、福岡のももちパレスにおいて「第3回反原発学習集会&第14回定期総会」が開催され、52名が参加しました。今回の学習会は、半年がたつ「9.11」を前に、収束するどころかますます放射能汚染が広がっていることに不安と怒りが増す中で、集会から何ものかを得て9月をスタートしたいというみんなの思いがあふれた集会となりました。
 最初に主催者を代表して開会の挨拶を世話人のわたなべひろやすさんが行い、古くからの言い伝えの中から「いただきます」と「ものごろし」という二つの言葉を例に出して、現代の新自由主義の支配が人間や万物の生命や尊厳を根底からないがしろにし、破壊していることを鋭く突きだしました。
 次に、「8.9長崎反戦反核・反原発集会」の一部を抜粋したDVD上映。その中で、長崎の被爆者で語り部の城臺美弥子さんの発言があり、「核兵器廃絶を叫び、長崎を最後の被爆地に!と必死に闘ってきたのに第3の被爆地フクシマを生み出してしまった。被爆者自身が"原子力の平和利用"の推進者だったことが突き出された。もうだまされない。黙っていたら殺されてしまう。『祈りの長崎』から反原発を闘う長崎に!」(要約)の訴えは強烈でした。今年の8・6-8・9闘争は、反戦反核と反原発は1つのものだという、新たな地平が確認できました。
 メイン・テーマは、藤田祐幸さんの講演『知られざる原発被曝労働』です。90分という限られた時間での提起でしたが、藤田祐幸さんが準備されてきたテーマは大きく言って3つです。1.「大事故の問題」、2.「原発労働者の被曝問題」、3.「放射性廃棄物の問題」。藤田祐幸さんが最も強調されたことは、それら全てのスケールの大きさと切迫性です。それは聞く側の私たちを改めて福島原発事故の出発点に立たせるものでした。それは知識や認識の不十分性の問題を含め、まだまだ私たちの中にある危機感の不足を鋭く突き出すものでした。

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 藤田さんの提起の要点を紹介します。
1.「大事故の問題」について
 一言で言って、原子力事故・福島原発事故の「取り返しがつかない」という点について決定的に認識が不足していること、これは絶対に克服されなくてはならないこと。これについての政府や東電、御用「学者」やマスコミのデマ宣伝を打ち破っていかなくてはならない。これは、「核・原子力と人類は共存できない」ということを原点に返って私たちに問いかけ、再確認を求めるものといえます。
 例として、藤田さん自身が当初から深く追及してきたチェルノブイリ事故は、発生から25年経っても「処理」のメドすらたっていないことをあげられました。「放射性廃棄物」の処理方法ひとつをとっても何一つ解決の展望はないのです。野山、大気、海、川にいったん飛び散った放射能は「回収」や「処理」の方法などないのです。チェルノブイリも巨大な事故ですが、それ以上に福島原発事故はますます収拾つかなくなっています。
 放射性廃棄物(死の灰)が作り出されるという点ひとつとっても、「原発一基が1年間に吐き出す死の灰は、ヒロシマ・ナガサキ原爆の死の灰の1000倍」です。日本の原発54基を「寿命」通り40年間動かせば「ヒロシマ・ナガサキ原爆の200万倍」という途方もない量の死の灰を生み出すのです。しかも、死の灰の放射能が「自然界」並みに「戻る」には100万年かかります。この「100万年」に、国家と電力会社などの資本がどれほどの責任をとろうというのでしょうか。しかも、そのことも隠蔽し、野田新政権は、なお原発を続行しようとしているのです。私たちは改めて提起された「取り返しがつかない」という点について深く考え、怒りの原点にしっかりと据えなおす必要があります。
2.「原発労働者の被曝問題」について
 藤田さんは当初からこの点も鋭く提起されてきました。『知られざる原発被曝労働』(岩波ブックレット)が出版されたのは1996年1月です。その中で出されている「ある青年・嶋橋伸之さん」が受けた被曝量は10年間で「50.93ミリシーベルト」、つまり年平均で5ミリシーベルトになります。それで嶋橋伸之さんは殺されたのです。
 しかし、福島原発事故以後、日本政府はその「限界線量」をどんどんつり上げ、原発労働者を果てしない殺人的労働に追い込んでいます。「異常時」には「100ミリシーベルト」いや「250ミリシーベルト」までというように原発労働者に残酷な労働を強制しています。しかも、藤田さんはそのことに既成の「労働組合」までが全く闘おうとしないことに強く警鐘を打ち鳴らしました。しかも、それらの労働者のほとんどは下請け、非正規労働者、未組織といわれる労働者です。原発労働者の被曝労働の問題は今後ますます切迫性を増す問題です。私たちの世代で、私たちの責任で闘う労働組合を蘇らせる必要と責任を強く感じました。
 原発労働者の被曝問題は巨大なことですが、今回藤田さんが強調したのはある意味でもっと大きなことでした。福島県民全てがおかれた「被曝」状況です。単純に前提にすることはできませんが、「放射線管理区域」の基準とされている数値は「0.6ミリシーベルト/時、5ミリシーベルト/年間」が限界とされています。ところが、これを基準にすると福島県の面積の半分、200万県民のうち157万人、25市町村が含まれてしまいます。これを政府は「放置」したままにしているのです。「収束」などとんでもないことです。
 とりわけ、藤田さんは「子どもたち」を絶対に守ることを強調されました。私たちも同じ立場からこの問題を受け止め、原発絶対反対を貫いていく必要を痛感しました。子どもたちに20ミリシーベルトを強制しようとした政府を絶対に許さないという強い決意が示され、全体も改めて自分の決意にできたと思います。

