とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2010年05月

 5月28日(金)、鳩山政権は「日米両政府は普天間飛行場を早期に移設・返還するため、代替施設をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区および隣接する水域に設置する」という共同声明を明らかにした。要するに従来と同じ辺野古新基地建設案である。これまでの沖縄県民の民意を受けとめたらこんな共同声明を出せるはずはない。共同声明の内容を閣議決定する事も許されない。
 「何が友愛だ」「うそ偽りだった」「屈辱の日だ」「もう我慢は限界だ」と、この日沖縄では雨の中、名護市役所前に1200人、那覇市県庁前に1500人が集まり、怒りの抗議集会が開かれた。

名護市役所前
画像

 東京の首相官邸前でも午後6時30分から、抗議集会が行われた(呼びかけ:辺野古への基地建設を許さない実行委員会)。約150人で1時間ほどの抗議行動。参加した人たちは皆、怒りをあらわにしていた。沖縄県民の意志、民意を全く無視した日米共同声明を糾弾し、怒りの発言が続いた。途中、同時間帯に沖縄・那覇市で行われている抗議集会の様子が現地から報告された。
 さらに、首相宛の抗議声明や要請書を持ってきた各団体が、それらを読み上げ、内閣府の榎本という人に渡した。関東一坪代表の上原成信さんが「普天間基地即時撤去・辺野古新基地建設反対」の緊急署名を渡した際、「あなたの役職はなんですか」と聞くと、榎本さんは「守衛です」と答えた。みんな怒った。どうして、内閣府の通用門にいる守衛が受取人になるのか。署名の受け取りは守衛の任務ではないだろう!ここにも内閣府・首相官邸の意識がわかるというものだ。上原さんは「首相に渡るように、きちんと手続きをしてしてください」と念をおした。まったくやることなすこと怒りに堪えない。

首相官邸前
画像

 この日は朝からニュースは普天間基地問題でいっぱいだった。ニュースの度にどんどん事態があからさまになっていく。普天間基地撤去と日米安保同盟は非和解的関係にあることがはっきりしていく。これから辺野古新基地建設の工法などを明らかにしていくと言っているが、沖縄県民が反対し、名護市民が反対している以上、基地建設に着工などできるわけはない。こんな鳩山政権を許さず、沖縄県民とともに、本土で本気で闘っていこう!(事務局T)

●名護市民集会「絶対に認めない」 日米合意、鳩山政権を批判
2010年5月29日 琉球新報
【名護】「辺野古合意」を認めない緊急市民集会(同実行委員会主催)が28日、名護市役所で行われた。雨が降りしきる中、市内外から約1200人(主催者発表)が参加。民意を無視し、普天間飛行場の移設先を辺野古崎地区とした日米合意を強く批判。移設反対や合意撤回を訴える集会アピールが採択された。
 あいさつに立った稲嶺進名護市長は「(日米の)合同発表という日を迎え、私たちの心は怒りの頂点だ。沖縄はまたしても切り捨てられた。発表は地元への説明もなく、市民県民の民意をないがしろにし、地元の頭越しに行われている。許されるものではない」と鳩山政権を強く批判した。
 市内から若者を代表して嘉陽区の酒井満さん、婦人代表で東江区の具志堅千鶴子さん、辺野古区の嘉陽宗義さん、比嘉盛順さん、瀬嵩区の渡具知武清さん家族が決意を表明した。「人殺しにつながる基地は絶対に認められない」などと基地移設の反対を訴えた。

