昨年の5.15は大雨の中での普天間基地包囲行動でしたが、今年は普天間基地を南北に進む平和行進に参加しました。約2時間半の行進でしたが、「普天間基地を撤去しろ!」「嘉手納統合案反対!」「静かな沖縄を返せ!」と、元気なコールで団結を固めあいました。。

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     左側が普天間基地
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     牛も参加
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 大震災後、政府・企業の「節電、自粛」のかけ声の中で、既成の労働組合指導部もこれまでの闘いを自粛するという動きです。こうした中で、沖縄5.15闘争も例年の3日間の取り組みが1日に短縮され、沖縄平和運動センターも県外への参加要請をやめてしまいました。でも当日、宜野湾市役所前(平和行進出発地)には早朝から県外からも多くの参加者が集まり、平和行進終着地近くの宜野湾海浜公園野外劇場での県民大会は会場を埋め尽くす3300人の参加となりました。

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辺野古の命を守る会のおじぃたちも参加
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 3.11大震災-福島原発大事故とういう私たちが戦後初めて経験する大変な情勢下で、沖縄基地の強化、日米安保の強化が大きく進められています。今年の5.15こそ、この攻撃と対決する重要な闘い、縮小などとんでもない!と、沖縄労組交流センターらが独自に那覇・国際通りデモ(14日)、名護市内デモ(16日)を呼びかけました。私たちはこれらにも参加したので、何と3日間連日のデモとなりました!
 14日の那覇・国際通りデモ。若者を先頭に「基地も原発もいらない!」とエネルギッシュで、沿道と一体となって進んでいきました。
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沿道からもピースサイン!
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 16日は朝からあいにくの雨、名護に近づくほど強くなるという雨模様でした。ところが、名護市役所からデモが出発すると同時に雨がやみ、何と空が明るくなったのです。ラッキー!

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 名護市内デモには感動的な多くの反響がありました。路地の奥から両手を振って出てきたおじぃ、バンザイをするおばぁ、手をたたく女性、デモ隊に入り一緒に歩く人、サンダルばきで家から出てきたおばさんが「ありがとうございます」と。若者もガッツポーズ!辺野古新基地建設に反対して闘ってきた人々の熱い思いに触れました。

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保育園の子どもたちも必死にエールを!
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 14日の夜、国際通りデモのあと、那覇市民会館ホールで「『復帰』39年、5・14沖縄集会」がありました。百万人署名運動沖縄の会・共同代表でもある崎浜秀俊さん(元沖縄県高教組副委員長)や宮城盛光さん(北中城村議)らが呼びかけ、国鉄闘争全国運動・沖縄が共催した集会で350人が参加。被災地の宮城、福島、茨城を含め全国からも多くの労働者・学生・市民が参加しました。
 39年前の5月15日、隣の与儀公園では土砂降りの雨の中、「自衛隊配備反対、軍用地契約拒否、基地撤去、安保破棄、『沖縄処分』抗議・佐藤内閣打倒5・15県民総決起大会」が開かれたそうです。72年の「返還」とはあくまでも沖縄に基地を押しつけ続けるためのペテン的な「返還」でしかなかったからです。土砂降りの中で、沖縄の労働者民衆がどんなにか悔し涙を流し、怒りをたぎらせていたかと思うと、ここに「基地のない沖縄」を目指す不退転の闘いの原点があるんだなぁと感じました。
 被災現地からの報告には厳しい現実を目の当たりにしましたが、そうした中で1人1人が怒りをバネに闘っている姿に身が引き締まる思いでした。動労水戸の労働者は「この社会が見えてきた。こうした次期に労働組合は何をなすべきか。地域を元通りにしろ!職場を元通りにしろ!おまえらのせいではないか、元に戻せ!と闘うべきだ。そのために労働者は団結しよう!」と訴えました。

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 沖縄の基地労働者からも「自分が声をあげてこそ結集軸になることが出来る。現場の信頼をかち得て、絶対に闘いをつくろう!逃げない、腐らない、あきらめない!」と、不屈の決意がありました。集会の基調をおこなった青年労働者も「震災情勢による労働運動破壊と沖縄闘争破壊を絶対に許さない。戦争戦略、新基地建設強行を加速する日米政府に労働者の大反撃を開始しよう!」と熱烈にアピール。とても感動的な集会でした。(事務局 先崎)