とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

2007年08月

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 暑さがまだまだ厳しい8月27日、午後4時、東京都教育委員会がある都庁前に約350人の人々が集まり、「日の丸・君が代」処分撤回を求めて抗議の声をあげました。2004年の卒・入学式から、「君が代」斉唱時に不起立の教職員に対し不当な処分が始まりましたが、これに抗議して、毎年8月に行われている都庁包囲アクションです。

 例年は近くの公園に集まって都庁までデモをしていましたが、今回は直接都庁前に集まり、参加団体個人でいくつかの要請団をつくって、直接都教委へ申し入れを行いました。
 残った多くの人々も、要請団を送り出した後、その場で抗議の声をあげ続けました。被処分者の根津先生もマイクをとり「私たちのたたかいは、東京の教育を守ること。教育現場から戦争が始まる。それをとめるために、今、一人一人、立たずに座りましょう。支援ではなく共闘を!」と訴えました。これに応えて、ある中学の先生が「教育的良心があれば誰でも反対できる。まだ行動に立ち上がれてない同僚に、座ろう!と呼びかけていきたい」と発言しました。こういう先生が増えることが、この攻撃を打ち破る道だと改めて感じました。さらに、「今の学校の卒業式は明治の太政官令が基になっている」、「不起立者に対して都教委がやっている『懲罰人事をし、さらに処分を出す』という二重処分はやってはいけないことになっているはずだ」など、現場教員の怒りが続きました。大阪や兵庫、岐阜からかけつけた皆さんもいました。
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 都庁内に向かった要請団の報告もびっくりするものでした。都教委は最初から要請団の話を聞こうとはせず、何と排除行動に出たのです。あるところではエレベーターを降りたところで、赤いテープが張ってあり、さらにチェーンまで張って、その先に行けないようにしてあったとのことでした。どうして要請を受けないのかという問いには、課長も部長も会議中である、と答えるのみで、後は何を聞いても答えない、説明しないとのことでした。こんな対応が許されるでしょうか。教育に携わる人々がすることでしょうか。否!です。
 引き続き夜も集会が行われ、松山大学助教授の大内裕和さんも連帯のアピールにかけつけました。子どもたちのためにも、こんなデタラメな都教委のあり方を許さず、たたかう教職員への処分を撤回させるため都教委への抗議をさらに大きくしていきましょう。
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街頭署名・宣伝時のビラをつくりました。
大阪・北摂連絡会がつくったものを活用させていただきました。
A4でタテ置きで、片面のみです。
裏面には各地の集会ビラや、署名用紙などを印刷してください。
PDFデータ(310kb)は以下のところにあります。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hyakuman/kenpo.htm

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沖縄県民大会の日程と場所が変更になりました。以下、沖縄タイムス8月23日朝刊から。
「検定撤回要求 県民大会9月29日に 会場も変更 宜野湾で」 
 高校歴史教科書で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」への日本軍関与の記述を削除した文部科学省の検定意見撤回を求める超党派の県民大会の開催予定が変更になり、九月二十九日午後三時から宜野湾市真志喜の宜野湾海浜公園で開かれることが二十二日、決まった。当初、糸満市摩文仁で九月二十三日に開く予定だったが、交通の便や会場の収容能力などから断念した。
 開催予定の変更は、二十二日、県議会で開かれた実行委員会準備会で決まった。沖縄戦最後の激戦地・糸満市摩文仁の平和祈念公園での開催を強く望む声があり、交通の便や会場の収容能力などの問題は解決できるとみられた。しかし、県警などから意見を聞いた結果、平和祈念公園内は狭隘で、目標の五万人の達成が困難なこと、駐車場やバス輸送で渋滞が生じることから会場の変更を決定。さらに、九月二十三日は宜野湾海浜公園で別の団体のイベントが開かれることから同月二十九日に変更になった。
 宜野湾海浜公園では一九九五年に米兵暴行事件に抗議する県民大会が開かれ、八万五千人が参加した。


残暑お見舞い申し上げます{%dolphin%}
「集会デモのご案内」のページを更新しました{%exmark2%}
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hyakuman/inf.html
さらに掲載ご希望の方は、million@mqc.biglobe.ne.jpまで。


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 62年目の8.6ヒロシマ、8.9ナガサキで、今年も多くの取り組みがありました。8月5日に広島で「国際連帯集会」が持たれ、中国・韓国・イラクの人々からの切実な訴えがありました。いずれも、私たち日本人がきちんと知らなければならないことばかりでした。その中から韓国人被爆者問題についてご紹介します。
 韓国から被爆2世のチョン・スッキさん(韓国原爆2世患友会・会長) が発言されました。40才くらいの女性です。彼女のお父さんは4才の時広島で被爆しました。おじいさんはその場で亡くなり、おばあさんは子どもたちを連れて故郷の陜川(ハプチョン)に戻りましたが後遺症で苦しみました。お父さんも肺ガンで長い間苦労し、日本での治療をしましたが、そのせいで重傷となり、まもなく亡くなりました。チョンさん自身小さい頃から足が弱くよく転び、貧血が激しかったそうです。足の痛みが激しくなり病院に行ったところ軟骨が再生しない病気と言われ、両足に人工骨を入れる手術をしました。彼女の娘さんにも同じような症状が出始めているそうです。下の写真の右側がチョン・スッキさんです。
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 韓国人原爆被害者は、広島・長崎での全被爆者約70万人の10%、7万人もいたのです。2世、3世とその苦痛が引き継がれています。韓国での「原爆被害者協会」に被爆1世として登録されている数は2325名だそうですが、実際にはもっと多いと推定されています。その多くが「韓国の広島」と呼ばれているハプチョンの人でした。チョンさんもハプチョンで生まれました。さまざまな差別の中で被爆者本人はもとより、2世、3世も病気にかかって死んでいくという状況の中で、故・金享律(キム・ヒョンニュル)さん(韓国原爆2世患友会・前会長)の命がけのたたかいで、国家レベルでの真相究明と支援対策を求める道が切り開かれました。しかし、韓国国会に特別法が与党議員によって発議されましたが、まだこの特別法は国会に留まったままです。チョンさんたちは、この特別法の国会通過を求めてたたかい続けています。
 次に発言された姜済淑(カン・ジェスク)さん(韓国平和市民連帯代表)からは、再び悲劇的な歴史が繰り返されないように、事実を後世に伝えていかなくてはならない。しかしハプチョンには小さな資料館すらない。広島、長崎のように韓国のハプチョンにも、平和公園や歴史館をつくりたい。そのために韓国と日本の市民が力を合わせる必要があると強く訴えられました。その第一歩として「陜川(ハプチョン)平和公園造成および歴史館建設のための韓日共同署名運動」が呼びかけられました。
詳しくは→http://hw001.gate01.com/hiroshima8-6/kokusai.htm
 
 

 


 

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