【名護市民集会アピール(全文)】
 本日、発表された新たな日米合意は、民意を無視した合意であり、県外移設を求める名護市民及び県民の意志に沿うものではない。
 名護市や沖縄県の同意なく、強行に日米の合意がされた事実は歴史的に見ても地方自治の侵害であり、民主主義の冒涜(ぼうとく)である。
 国土のわずか0・6%の沖縄に在日米軍専用施設の74%の負担を65年間も強いたうえ、さらに新たな基地を押し付けようとする「辺野古合意」は「沖縄差別」そのものである。
 日米安保条約に沖縄に基地を置くという条文はない。
 沖縄の米軍基地が、わが国の安全保障のうえで、あるいはアジア及び世界の平和の維持のために不可欠であるというのであれば、基地の負担は日本国民が等しく引き受けるべきものである。
 したがって、私たち名護市民は真の地域自治、国民主権、民主主義を取り戻すため、この「辺野古合意」を断じて認めることはできない。
 私たち名護市民は、名護市に新たな基地はいらない。
 私たち名護市民は、名護市辺野古への移設に断固反対する。
 私たち名護市民は、「辺野古合意」の撤回を強く求める。

 2010年5月28日
 「辺野古合意」を認めない緊急市民集会実行委員会




















 今朝、「百万人署名運動全国通信」6月号を入稿しました!というわけで、遅くなってしまいましたが、5月18日(火)夜、東京・日比谷公会堂で行われた「裁判員制度にとどめを!全国集会」(「裁判員制度はいらない大運動」主催)の報告をします。百万人署名運動もこの「大運動」に参加して制度の廃止に向けがんばってきました。
 集会には全国から1800人が参加。この1年間の闘いの成果が集まり、大破綻の惨状を呈している裁判員制度(裁判員裁判の1662件中、まだ1218件も残っていて、裁判はパンク状態)を、さらに目に見える闘いを展開して「とどめを刺そう!」と元気よく確認し合いました。以下、印象に残っている発言を少し紹介します。

画像

 メイン講演は、斉藤文男さん(九州大学名誉教授)。斉藤さんは開口一番「あなたは、人を殺せますか?」と参加者に問いかけました。そして、「裁判員制度が私たちに強いているのは、そのことなのです」と言い、「殺人は犯罪です。しかし、国家だけが合法的に殺人をなすことを許されています。戦争と死刑です」と国家について論じ始めました。根本的な提起に、ゾクゾクっとしました。
 そして「“裁判員制度は現代の赤紙”というのは、比喩ではない。徴兵が国民の義務とされたように、裁判員は国民の義務とされた。しかし、憲法にこんな義務はありません」と。また「憲法19条は思想良心の自由を保障している。しかし裁判員には拒否できる権利を全く認めていない。いくつか辞退できる例が挙げられているが、“御上のお目こぼし”にすぎない」として、裁判員制度は憲法違反であり、事実上の憲法改正そのものだと弾劾しました。また、裁判員は民間人、だから“徴兵”ではなく“傭兵”、日雇いの民兵だとたとえて、裁判員制度は国家の合法的殺人の民営化であり、裁判員はその片棒を担がされているのだと批判しました。

画像

 さらに、「刑事裁判は公正でなければならない。市民感覚に流されてはならない。」「司法の役割は、多数の暴走に対し個人の権利と自由を守る砦だ」と原則を確認し、最高裁が言っているまやかしを暴き、“市民参加による司法の民主化”は大嘘だと喝破しました。まだまだ核心的なお話が楽しく続きましたが、割愛ですm(_ _)m。

 特別アピールで元裁判官の遠藤きみさんは、裁判官の数をそのままにして裁判員制度を導入するなんて無理。裁判員裁判もたまりにたまり、他の裁判も滞っている状態で、裁判官や書記官を過労死させるものだ、こんなものは続かないと弾劾しました。

画像

 そのあと、蛭子能収さん(漫画家)、福島貴和さん(善光寺玄証院住職)、崔洋一さん(映画監督・作家)、大分哲照さん(浄土真宗本願寺派福岡時対教会長)、それぞれの立場から、裁判員制度の怖さや問題点をアピールをされました。

