4月10日(日)、2011年「4・9反核燃の日」全国市民集会が、青森市で開催されました。主催は同集会実行委員会。震災・福島原発事故を理由に各地で集会・デモが中止されている中、今こそ反核、反原発の闘いをやらないでいつやるんだという主催者と参加者の熱気がみなぎる一日の闘いでした。
 集会に先立つ午前中のデモには約70人の労働者・市民が参加し、「全ての原発を今すぐ止めろ!」「国と東電はすべての責任をとれ!」「核燃料サイクル絶対反対!」「再処理工場稼働させるな!」「大間原発建設阻止!」とシュプレヒコールを上げ、デモ・パレードをしました。

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 市内は日曜日だというのに全くと言っていいほど人が歩いていません。商店街はシャッター街と化していました。すでに震災解雇が始まっていますが、これからとんでもない大恐慌列島の現実が迫ってくることを示してるのでしょうか。それでもデモ参加者は、元気な青年のコールに合わせて、声を張り上げて最後までデモを行いました。数少ない通行人に向かって一生懸命、メッセージボードを向けている年配の方が印象に残りました。

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 午後からの集会には、新聞に掲載された開催の知らせを見て来た人も多く、150人の参加がありました。核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団代表の浅石弁護士が、「誰が加害者で誰が被害者なのか明らかになった。テレビを見ていると腹が立つ。『ウソつき』とみんな思っている。原子力に頼らない社会をつくっていきたい。」と開会あいさつ。原子力資料情報室の伴共同代表が、『原発震災-2011年3月11日、福島第一原発壊滅―』と題して講演し、質疑・討論が行われました。

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 その中で焦点になった一つは、「福島原発の見通し」です。テレビではもう福島原発の最大の危機は脱したかのような雰囲気になっているが、そうではなく、きわどい状況が続いている。溶けた高熱の燃料が下に落ちて一気に大量の水とふれ合い水蒸気爆発を起こす最悪の事態が起こる恐れは続いている。しかも、一つがこの爆発を起こせば多量の放射性物質が放出され、1~4号機も近寄れないことになり、冷却対応ができなくなり次々と爆発する事態になる、ということです。NHK解説でも「安定まで数ヶ月から1年はかかる」と言われていましたが、その間、この最悪の事態へ至る可能性がずっと続くという意味なのです。
 さらにもう一つは「廃炉までの過程」。これは燃料棒を冷却し取り出すまでにチェルノブイリの例では10年かかり、それから石棺化するのにさらにかかる。数十年の閉じ込めと監視。聞いていて本当に誰がこんな物をつくったんだ!という怒りがこみ上げます。
 集会では、青森、函館、大間原発建設予定現地、岩手三陸、宮城の各地から報告が行われました。大間原発建設予定地で立ち退きを拒否し闘っていた母親の家と土地を守っている女性は、涙を流して「大震災に心が痛む。起きて欲しくなかった事故が起きた。今回の事態は人災だ。政府・東電・政治家の責任は重い。」と訴え、三陸の海を守る会の方は、「仲間がまだ行方不明。『三陸の海を守る』から『世界の海を守る』へ。共にがんばろう」とアピールしました。宮城からの参加者したグループも仲間が流され、会社が潰れ遠方に非難している仲間がいると。
 集会は、「青森県内の原子力施設の運転・建設の中止を求め、次いで全国の原子力施設の運転・建設の中止に全力を挙げて取り組む」と決議する集会アピールを採択し閉会しました。
デーリー東北(4月11日朝刊)
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 私たち百万人署名運動・青森県連絡会の仲間は、集会全体の運営を担って闘いました。震災と福島第一原発事故に団結を固めて対決し闘う福島の仲間からのアピール、8・6-8・9実行委の連帯アピール、「生きぬくために闘う!東日本大震災救援対策本部」ニュースをすべての参加者に手渡し、反戦・反核、反原発、被災地救援を共に闘うことを訴えました。
 集会では、「原発の停止要求と同時に、二酸化炭素削減の対案プランの提出で自然エネルギーへの政策転換を!10年で脱原発できる」という議論もありましたが、核武装を絶対に手放さない日本政府、そして軍需産業・電事連の支配を労働者民衆の手でぶっ飛ばさない限り止まりません。全国の仲間のみなさん、ともに闘いましょう!(青森県連絡会・H)

●「4・9反核燃の日」について
 1985年4月9日、当時の北村知事は県議会全員協議会で、核燃サイクル施設の受け入れを表明しました。前年、電気事業連合会から立地要請を受けて、1年を経ずに受け入れたことに、青森県民は怒りの集会を開きました。
 あれから26年目を迎えようとしていますが、再処理工場は未だに竣工の目処が立っていません。