8月6日(木)、「8・6広島-8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会」主催の恒例の早朝デモに参加しました。午前7時、旧広島大学正門前に続々と人々が集まってきて、みんなそれぞれ持参したノボリ旗を立ててとてもにぎやかでした。まもなく、デモ出発。広島の街をアピールしながら平和公園に向かいました。途中、中国電力の前で上関原発(山口県)建設反対の座り込みをしている人々と交歓しました。

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 「平和公園」内での式典が始まった午前8時ちょっと過ぎに、デモ隊は式典会場に超接近。シュプレヒコールで、自衛隊のソマリア派兵を強行し、「核の傘」は必要と訴えに来る麻生首相の式典参加に抗議し、秋葉市長のオバマ礼賛発言を弾劾しぬきました。

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 64年前の8月6日午前8時15分、アメリカ軍が投下した一発の原子爆弾の炸裂で表面温度約30万度(太陽表面温度の50倍)の火球ができ、この熱線で、このあたり一帯の建物・人間は一瞬のうちに焼き尽くされてしまった。爆死した人々の無念、その後放射能で被爆した人たち苦しみ、恨みは、未だはらされていません。
 再び世界大恐慌時代の到来の中で、「日本も核武装を!」という主張が公然と出されてきました。田母神元航空幕僚長もその一人。彼は「再び被爆者を生み出さないために核武装すべき、先制攻撃で北朝鮮を叩くべき」と扇動しています。やはり、これと全力で闘いぬくことが「再び過ちを繰り返さない」闘いそのものだと思いました。

 昼12時30分からは、平和公園近くの広島県立体育館小アリーナで「8・6ヒロシマ大行動」の集会が開催されました。百万人署名運動広島県連絡会の仲間が主催実行員会の中軸を担って準備してきました。「全世界の労働者・民衆の団結で、核をなくせ!改憲・戦争をとめよう!」と、全国から1800名の労働者・学生・市民が参加し、次々にアピールに立ちました。弁護士の高山俊吉さんも東京からかけつけ、裁判員制度廃止・改憲阻止へとアピールしました。

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 アメリカからも港湾労働者(ILWUローカル34)のホアン・デルポソさん(写真左)が参加しアピール。ILWUという労組は、1946年に「戦勝」扇動を吹き飛ばして広島・長崎への原爆投下などを批判したデモに立ち、反戦反核を訴えました。その伝統を引き継いで昨年5月1日のメーデーには、イラク反戦の全港湾封鎖のストライキを闘っています。彼は「この核による世界支配政策こそ、労働者の国際的団結を破壊する最大の武器として使われてきた」と指摘しました。

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 集会後、再び広島の街をデモ行進、1時間半近くアピールして歩きました。

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 その後、原爆ドーム前に移動し、午後6時からすぐ目の前の「メルパルク」(左側の建物)で行われる田母神講演会を弾劾する行動に立ちました。
 
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反戦被爆者の会の下田礼子さん(写真)や被爆者青年同盟の中島健さん、被爆三世の青年たちが次々にマイクをとって抗議のアピール。

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途中で「日の丸」入りの右翼の真っ黒い宣伝カー(写真中央の黒い物体)がものすごい音量で接近してきましたが、それに負けないくらいの「帰れ!」コールの激突でたたき返しました。(事務局S)

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