画像


画像


画像


画像


 さらに、裁判員を経験した男性もビデオレターで「裁判所の職員も裁判官も、本来の仕事ではなく裁判員をもてなすために一生懸命だった」「もし自分が被告席に座ることがあったら、裁判員裁判は受けたくない。間違っているものは、一刻もはやく廃止させるべき」と述べました。
 次に、裁判員裁判候補者たちが登壇。通知を突き返した人、呼び出しに応じたけどその場で裁判員になるのを拒否した人など、一人一人が勇気ある拒否を貫いていました。また、労働組合などで取り組んでいるところもありました。動労千葉は組合員4人と家族1人に通知が届いたが拒否したとのこと。裁判員制度は労働者の団結を破壊するものであり、労働組合こそ反対運動の先頭に立つべきだと訴えました。

画像

 そのあと、各地で反対運動をしている人々が一斉に登壇しました。弁護士、労働者、主婦、町内会長、地域FMラジオ局スタツフ、宗教者、学生等々。百万人署名運動の各地連絡会も山陰、広島、大阪、栃木などが発言に立ちました。

画像


画像


画像

自作のプラカードを持って登壇した益永スミコさん。

画像

法政大学文化連盟もアピール。

画像

 最後に、「大運動」の高山俊吉弁護士が、まとめと方針提起。

画像

 「今日なお8割の国民が反対している。裁判員が(100人中)60人70人と辞退している。しかし最高裁は反発が起きるのではないかと処罰できない。進退窮まる。だから一生懸命宣伝する。するとみんなが制度をよく知って嫌になり、辞退者が増える。こういう“恐怖のスパイラル”状態になっている。彼らは危機にある。最高裁長官は「過度に慎重になるな」と言っているが、裁判は本来は慎重にやるもの。だから私たちはそこを見抜いて、修正や改善ではだめだ、廃止以外にないと言っていこう。」「今日、国民投票法が施行された。沖縄の普天間基地問題で揺れ動いている情勢だ。こうした時代の中で裁判員制度を見る、憲法の状況をを見ながら裁判員制度を見る。なぜなら、時代が裁判員制度を求めているからだ。裁判員制度の中で、権力の心を自らの心にさせるもくろみの恐ろしさを感じる。そのことが改憲じゃないか」と訴え、「そういう状況だから私たちは引けない。みんながんばろう。裁判員制度はおかしいと言って言って言いまくろう。」と呼びかけました。
 ものすごく明るく、元気の出る集会で、高山さんの提起で最後は参加者の気持ちが一つになったようでした。(事務局S)





















画像

 改憲国民投票法が施行された5月18日、全国で集めた「9条を変えるな」署名約32万6千人分を鳩山首相宛に提出しました。西川事務局長を先頭に全国の代表25人が内閣府におもむき、署名を運び込みました。
 全国から集まった署名はB4の箱で23箱分。ずっしりと重いものでした。

画像

内閣府の入り口で車から署名をおろしています(上写真)

画像

画像

画像

2箱をかかえて「面談室」に向かいました(上写真)

画像

西川事務局長が請願の趣旨を詳しく述べました。(上)
大臣官房総務課の山田哲範調査役(左側)はメモをとって聞いていました。(下)

画像


請願書を読み上げた後、署名を手渡しました。(請願書は最後に添付してあります)

画像

画像


署名を手渡す西川事務局長
画像


内閣府の前(首相官邸の向かい側)で「改憲国民投票法施行弾劾!9条を変えるな!普天間基地撤去せよ!新基地建設反対」の横断幕をひろげ、抗議行動を行いました。

画像

請願団を迎えて報告を受け、最後に首相官邸に向けてシュプレヒコール。

画像



その後、有楽町マリオン前に移動して街頭宣伝を実施。改憲と基地強化に進む鳩山政権を弾劾しました。
沖縄の闘いに連帯し、「なくせ!普天間、つぶそう!安保」の横断幕も掲げ、署名も呼びかけました。また、この日の夜の「「裁判員制度にとどめを!全国集会」のチラシもまき、参加を呼びかけました。

