とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2010年01月

島根からのお便りです* * * * *
 1月26日、島根県で第2例目の裁判員裁判が松江地裁で行われた。私は百万人署名運動の仲間と共に抗議行動に立った。朝8時~10時半まで、地裁前で制度の廃止を呼びかけるビラを通勤する人や裁判員候補者など220枚余り手渡していった。受け取った人からは「私も個人的には反対です」「がんばってください」と声をかけてもらい、裁判員裁判に対する“反対”の思いはかなりのものだと実感した。新聞報道によれば、今回裁判所から74名に通知し、実際に出頭したのは37人、そのうち当日辞退の希望者が5人とのこと。拒否者・辞退者は第1例目より増えている。

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 しかし、裁判所やマスコミは今回も、裁判員が入ることで、「市民」感覚で実行され「民主的」になった、「わかりやすくなった」と宣伝している。実際とは全く逆だ。「市民」たる裁判員は、「公判前手続き」(=裁判が始まる前に、裁判官・検察官・弁護士の3者で密室で証拠や対立点などの問題整理を行う)にはいっさい関われない。そこで敷かれた「レール」に乗って、有罪無罪・量刑を決めさせられていくのだ。しかも、裁判官の「指導」という限定された枠の中においてしか実際は動いていない。まさに「操り人形」という存在でしかありえないではないか。裁判員裁判では被告人の防御権もどこかへ吹っ飛んでいる。3日~4日の超短期間のうちに有無を言わせず決着をつけるというのは、昔の軍法会議を彷彿とさせる。

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 この制度の本当の狙いは何なのか?「裁判員」という形で刑事裁判における国家権力の行使を直接担わせることによって、労働者民衆を支配する側に立たせて、国家権力による「治安」や「秩序」を行使する「国民」にしたてていく―労働者の“労働者性”や権力に対抗する民衆の“民衆性”をはぎ取っていく。これが本当の目的なのだろう。現実の社会では、「派遣切り」、リストラ、非正規職化、と労働者民衆はどんどん生活ができない状況に突き落とされている。資本主義社会への“怒り”はいたる所で沸き上がり深まっている。この怒りが資本主義社会を変革しよう!と先鋭化しないように、同じ労働者民衆同士を「裁く者」と「裁かれる者」とに分断し、国家の統治・支配の中に組み敷こうとしているのだ。
 こう考えると、裁判員裁判はまさに攻防戦だ。私は資本-権力の「手先」にはならない、「お先棒」は絶対に担がない!という裁判員「拒否」の輪をつくろう。それが、今の社会そのものを変えていく根っこのエネルギーに転化するに違いないと私は考える。(山陰連絡会 A)











三重からの報告です。* * * * *
 三重県で2例目の裁判員裁判が1月19日に行われた。裁判員裁判は廃止しかない、廃止に追い詰めるぞという意気込みで三重連絡会会員ら4名がこの日の行動を展開した。
 まず裁判員候補者が利用するであろう近鉄津新町駅前で情宣。「裁判員を拒否しよう」「裁判員制度を廃止しよう」と声をかけながらビラを配布した。高校生の登校と重なり、ビラの受け取りが多かった。
 ついで津地裁前に移動し、裁判所に入って行く候補者に「裁判員を拒否しようと」訴えた。裁判所前に大きな横断幕を掲げ、幟を数本立てて行動する私たちに通り過ぎる自動車から「エール」を送ってくれる人もいた。2例目というせいかテレビ局は2社しか来てなくて私たちの存在が目立っていた。

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 地裁前を通って行く人たちに裁判員制度反対の署名を呼びかけたら6名の人が応じてくれた。裁判所の正門前に机を置いて署名をしてもらったので、裁判所に堂々と正対して抗議をしているという感じがした。その中の一人に「裁判員候補の通知が来たらどうしますか」と尋ねたら、「いやですよ。素人がこんな短い日数で裁けませんよ」と答えていた。
 選任から外れた裁判員候補者が出てきたとき、テレビ局は2名の人にインタビューしていたが、二人とも「外れてほっとした」と答えていたのが聞こえてきた。
 ちなみに選任手続きには、「出頭」を求められた48名のうち46名が出頭、うち14人の辞退が認められて、実際には裁判員は残り32名から選ばれたことになる。これで高い出頭率と言えるのか。すでに破綻は始まっている。さらに私たちの運動で裁判員制度廃止に追い詰めていこう。(三重連絡会 K)

