とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2010年03月

静岡からのお便りです。* * * * * * *
 静岡地裁で、3月9日(火)から18日(木)まで7回(土日をはさんで連日!)行われる予定の裁判員裁判は、全国初の被告人が起訴内容を全面的に否認している事案を扱います。今度は「普通の人」である裁判員が冤罪に手を染めることになりかねません。しかも事案は殺人事件。百万人署名運動・静岡県連絡会は、県下の賛同人に呼びかけて反対行動を開始しました。
 これまでの裁判員裁判は、大半が量刑(「懲役何年」などの刑)を決めるものでした。それでも裁判員をやった人は「夜も眠れない」「二度とやりたくない」などと言っています。
 みんなやりたくないと思っているのに、どうしてこんな制度を無理矢理作ったのでしょうか。それは「社会を守る」という統治(=御上)意識を国民に植え付けるためです。世界恐慌が深まり、首切り・失業が広がっています。仕事があっても超低賃金のワーキングプア。青年・学生は未来を奪われ絶望を強いられています。その怒りが体制に向かうことを押さえつけるために、国家の側に取り込もうということです。
 いやなものはいやだ!支配の道具になるのはいやだ!辞退、拒否者の続出で、現代の赤紙・裁判員制度をみんなの力で廃止させよう!とビラをまき訴えました。9日は朝から静岡地裁前で行動します。(静岡県連絡会 K)

3月5日(金)の市内情宣
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徳島からの報告です。* * * * *
 私たち百万人署名運動・徳島県連絡会と徳島・星野さんを救う会は、3月3日、徳島県小松島港に、アメリカ海軍駆逐艦・ピンクニー寄港に抗議する行動に行ってきました。ピンクニー(8700トン)は、高性能のレーダーを持つイージス艦で、敵のミサイルを打ち落とすミサイル迎撃能力を持っています。乗組員は300人ほど。2月28日から4日間小松島港に寄港、ここ数日、徳島市の繁華街には、20歳ぐらいのアメリカ兵があふれました。徳島県への米軍艦の寄港は約2年ぶり、寄港目的は“親善及び友好”となっていますが、戦争軍艦の入港は認められません。
 ピンクニーは、カリフォルニア州サンディエゴを母港としています。私たちは小松島港岸壁から寄港を弾劾するとともに、日本語と英語でピンクニーの乗り組み員に呼びかけました。ハンドマイクで、私たちが戦争に反対している労働者市民であること。私たちの仲間である動労千葉が3月1~2日と不当配転撤回と検修外注化反対の第2派のストライキに起ち上がっていること。私たちはUTLAというロサンジェルスの教員労組と連帯していること。いま世界的な恐慌が進んでおり、資本主義はもう破綻しきっていること。日米の労働者民衆と兵士は国境を越えて団結して闘うべきであることなど、訴えました。
沖縄の基地撤去闘争と連帯して、獄中の星野文昭さんと一体で取り組みました。(徳島県連絡会 S)

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 2月27日夜、東京・杉並で開かれた「ビキニデー56周年ー反戦反核東京集会」に参加しました。8・6ー8・9全国実行委員会が軸になって毎年開かれている集会で、今年も「第五福竜丸」の船員として被爆した大石又七さんを迎えて、核と戦争をなくすためにとさまざまな問題提起がされました。
 ビキニ被爆事件というのは、1954年3月1日に、太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験で、島民らが多数被爆した事件です。日本の漁船である「第五福竜丸」もちょうどこのあたりに出ていて、その乗組員は全員被爆しました。

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 大石又七さんは現在76才、56年前の体内被曝により、見た目にはわからないけれども体のあちこちに病気があり大変つらいとのことでした。ビキニ事件のとき、大石さんら船員は放射能の恐ろしさを何も知らされず、放射能をかぶりながら作業をしていたとのこと。56年前に眼にした核爆発の光景を大石さんは昨日のことのように話されました。そして後に、大石さん自身がその放射能被害の恐ろしさを知るようになり、他方政府が反対運動の矛先を変えるため意図的に政治決着をはかったことを知り、「これから大変なことになる」、無念に死んでいった仲間たちのためにも「黙っていてはいけない」と口を開くようになったと言われました。
 核問題に詳しい吉田義久さんは、ビキニ事件を引き起こした背景には民衆の反乱を押さえつけるための米ソの核開発・実験の競争があったと指摘しました。そして、「第五福竜丸」の被曝者の実態が押し隠され、マーシャル諸島の被爆者や広島・長崎の被爆者と断ち切られていったのは、日本の核開発への参加の開始があったからだと弾劾しました。このことについては、特別報告者の土井淑平さん(元共同通信記者)が、ビキニ被爆の翌日3月2日に、中曽根康弘・衆議院議員により、ウラン234をもじった原子炉築造予算2億3500万円が突如国会に提出され、十分な審議もなされぬままに成立したと具体的に話されました。

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 改めて、戦後の日本が核武装に向けて原子力研究を開始した、まさにその時に、ビキニ被爆事件が起きたことを確認しました。そして、政府が核開発を進めるためにビキニ被曝者を歴史の闇に葬り去ろうとしたことに怒りがわきました。
 この日は、この3月にも行われようとしている高速増殖炉もんじゅ運転再開(福井県敦賀市)に反対する北陸からのメッセージや、青森県の六ヶ所村再処理工場の本格稼働反対を取り組んでいる現地からの詳しい報告もありました。4月9日~10日には青森市で全国規模の集会やデモなど連続行動が予定されています。(事務局 S)

















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