画像


画像

この日はものすごい風でしたが(マリオン前はビル風で風速が2倍以上になります)、ひるまず交代でアピール。岐阜の田中さんもマイクで訴えました。

画像

強風の中でも、多くの人が立ち止まって署名をしてくれました。

画像

画像

画像

画像


引き続き、夜は日比谷公会堂で開かれた「裁判員制度にとどめを!全国集会」に参加しました。

画像


画像

全国から1800名が参加。元気の出るとっても良い集会でしたが、詳細報告は次回に。
5月18日、鳩山政権の改憲国民投票法の施行に抗議し、百万人署名運動は一日全力で闘い抜きました!


●請願・申し入れ書

内閣総理大臣・鳩山由紀夫 様

   請 願 書

2010年5月18日
とめよう戦争への道!百万人署名運動
事務局長 西川重則
東京都千代田区三崎町2-6-7-301
T/F 03-5211-5415

【請願内容】
一、憲法9条を絶対に変えないこと
一、海外派兵恒久法を作らないこと

【請願趣旨】
一. 私たちは、2006年5月から「憲法9条を変えるな!」という請願署名に取り組んできました。本日、全国から寄せられた32万5867筆の署名を鳩山首相宛に提出します。これらの大半は、一人一人が街頭や職場で一人一人に呼びかけて集めたものです。
 日本全国に、日本を再び戦争をする国にしてはいけないという強い思いと危機感が溢れています。9条を変えるな!は全人民的要求であり、沖縄県民の普天間基地撤去・新基地建設反対の要求と一体のものです。
 改憲のための国民投票法の施行が強行される本日、私たちはこの法律の施行に強く抗議し、鳩山内閣に憲法9条を変えないよう強く申し入れます。

二. 日本国憲法は、日本が侵した侵略戦争への反省にもとづき、武力によらない平和主義、基本的人権の尊重、国民主権をうたっています。特に第9条は、戦争や武力による威嚇、武力の行使の放棄、戦力の不保持、交戦権の否定を明記しています。「武力による威嚇」とは第一次世界大戦のとき、日本が中国に「対華21ヶ条の要求」(1915年)を続けたことをさします。その後日本は「満州事変」(1931年)へ、盧溝橋事件(1937年)へと「武力の行使」を行い、中国全土への侵略戦争へと向かいました。この侵略戦争への道を二度とくり返さないために憲法9条は生まれたのであり、絶対に変えてはなりません。

三. 2007年5月に改憲手続き法・国民投票法の成立が多くの反対の声を踏みにじって強行されました。しかし、あまりの悪法のため施行まで3年という期間が設けられ、付則及び18項目もの付帯決議がつけられました。3年目を迎えて、これらについては手つかずのままです。当然の事ですが、法の施行はできません。
 憲法の前文、99条に反する新憲法制定のための国民投票法は認められません。私たちは国民投票法の廃止を求めます。憲法審査会の始動は許されません。

四. 5月4日、鳩山首相は沖縄へ行き、米海兵隊は抑止力として必要だと言い、普天間基地の「県外移設」の約束を反故にすると言い放ちました。これほど沖縄県民を愚弄することはありません。沖縄の米軍基地は戦後、日米両政府によって沖縄に押しつけられたものです。以来、沖縄県民はずっと、基地を撤去せよ!と要求し続けています。沖縄の軍事基地は日米安保の実体そのものであり、アメリカはこの基地を使って、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争をくり返して、現在に至っています。私たちは普天間基地の即時撤去、新基地建設反対、安保体制をなくすことを強く要求します。

