1937年7.7盧溝橋事件(日中戦争開始)~1941年12.8真珠湾攻撃(日米戦争開始)~1945年8.15敗戦、筆舌に尽くしがたい膨大な民衆の犠牲が強いられたアジア太平洋戦争でした。戦地で兵員230万人(朝鮮・台湾5万人を含む)が死亡、空襲や被爆・沖縄戦などで一般市民が約80万人死亡、のみならず中国・アジア人民への殺戮はさらにその数倍、約2000万人と言われています。生き残ったほとんどの日本の労働者民衆は、もう二度とこんな戦争をやってはならないと思ったにちがいありません。
 64年目の8.15に、二つの集会に参加しました。一つは「憲法を活かして平和を創ろう」(主催:平和遺族会全国連絡会)、もう一つは「改憲は阻止できるぞ!2009」(主催:戦後50年を問う8.15労働者・市民のつどい全国統一実行委)です。

 日本教育会館で行われた前者の集会には約300人が参加し、集会後正午から靖国神社周辺を平和行進しました。主催団体の「平和遺族会全国連絡会」は、既成の「日本遺族会」が、戦争賛美、「英霊」尊崇の方向へゆがめられていくことに対して、かつての戦争は侵略戦争だったとし、その精神的な核が国家神道であり、靖国神社は侵略戦争推進の大きな役割を果たしたと弾劾し、再びそれが繰り返されないようにと23年前(1986年)の7月7日に結成された団体です。現在、西川重則さんが代表を務められています。

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 今年の記念講演は吉田裕さん(一橋大学大学院教授・写真下)で、「田母神問題と歴史修正主義」というテーマでのお話しでした。吉田さんは、田母神本人が著書の中で述べている言葉「自虐史観が、我が国の安全保障体制の確立を困難にしている」「日本の防衛の手足を縛っているのは、『日本は侵略国家だ→軍にまかせておけば暴走する→軍は動けないようにしておく必要がある』などという思考パターンである」を紹介し、田母神が防衛問題の核心を歴史認識問題であると考えており、ここでの国民の意識を変えていこうとしていると指摘しました。

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 西川重則さんも、基調報告の中で、自民党の新憲法草案の9条のタイトルが「戦争の放棄」から「安全保障」(武力による安全保障)に変えられていること、国にとっての安全保障論の中で靖国神社は「防衛思想の拠点」と位置づけられていると指摘しました。そして、靖国神社法案は決して過去の戦没者の問題ではなく、今後の問題として出されてきたこと、それは現在、海外派兵との関係で自衛隊員の戦死問題として目前にあるとして、すべての市民が有事法制下の靖国神社問題を重要な問題であると考えてほしいと訴えました。

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 現在、陸海空自衛隊のソマリア沖派兵が強行されており、ソマリア沖の護衛艦には死体安置所が戦後初めて設置されました。そのような中での今年の8.15。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会(自民・民主ら44人)、同・地方議員の会(40人)、小泉・安倍元首相、野田聖子消費者行政担当相らが次々と靖国神社に参拝に現れました。この間活発に講演に回っている前航空幕僚長・田母神も現れ、かつての戦争は侵略戦争ではなく「白人国家を次々と打ち破って白人化をとめ、結果、人種平等の世界がきた」などとウソ吹いたそうです。(次へつづく)

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