6月13日(土)の夜、東京・中野区商工会館で、河原井さん・根津さんらの「君が代」解雇をさせない会の総会と記念講演がありました。皆さんに簡単な報告をしたいと思って、さて「解雇させない会」はいつ発足したのかな?とホームページを見てみました。正確にはわかりませんでしたが、掲載されている一番古い日にちが2005年5月27日でした。この日は根津さんに初めて停職処分が出された日で、根津さんは即日抗議声明を発しました。ちょっとその時の抗議文を紹介します。教員としての尊厳と闘争精神がビンビン伝わってきますね。

2005年5月27日
東京都教育委員会御中
   立川市立立川第二中学校教諭 根津公子

「君が代」処分に抗議する

 本日2005年5月27日、東京都教育委員会(以下、都教委)は入学式における「君が代」斉唱時に起立しなかったとして私を停職1月処分に処した。この暴挙に強く抗議する。
 1989年当事の文部省が学習指導要領に「日の丸・君が代」を持ち込んで以降その強制を年々強め、都教委は2003年、いわゆる10・23通達を出し、反対意見を処分で脅し封じ、徹底した「君が代」服従を教員に、そして教員を通して子どもたちに強いてきた。
 教育は「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」を期し、「学問の自由を尊重して」行うべきものであって、教育行政が「不当な介入に服してはならない」と教育基本法は謳っている。教育として「日の丸・君が代」を取り扱うならば、学校・教員はこれらについて子どもたちが考え判断できるよう資料を提示し、学習する機会を作るとともに、その上で子どもたちが自らの意思で行為を選択することを保障しなければならない。それが軍国主義教育の反省から生れた、教育基本法の示す教育行為である。
然るに、都教委が強行する、子どもたちに一つの価値観を押し付ける「君が代斉唱」行為は非教育・反教育行為であり、教育基本法に違反する行為である。それは調教と呼ぶべきものである。
そのような理不尽なことに、私は従えない。職務命令を濫発されても従わない。それは、教育基本法を順守し、軍国主義、国家主義教育に加担しないと誓った私の教員としての職責であり、選択である。私は、私の生き方を子どもたちに示すことで教育に責任を持つ。だから、都教委が叩いても私は立ち上がる。意を同じくする人たちとともに闘う。
 都教委の役人の方々よ、世界に目を向けよ。圧政に命を堵して闘っている人々がいることをあなた方は知っているだろうか。圧力をかければ、誰もが服従するのではないことを学ぶとよい。
 都教委の「君が代」処分に抗議するとともに、併せて、闘いつづけることを宣言する。                                     以上


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 13日の総会には約100人ほどの仲間が参加し、昨年3月卒業式での懲戒免職を阻止した勝利から、その後出てきた分限免職策動とのたたかい、根津さん・河原井さんを先頭にみんなが全力で闘い抜いて、そして勝ち取った今年3月卒業式での分限免職阻止の勝利を確認しました。根津さんも「多様で多彩なたたかいがあったから支持が広がり、いろんな人たちの力が結集できたから、免職を阻止できたと思う。」と総括しました。

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 記念講演は山田昭次さん(立教大学名誉教授)で「関東大震災時の朝鮮人虐殺と秋田雨雀」でした。新たな「皇民化教育」にどう立ち向かうか?という現在のテーマを、80年以上前の秋田の警告から学ぼうというものでした。
 関東大震災(1923.9.1)で朝鮮人虐殺に加担した自警団に参加した民衆は、実は熱烈な「愛国者」であり、朝鮮人暴動流言を聞いて「国家緊急の時」と信じて立ち上がった典型的な日本国民だったということです。そして、これは「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ…」と国家危急の際の献身を命じた教育勅語に基づく学校教育や社会教育によってつくりだされたものでした。秋田はこれを「他人の着せた衣服(きもの)を大事に着ているだけです」と表現し、自警団員達は国家に植え付けられた国民道徳の体現者だと指摘しています。そして、『改造』1923年10月号などで、敵は朝鮮人ではなくて、日本人自身だと説いた。この「日本人自身」という表現は発禁処分を避けた表現で、実は日本の支配者を指しているとのことでした。

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 講演の後、今年「君が代」不起立を貫いた教員達の発言が続きました。40代の教員は主任制導入が学校をダメにしていると訴えました。平教員から主任に上がらなければ給料が上がらない、60歳になって再雇用されたかったら主任教員になっておかないとダメ、ということで、「国旗・国歌」に従うかを踏み絵としながら、上から言われることをやるしかない、言っても無駄、というようになってきているというのです。でも「屈しないものたちはいます!」と明るく言い切りました。
 河原井さんも「ひとり一人が逃げず、きちんと向き合っていこう」と、いつもながらのゆったりとした笑顔でした。(事務局S)

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