 以上の趣旨から、鳩山内閣に、戦争反対、戦争のための9条改憲反対を強く要請します。















 5月12日(水)、東京・中野ゼロの視聴覚室で益永スミコさん(86才)の半生を描いたドキュメント「『死んどるヒマはない』の上映会が開かれた。上映後、中国戦線に送り込まれ、敗戦後ソ連に6年間「抑留」され、その後中国東北省に5年間「抑留」されて「侵略戦争の兵士としての蛮行」を自覚し、そのことをカミングアウトした89才の小山一郎さんとのトークもあった。
 益永スミコさんは百万人署名運動の活動家であり、死刑廃止運動の活動家であり、「反日武装戦線」の片岡利明死刑囚の養母でもある。文字通り、今日までの闘いの日々が描かれている。47才の時、刈谷豊田病院(愛知県)で看護婦さんたちのだけの組合をつくり、闘った日々も描かれている。「労働者が人間らしい生活を自らの手で作っていくということは、戦争をしないということにつながる」と考えたそうだ。すごい人だ。
 益永さんは大分県に住んでいたとき、自宅の庭に百万人署名運動の「9条を変えるな!」の幟旗を立て、自分で作られた「裁判員制度はいらない!」の横断幕を納屋の壁に張っていた。そして、大分駅前に一人で立ち、「9条を変えるな!」と署名を取っていた。いまは娘さんと一緒に住む埼玉県の自宅に「つぶせ!裁判員制度」の紫の幟旗を立てている。そして、出かける先々で「裁判員制度はいらない!」と紙でつくった前垂れを首にかけ、裁判員制度の廃止や9条を変えるな・戦争反対を訴えている。百聞は一見にしかず、多くの皆さんにぜひこの映画をみてほしい。

ドキュメンタリー映画(68分)

画像


 益永さんは訴える。「みなさん! 戦争を二度としないと決めた憲法9条が変えられようとしています。9条を変えるな!と言ってください」「男たちを戦場に送らないで下さい」「子どもたちを戦場に送らないで下さい」と。
 益永さんは軍国少女で戦争を率先遂行して男たちを戦地に送った過去にこだわってやまない。戦争をさせないために敗戦後今日まで身体を張って生きている。「死んどるヒマはない!!」。国鉄1047名解雇撤回の闘いにこだわり、根津公子さんたちの「日の丸・君が代」闘争こだわり、都庁前ビラ撒きなどにも参加している。5月18日の「裁判員制度にとどめを!」全国集会にも、もちろん参加される。
 益永さんは言う。「従わないということは自分で考え続けなければならいこと。従うということは人に任せて考えないこと。私は納得いかないことには従わない」と。私はこうした生き方を貫く益永さんと一緒に闘えて本当に良かったと思った。(事務局 T)

この日も会場前でアピールする益永さん

画像






















 百万人署名人署名運動・青森県連絡会は沖縄の闘いに連帯し、米軍三沢基地の正面ゲート前交差点で、反戦・反基地の街宣を行いました。7名で三沢基地を弾劾し、米兵に呼びかけました。
 三沢基地の米軍戦闘機は、イラクやアフガニスタンに出撃し、爆撃をくり返し多くの民衆を殺戮しています。絶対に許せません。私たちは「イラク・アフガン戦争は資本家たちのための不正義の戦争だ」「兵士は、侵略の銃をとるな」「基地労働者も戦争反対に立ち上がろう」と訴えました。正面ゲートからは多くの米兵や家族が車で出入りしていました。目をそらし車のスピードを上げて通っていく米兵もいれば、私たちの方をじいっと見つめて通る米兵もいました。

画像

 ゲート前から続いている「アメリカ村」商店街は、さびれた旧商店街を立て直そうと造られたものですが、歩行者はほとんどいなくて閑散としていました。募集してもテナントが入らず経営危機が問題になっています。商店街の人々にも、軍事基地をなくし、地域の労働者民衆と力をあわせて、戦争ではない生きる道を切り開こう!と訴えました。最後に基地へ向かってシュプレヒコールをして行動を終わりました。(青森県連絡会 H)

画像













↑このページのトップヘ