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群馬からのお便りです。* * * * * * *
 1月20日、前橋地裁で県内2例目の裁判員裁判が始まり、百万人署名運動ぐんま連絡会と裁判員制度に反対する弁護士で抗議行動にたちました。前橋にはめずらしく風のないポカポカ陽気で、出勤する自治体労働者をはじめ、午前中に7百枚のチラシが配られ、また多くの人が「市民参加と言うのなら、このビラの尼崎事故とか、政治家のワイロとかこそ市民に裁かせるべきよ」と言いながら署名に協力してくれました。

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 2回目の一番の特徴は、傍聴希望者が前回の半分以下に激減したことです。地裁発表は「傍聴席45席に113人が希望」と言うけど、ほとんどは推進派とマスコミ、検察・警察。抽選が終わるとぞろぞろ県警や検察庁に帰っていきました。これって「公権力による、傍聴の権利の侵害」なんじゃないの?一般の希望者は20人くらい。裁判員の出席率も80人の呼び出しに39人で、半分以下でした。でも地裁とマスコミは分母を小さくして「85%」と発表。いまや、全国で何千人もの人が「呼び出し」を実力拒否したのに処罰はゼロ。労働者階級はたくましい、「行かなくてもよい」という実績を作ってしまいました。最高裁は裁判員裁判に相当する事案は年間3000件前後と言っていたのに、昨年8月から今年の1月20日までで全国でまだわずか約160件。これでは、「拒否したら罰金10万円。祖父さんが死んでも来い」の強制力がないともうできない。すでに破綻している。廃止の展望が見えてきました。
 今回の裁判は、高崎市内の女性宅に侵入し顔などにけがをさせた後乱暴しようとしたが抵抗されたので逃亡したとされる事件ですが、検察側は裁判の2日目に懲役13年を求刑しました。めちゃくちゃな重刑化ではないですか。「裁判」とは名ばかりの裁判員制度廃止の取り組みをさらに粘り強くすすめていきましょう。(ぐんま連絡会 T)




















広島からのお便りです。* * * * * * *
 1月16日の土曜日、この日は珍しく暖かい日で、平和公園の近くの繁華街で9条署名を行いました。参加者は3人と少なかったのですが、1時間30分で74筆が集まりました。
 署名をしながらの会話のいくつかを紹介します。
 「エッー、民主党も憲法も変えるの!」との驚きに、「鳩山さんも小沢さんも憲法9条を変えて、自衛隊を自衛軍と明記すべきと主張しているのですよ」と答えましたが、自民党よりはましだという幻想があるのだと気づかされました。
 「オバマ大統領についてどう思いますか?」と質問してみたところ、「プラハ演説のときはすごいと思ったけど、ノーベル平和賞演説でダメだと思った。やっぱり戦争を認めているではないですか。でも取りまきの圧力かもしれないし・・」と言う県外の若い女性二人づれの反応。広島のオバマ賛美に比して、県外の人は冷静に見ているなーと感じました。
 他にも、昔、学生のとき全共闘だったという広島のおじさんや、鳩山首相と知り合いで「今度よく伝えておく」と1000円カンパしてくれた観光客の人などなど、また、「憲法を変えるのに賛成!」と言い放って通り過ぎる人も2~3人いました。
 やっぱり、街頭署名は、多くの人と会話が出来る絶好の機会ですね。(広島県連絡会・谷口)

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 平野官房長官は今日(14日)の記者会見で、これまで政府特別補佐人として国会に出席してきた内閣法制局長官について、18日(月)召集の通常国会には出席させない方針であることを明らかにしました。現国会法では、議長の許可を得たうえで政府が法制局長官や人事院総裁ら4人を政府特別補佐人として国会に出席させることができると規定していますが、今回、内閣法制局長官のみ出席させないというのです。
 この動きはとても重大です。内閣法制局は、内閣が国会に出す法案が憲法に反していないかチェックする大きな役割を担っています。実際は真の役割を果たしているとは言えませんが、しかし民主党・与党は、その内閣法制局長官の答弁封殺を大きな狙いとする国会法改定を今国会で強行しようとしています。このこと自身が憲法をないがしろにするとんでもない暴挙そのものです。鳩山内閣はそのことを百も承知なので、違憲性を指摘すべき内閣法制局長官をあらかじめ排して審議を進めようとしているのです。
 小沢・鳩山政権は自民党以上の改憲政権です。自民党政権でもやれなかった改憲攻撃をドンドン進めようとしています。職場・地域でこのことを訴え、抗議の声を強めましょう!

