とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2007年12月

 政府・与党は11日夜、「給油新法」を成立させるために、臨時国会を1ヶ月再延長する方針を固めました。同法案の審議が参議院に移ってから60日目というのが1月11日で、その日までに参院で採決がない場合否決されたと見なし、衆院で再議決して3分の2の賛成で成立させるという「仕組み」を使うためです。こんな暴挙を断じて許してはなりません。
 「給油新法」は、アフガニスタン・イラクに対する侵略戦争を継続・拡大するための戦争法案です。インド洋で自衛隊によって(間接的にも)給油された米空母や揚陸艦、そして艦載機は、アフガニスタンやイラクの民衆に対する無差別空爆を行ってきました。自衛隊の給油は船の油だけじゃないんです。空母や強襲揚陸艦(実際は軽空母)に載っている航空機のための燃料も補給してきたのです。アフガンやイラクの民衆の頭上に爆弾を落としてきた攻撃機や攻撃ヘリの燃料です。これが福田首相の言う「国際協力」の実態です。
 さらにアメリカは今、イランに対する重圧を加え、対イラン戦争の準備を進めています。10月25日、米政府はイランへの「追加制裁」を発表、イランの政府組織が大量破壊兵器を拡散していると決めつけました。米・民主党もこれを支持し、ヒラリー大統領候補も「戦争を急ぐのは反対だが、何もしないのはよくない。最後の選択肢は排除しない」と述べ、対イラン開戦への道を事実上支持しました。昨年は「イラク駐留反対」と言っていた米・民主党も、1年もたたずに「米軍のイラク長期駐留」や「対イラン開戦」を支持する姿勢に転換しています。イラン攻撃が切迫しています。
 「給油新法」は、今後の対イラン攻撃にも参加するものだと言わねばなりません。石油のための侵略戦争をいつまで続けるのか! 日本の労働者民衆の闘いが今、本当に決定的になっています。職場・学園・地域から反撃の渦をまきおこしましょう!
 会期再延長の議決(14日に予定されている)を目前にした明日13日、国会前で抗議行動を取り組みます。国会に怒りの声を叩きつけていきましょう。
 天気予報はあまりよくありませんので、雨具・防寒の準備をお願いします。

とき◆12月13日(木)午前10時~午後3時(昼休み集会あり)
ところ◆参議院議員会館前の歩道(地下鉄有楽町線永田町駅1番出口を出て右)
呼びかけ◆百万人署名運動、福祉労働者連帯ユニオン、なんぶユニオン、東京東部ユニオン(12月3日現在。連絡先:百万人署名運動事務局03-5211-5415)




画像
 今日(12/6)正午から1時間、昼休み時の国会周辺で、「給油新法」反対!民主党は「年内採決」に応じるな!のビラまきを行いました。今日は北部連絡会から2人がかけつけてくれました。そして毎回参加してくださっている三多摩連絡会のNさんと、計5人で地下鉄「永田町」出口、参議院会館前、衆議院会館前と手分けをしてまきました。
 国会議員や職員、国会への要請者、傍聴者など、国会議事堂と議員会館を行き交う人々や通行人に「自衛隊の再派兵に反対しよう!」と呼びかけながらビラを配りました。「私は賛成です」という議員が多く、ビラの受け取りはあまりよくありませんでしたが、ビラを受け取った人の中に、何と「私も百万の賛同人よ」という人がいたとのこと、うれしい限りです。

画像


画像


 国会周辺はいつもと変わらぬ風景―バスツアーのような請願団体や恒例の小学生の国会見学団体など、がありましたが、警察警備がやたらと多くなっていました。国会前歩道には数㍍ごとに制服警官が立っていて通行人を監視している。私たちのビラまきにも「どこの団体か」「何人か」「何時までやるのか」、さらに「歩道の真ん中でまくな」「通行人のじゃまをするな」と事あるごとに警告してきました。不当な妨害!過剰警備をはね返してビラまきをやり抜きました。国会周辺のイチョウ並木の紅葉はとてもきれいでした。

