今朝、百万人署名運動全国通信」9月号を無事入稿しました!というわけで、遅くなりましたが、敗戦の日の8月15日に二つの集会に参加しましたので簡単に報告します。
 午前中は、日本教育会館で開かれた平和遺族会全国連絡会主催の8・15集会に参加しました。毎年8月15日に、戦争遺族の立場から「憲法を活かして平和を創ろう!」と集会と平和行進が行われています。現在、西川重則さんがこの会の代表をされていますが、資料に添付された24年前の「結成宣言」に、この会の歴史認識が下記のように記されていました。
 「私たちの肉親を奪ったあの戦争は、アジアの国々の平和をおびやかし、民衆の生活を破壊し、2000万を上まわる生命を奪った侵略戦争だったのです。」「去る侵略戦争の最大の責任は、近代天皇制国家において戦争を計画し、遂行した、天皇を頂点とする軍国主義の指導者にあります。その軍国主義の精神的な核が国家神道であり、侵略戦争遂行のために果たした、靖国神社の存在と役割の大きさについて、知らないものはありません。」 そして「さらに近年、超大国の核軍拡が強まり、わが国でも軍拡の動きが高まってきました。そうした気運の中で、昨年8月15日、中曽根首相と閣僚らによる戦後初の靖国神社集団「公式」参拝が強行されました。」とありました。

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 基調報告に立った西川さんは、このような会の趣旨を述べ、中曽根首相らの公式参拝翌年の1986年7月7日、1937年の盧溝橋事件、日中戦争開始日に、「二度とくり返してはならない」と会を結成したこと、生涯のテーマは「アジアとどう向き合うか」ということだと言われました。お話しの中で印象的だったのは、1945年7月26日にドイツで発表された戦争終結に向けたポツダム宣言とこれに対する日本の権力者の対応について触れたところでした。ポツダム宣言では、日本が無条件降伏しなければ完全な破壊があるのみだと通告してきましたが、当時の鈴木首相はこれを「黙殺する」と表明したのです。この年の2月、天皇が「もう一度勝たなければ戦争をやめることはできない」という趣旨の発言しており、これと一体なわけです。結果、広島・長崎への原爆投下、各地の大空襲、と大惨禍となったのです。西川さんは「この歴史の事実を忘れてはならない」と強調しました。

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 そのあと、<アジア太平洋戦争のすべての犠牲者に思いを馳せ、心に刻む「沈黙の時」>、いわゆる「黙とう」の時間がありました。当日は体調を崩されて来られなかったのですが、戦没者の遺児の方(80歳、女性)の「沈黙の時」提案文の中で「青紙」について触れられていました。知らない方も多いのではないかと思い一部紹介しておきます。
 「戦争中『赤紙』と言えば召集令状のことでした。それは薄赤い紙の葉書だったからです。『青紙』は演習召集令状のことで、予備役の者を入隊させ一定期間軍事訓練をするのでした。父は1944年春、青紙召集を受け、開業医だったので一時医院を閉じ、直ぐ帰ると言って家を出ました。歓呼の声に送られることもなく、一人の見送りさへありませんでした。召集の期限が迫ると、再び青紙召集を受け、次の召集終了の期限も青紙召集となり、更に赤紙の本召集に切り替えられ、南方への転属を命じられました。すでに頭髪は白毛がまじり、47歳の老兵でした。思えば、父は国に騙されまた騙され、その挙げ句思いのよらぬビルマ奥地の最前線へ行かされたのです。」
 今年の記念講演は和田春樹さん(東大名誉教授、ソ連・現代朝鮮研究)で『「韓国併合」100年~東北アジアの平和と和解・共生を求めて』でした。お話しの中で、1965年に結ばれた日韓条約第2条で、併合条約にいたる諸協約は「already null and void 」と宣言されたが、この解釈をめぐって両国が異なっていると指摘がありました。韓国側は「過去の条約や協定は、(当時から)既に無効である」と解釈。だから1910年の韓国併合条約は違法・無効であるという立場です。ところが日本側は「過去の条約や協定は、(現時点から)無効になる」という解釈で、当時は合意に基づいたもので有効とする立場であるとのこと。歴史の真実を見れば、韓国併合・植民地支配は一方的な強制、違法なのは明らかなのに、歴代の日本政府は植民地支配は合法で謝罪しなくてよいと居直り続けているわけです。
 改めて、菅首相談話について考えました。「お詫び」という言葉はあるけれど、この間ずっと要求されている「謝罪・補償・歴史への記録」を求める戦中戦後補償問題の解決などに全く触れていません。韓国の立場を受け入れているわけでもなく、結局は今までの日本政府の立場と基本的には変わっていないんだと思いました。(S)