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 1999年9月30日、午前10時35分、茨城県東海村にある核燃料加工会社JCO東海事業所の化学処理施設でミニ「核爆発」が起きました。日本で初めての臨界事故という大惨事でした。作業中に大量被曝した労働者2名は、とても治療は無理と、病院をたらい回しにされ、体中のあらゆる細胞が破壊されて地獄のような苦しみの中で死亡しました。その他にも「放射能漏れ事故」ということを知らされずに救助に来た消防署員や周辺住民など667名が被曝したと言われています。
 放射線被曝の恐ろしさを示した東海村臨界事故を絶対にくり返してはなりません。そのためのたたかいが今も粘り強く続いています。9年目にあたる9月30日、東京・文京区民センターで開かれた集会には、JCO東海事業所のすぐ近くに住んでいて被曝した大泉ご夫妻が参加されました。大泉さんは健康被害を受けたとしてJCOに損害賠償を求めた訴訟を起こしていましたが、今年2月27日に水戸地裁において言い渡された判決は「棄却」という全く不当なものでした。大泉昭一さん(80才・下の写真)はそのときの悔しさを「5年間の裁判だったのに、たった30秒で、原告の負けと言われて、裁判官はさっさと帰ってしまった。頭の中が真っ白になった。」と語りました。でも、「日本で初めての臨界事故、風化させてはならない。命の続く限り、大企業や国に責任をとらせるためたたかっていく。」と、控訴審への決意を述べ支援を訴えました。

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 小出裕章さん(京大原子炉実験所)のわかりやすい講演、主催団体である9.30臨界被曝事故9周年東京行動実行委代表の望月彰さんのお話しなどを聞き、改めて、放射線の恐ろしさと原子力発電所の危険性を確認しました。そして、企業・政府の無責任極まりない原子力政策に怒りが湧きました。小出さんは「本来、JCO事故の責任をとるべきは、この施設に許可を与えた原子力安全委員会であり、審査に携わった委員たちだ。それなのに、彼らは、作業員が愚かな行為をしたためだと主張し、責任を全くとろうとしていない。彼らを全員刑務所に入れて、責任をとらせるべきだ」と、政府の責任を明らかにしました。(事務局S)