画像


画像

画像

 12月4日(火)、沖縄戦教科書検定意見の撤回を求める市民の会・東京、沖縄戦首都圏の会らが文部科学省に検定意見の撤回を申し入れました。しかし、応対した布村大臣官房審議官はこれまで通りの「撤回は考えていない」をくり返し、9.29県民大会で示された検定撤回!の沖縄県民の怒りの声・願いを踏みにじりました。
 申し入れ後、要請団はこうした文科省の対応を弾劾し、文科省前で約120名で抗議行動にたちました。
ところが、この行動を察知した「つくる会」教科書グループ50~60名が、あらかじめ文科省前に陣取っていました。彼らは「検定意見を撤回するな!」「11万人集まったのはウソだ」などと、「日の丸」を掲げて、大音響のスピーカーで叫んでいました。

画像

上下の写真は右翼団体です

画像

抗議団は車道を挟んで対峙し、右翼なんかに負けないぞ!とがんばりました。「寿」や館野公一さんなどのミュージシャンも参加、国会議員や各地で撤回を求めて行動する市民らのアピール、沖縄から参加した沖高教組の松田委員長も発言に立ちました。

画像

 松田委員長はこの日の夜の平和フォーラム主催の集会で「文科省は記述の復活のみにとどめようとしているが、9.29沖縄県民大会で確認したことは、記述の復活と検定意見の撤回は一体だということだ。私たちは、ないことを元に戻せと要求しているのではない。歴史的事実は史実としてしっかり教科書に記述するべきだと言っている。」「米軍再編や軍大化を進める日本の政府・文科省にとって、沖縄戦の実相である“軍隊は住民を守らない”は、あってはならないものであり、それを覆い隠そうとして今回のことがあるのではないか。戦争政策にあらがうためにもみなさんの取り組みを」と、全国の労働者・市民に連帯を求めました。

画像

画像
 12月3日(月)東京・九段会館で検定意見撤回を求める全国集会が開かれました。主催は東京沖縄県人会と沖縄戦首都圏の会で、協力が日本ビジュアル・ジャーナリスト協会です。約1000人が参加し、文科省は検定意見の誤りを認めただちに撤回せよ、とアピールを発しました。写真は、沖縄高教組の松田委員長の音頭で検定意見撤回に向け「がんばろう!」と決意を打ち固めあったところ。

 高嶋伸欣さん(琉球大教授)のお話しによると「文科省は自らの責任を認めないで教科書執筆者に責任転嫁しようとしている。これはごまかしだ。しかし、執筆者側も検定前以上に日本軍の強制性がはっきりするような修正案を提出している。今週中にもこれに対する文科省の修正案が出てくるのではないか。」とのことでした。また、文科省は検定意見の撤回はしたことがないと言い続けていますが、過去に実質的に検定意見を撤回した例として、暉峻淑子さん(埼玉大学名誉教授)がご自身の体験を話されました。中学公民教科書に暉峻さん著「豊かさとは何か」から引用した教材について、文科省が内容が間違っているので別の教材にするよう検定意見をつけた(1991年)が、暉峻さんの4年間のたたかいの末、文科省は検定意見の間違いを認め謝罪し、事実上検定意見を撤回したそうです。 

 この集会に、沖縄から金城重明さん(沖縄キリスト教短期大学名誉教授)が参加され、渡嘉敷島での「集団自決」について自らの体験を話されました。とても重たい内容でしたが大変貴重なお話しでした。今回の教科書検定で文科省は「集団自決」に軍の命令があったかなかったかだけを問題にしていますが、このような問題の立て方自身、文科省の役人がいかに沖縄戦の実相について無理解かを示していると痛感しました。
画像

