1月28日(金)、東京高裁で予防訴訟(国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟)の控訴審判決がありました。判決主文は下記の通りです。
 1.原判決を取り消す。
 2.本件公的義務不存在確認請求に係わる訴え及び本件差止請求に係わる訴えをいずれも却下する。
 3.被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
一審判決を圧殺するとんでもない判決でした。 
 この裁判は2003年に都教委が「10・23通達」(壇上正面に掲げられた「日の丸」」に正対し、「君が代」を立って歌うこと)を出したことに対して、予想される処分の差し止めるためにおこした「差止請求」裁判です。
 2006年9月に出された一審判決では原告が勝訴しました。難波判決は「10・23通達は、校長が教員に出す職務命令は『教育基本法』(当時)10条の不当な支配に当たり、起立斉唱・伴奏の義務はない。職務命令にもとづくいかなる処分も許されない」という内容でした。都教委が控訴し、高裁審理になりました。
 高裁判決は「10・23通達の処分性は認められるが、それによって重大な損害が生じる恐れがあるとは言えない。差止め訴訟はその要件を欠く。別の訴訟をやった方がいい」としました。また「原告たちが主張する10・23通達は思想信条の自由等を奪う憲法違反だという主張は当たらない。損害賠償は認められない」という内容でした。

 この日、被処分者らは昼12時過ぎに弁護士会館前に集まり、そろって、裁判所に向かいました。そして、傍聴抽選後、13時15分からの判決に向かいました。

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この裁判を担当した都築裁判長は判決文を書いた後退職し、この日はその判決文を新任の裁判長が上記判決主文を代読し、あっという間に終わりました。
 裁判所前で待っていた被処分者、支援者は弁護士のかざした「不当判決」の紙を見て、驚きで声もでない状態でしたが、すぐ、ナンセンスだ、裁判所は恥を知れという糾弾が発せられました。

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 弁護士から簡単な判決内容のポイントを聞き、完敗であることを知りました。全体で裁判所に向かって「東京高裁の不当判決を許さないぞ!」「日の丸・君が代処分は許さないぞ」等々のシュプレヒコールを行い、総括集会の行われる社会文化会館へ向かいました。

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 社会文化会館では弁護士、裁判当事者、学者等々の発言がありました。
 最初に発言した被処分者は次のように言いました。「法廷でじかに判決を聞いた。裁判長は能面のような顔で判決文を読んで数十秒でいなくなった。あらゆる幻想がはぎ取られた。裁判所が国家権力の暴力装置であること、それはこの国の現状に見あっている。この闘いは長く続く。勝つまでは長い。しかし、こういう気持ちにさせた『ありがたい判決』だったと私は思う。」
 弁護士は「判決は完敗です。最悪の判決だ。憤りを抑えることはできない。はっきりしたことは下級審は最高裁のピアノ裁判判決を批判する判決を書けないということ。予防訴訟は、こういう裁判は可能か、行政訴訟の類型が成り立つかどうかまず争点になった。さらに10・23通達に基づく職務命令を理由にする処分は教育に対する不当な支配に当たるかどうか、また憲法19条・20条にもとづいて処分を差し止めることができるかどうかが争点になった。難波判決は根本的にそれらを検討した判決で、原告400名に共感したものだった。しかし、その後のピアノ裁判判決の後の判決はみなビアノ判決に従うものになった。本日の判決は従うというより、もっと不当になっている。しかしここは通過点だ。この高裁判決を変えるのはやはり最高裁の大法廷になる。引き下がることはできない。」

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 原告の一人は「判決は国旗・国歌を慣習法として認められていると言っている。今日、どこの学校でも『日の丸・君が代』は実施されているが、処分をして力づくで慣習法にした。許し難い。裁判官は現場の実体をなにも知らない。いま学校の中はファシズムの状態だといっても過言ではない。このファシズムが学校の門を出て社会全体に向かっていくことを危惧する。だから最後まで闘い続けよう」
 この他、発言はみな憤りに満ちたものでした。判決を無効にする力は、やはり、現場の教職員が闘い続ける以外にないということがはっきりしたと言えます。弁護士たちが不当判決を判決によって打ち破っていくというのは当然としても、真に闘う主体は教職員にあるということです。それをしっかりと確認して、「日の丸・君が代」の職場を変えていこうということです。(事務局T)