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3.「放射性廃棄物の問題」もとても大きな問題です。時間の関係から全部は展開されませんでしたが、「すべての原発を廃炉にしよう」の観点から徹底的に追及していきたいと思います。
 最後に、藤田さんも含めて全体で強く確認したことは「玄海原発」の再稼動を許さず、すべての原発の廃棄をかちとる問題です。九州に住む者として全体が強く確認しました。9.11が目前に迫っている時点の緊張と切迫感をもって最後まで充実した学習会としてかちとることができたと思います。
 その後、短い時間でしたが、第14回定期総会を行いました。9条改憲阻止を土台にすえ、安保・沖縄闘争、反原発闘争、裁判員制度廃止の闘い、にますます全力あげて闘っていくことを確認しました。世話人・事務局体制はすべて留任です。(百万人署名運動・福岡県連絡会 事務局)














 大紛糾していた石垣島八重山地区での「新しい歴史教科書をつくる会」系教科書採択問題での朗報です。八重山採択地区協議会で、来年度から中学校で使用される社会科公民教科書が「つくる会」系の育鵬社版と採択されていましたが、昨日(9/8)再度協議がなされ育鵬社版は不採択となりました!本当に良かったです。

 以下にその様子が報道されています。

*琉球朝日放送
http://www.qab.co.jp/news/2011090830625.html

*琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-181437-storytopic-238.html
http://ryukyushimpo.jp/news/storytopic-238.html

*沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-09-09_23190/



 





 9月6日から、「死刑判決」が不可避といわれている「大阪・此花パチンコ店放火殺人事件」の裁判員裁判が大阪地裁で始まりました。10月31日の判決公判まで、これまでの最長の60日間「拘束」され、「死刑判決は残虐な刑罰か」という憲法判断も審理されるという、過酷なものです(これこそが、裁判員制度のある意味での核心的な狙い)。

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 9月6日当日は、朝8時から10時まで、「裁判員制度はいらない」の幟を立て、百万人署名運動大阪府連絡会、奈良県連絡会などのメンバーで、大阪地裁前でビラまきを行いました。併せて、「裁判員制度はいらない!全国情報」のバックナンバーも配布しました。裁判員制度開始の頃のような、マスコミの関心、傍聴希望者の殺到はありませんでしたが、ビラは500枚、「全国情報」も100部ほどまかれました。

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 裁判員に選任されたという老夫婦が、緊張した面持ちで、ビラを受け取りながら、「やりたくないけど仕方ないから」と声をかけてきました。また、何人かの人が、「あんたらの言うとおり、拷問や」「こんな制度絶対つぶしてや」「署名あったら協力するよ」と声をかけてくれました。
 また、当日は、雇用保険詐欺でっち上げ弾圧で、1年を超える長期勾留を打ち破り、現在、裁判員制度の隠された狙いである「公判前整理手続き」において、原則的闘いを貫き、検察に「訴因変更」を強制している、関西合同労組大和分会の組合員等が、「弾圧反対」「公判前整理手続き―裁判員制度反対」のビラまきをしました。
 1人1人が勇気を持って「裁判員は拒否!」と立ち上がり、破綻を深める“現代の赤紙”裁判員制度の廃止をかちとろう。(百万人署名運動・大阪府連絡会 G)

*下記は当日まいたビラです。
          (表)
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          (裏)
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