 渡嘉敷島の島民を初め沖縄の人々を「集団自決」へと追いやったものは、「お国のため、天皇のために命を捧げよ」という愛国心教育・皇民化教育であり、その下での一木一草にいたるまで軍の支配下に置かれた軍官民運命共同体のありようにあったこと。また、日本軍がいなければ「集団自決」は起きなかったことなど、改めてよくわかりました。金城さんは「集団自決は住民の自発的な死ではなく強制死だ。軍の移動命令がなければ、みんな自分の集落に留まっていた」。「配られた手榴弾で死ねなかった後、家族で殺しあったのは、死への恐怖ではなく、生きることへの恐怖・絶望であった。住民は軍から“米軍が上陸したら惨殺される、辱められる”と言い含められていた。家族への愛情の深さが殺害の徹底となっていった」。軍の命令の中味を「これでみんな一緒に死ぬんだよ」と受け止めた金城さんは、生き残った自らが最後に米軍に切り込んでいこうとしたとき、あちこちに日本軍がいるのを見て「どうして軍が生きているのか」と不思議に思ったこと、そしてそれは大きな憤り、恨みに変わっていったと証言されました。

広島からのリポートです。
12月1日(土)、山口県岩国市での1万1000人が結集した「国の仕打ちに怒りの集会」に参加したので様子を報告します。日本の政府が、岩国市庁舎建設の補助金カットをもって、米空母艦載機移駐を強制することに対する抗議集会として行われました。

画像

12月1日(土)錦帯橋の下の河原で集会がもたれました。広島県連絡会も幟を立てて参加し、200筆の9条署名が集まりました。5人で署名とびらまきを行いましたが、参加しているのに会えなかった、という人もいました。

当日は、岩国市が市民のために無料バスをしたてたり、岩国駅から臨時バスが出たりしました。自治労は全国動員がかかっており、教組も広島や山陰など、中国地方から参加していました。宮崎の人が署名に応じてくれたり、東京の人は前日の夜泊まりがけで来た、という人もいました。北海道の人もいたそうです。

9条改憲反対署名をしながら、地元の人たちにそういう話をしたら、「あら~、うちはすぐそこだから、だったら泊めてあげたのにね~」「こんなに応援に来てもらって、ありがたいね~」と言われたり。みんな今の政治腐敗に怒っていました。

沖縄の12万人に続いて、政府の非道を「許さんど~~!」。新聞記事の写真でみんなが「怒」の紙をかざしていますが、「許さん『ど』」の『ど』です。プログラムの裏に印刷してあって、参加者の気持ちが「怒り」で一体となりました。

「補助金カット」について長くなりますが、少し説明します。
歴史をひもとくような話ですが、1995年に沖縄で「少女暴行事件」が起こり、沖縄県民の怒りが爆発しました。そして、1996年の橋本首相が、SACO締結で、普天間基地の返還や米軍の訓練の本土への移転を表明しました。1997年、普天間の米軍空中空輸機部隊を岩国基地が受け入れることを岩国市は容認しました。それに伴って、日本政府が、岩国市庁舎建設に補助金を出すことになり、一昨年、昨年と補助金が出て、市庁舎建設が進んでいたのです。

ところが、米軍再編に伴って、日本政府は、神奈川県厚木基地に常駐している空母艦載機57機を、岩国基地へ移転させろと求めてきました。これまでは「米軍との共存の街」と言われてきた岩国と周辺市民が強い反対の声が出て、そのことをめぐって、住民投票が行われ、圧倒的多数で、市民は空母艦載機の受け入れに反対を表明しました。その後の市長選挙でも、受け入れ反対の井原市長が再当選し、移転反対が貫かれていたのです。政府は、この岩国市民の移転反対の民意を打ち砕くために、岩国市庁舎建設の補助金をカットしてきたのです。

岩国の井原市長は、基地撤去という立場ではないけれど、これ以上の受け入れは許せない、と言っています。井原市長は、広島や福岡、東京へも出向き、街頭宣伝を行っています。

以下は中国新聞です。ご覧になって下さい。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200712020063.html



↑このページのトップヘ