■鳩山民主党政権の反動性を暴く特集(「百万人署名運動全国通信」146号4-5面・浦田一郎さんのインタビュー記事)の中の「内閣法制局長官答弁禁止」問題の部分を紹介します。
【内閣法制局を封殺】
 民主党政権は官僚制の打破を言い、内閣法制局長官の国会答弁を禁止するなどの国会法の改正を今次通常国会で行うと言っています。内閣法制局は憲法9条の論議やあらゆる法案の成立に深く関わっている部局ですので、これは非常に大きな問題です。
 内閣法制局は内閣(政府)の下で、憲法を含む法の解釈を専門家の立場から行うところです。そして、政府・内閣が国会に提出する新規法案を現行法と適合しているか審査し、また法に則って執行されるかどうかを検証します。内閣法制局長官の答弁禁止について鳩山内閣は「閣僚(政治家)が責任をもって行政の政策の立案・調整・決定を担うことにしているし、政府の法解釈についても内閣が責任をもって行うから、法制局長官答弁は必要ない」と言っています。はたしてそうでしょうか。
 憲法を含めた法の解釈は普通は裁判所の仕事だと考えるわけですが、国会とか内閣とか、いわゆる政治部門でも行われています。そのことはどこの国でもいえますが、とくに日本の国会には9条について山のような憲法論の蓄積があるということからも明らかです。政治部門で法解釈・憲法解釈をやる場合は政治的考慮が直接に働くので、慎重な配慮が必要とされます。そのために一つは、法制の専門家を配置した内閣法制局や衆議院・参議院の議院法制局を設置しています。もう一つは市民の批判・監視です。市民に対して法解釈、憲法解釈が示されることが必要なのですが、こちらは必ずしも十分ではありません。
 内閣法制局自体は、政府・内閣の政治は憲法に違反しないと正当化をはかる役割を担っているわけですが、なぜ憲法に反しないかの理由を言わなければならない。そうすると自分が言った理由に自分が縛られるという逆転現象がおこる。これは憲法に限らず、法の世界一般におこることで、本来、統治のためにつくったルールに自分が縛られる。というわけで内閣法制局はそういう逆転した状況の中で法治主義、立憲主義を担い、法的統制を行うという役割を背負ってしまっているわけです。特に9条は戦争放棄の条文であるのに、安保・自衛隊ができているという大きな矛盾を抱えていて、無理な説明を繰り返しているわけですから、いろいろと縛られる状態になっている。ですから内閣法制局の解釈は官僚的にゆがんだ部分があるわけですけれども、大変重要な役割を果たしているといえます。
 政の官に対する優位を民主党が言っていますが、小沢さんは90年代の初頭から強調していて、また自民党もそういう立場に立ってきました。それで1999年に、国会答弁を制限する国会法の改正を行い、政府委員制度の廃止と官僚答弁が制限されました。しかし、例外として、内閣法制局長官、会計検査院院長、人事院総裁、公正取引委員会委員長などが政府特別補佐人というポジジョンで、内閣から一定の独立性をもった者として答弁を認められてきたわけです。そういう例外規定自体が、政の官に対する優位ということだけでない、配慮しなければいけない立憲主義があるということを認めたうえでのことでした。ところが今回、政府特別補佐人から内閣法制局長官だけをはずす、内閣法制局長官が狙いうちになっている状態です。このことを憲法原理的にみるとどうなのか。政治部門の憲法解釈は国会が行うというのが憲法の基本的原理だと思います。それは憲法41条で「国会は国権の最高機関とする」という規定によります。だから憲法解釈は国会で最終的に決まるわけですが、ただそれだけではなくて、内閣は国会に対して連帯責任を負い(66条)、その裏返しとして国会は内閣に対して行政監督権を持っています。その行政として、法律の執行、内閣提出法案の作成等が行われ、そこで憲法解釈が当然行われるわけです。内閣法制局長官の答弁を聞く、そこを国会がチェックするという役割はあると思います。そこをなくすのはやはり問題だと思います。

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