栃木県下野(しもつけ)市で「育鵬社」の教科書は採択されませんでした。最終決定だった21日の下野市教育委員会で「育鵬社選定」はひっくり返ったのです!!具体的な「数」までは、まだ確認できていませんが、相当数の「採択するな!」のFAX、電話が全国から教育委員会あてに届けられたようです。その声が届きました。
画像

 15日に下野市の教科書選定委員会が「育鵬社」の歴史教科書を採択!の報を受けてから、私たちも全力で「教育委員会で採択するな!」の声をあげ、全国にも応援をお願いしてきました。他方、「つくる会」派も「10年前の『下都賀事件』のリベンジを」などと言って、教育委員会に対し「育鵬社を採択せよ」との要請を猛然と展開してきていて、激しい攻防になっていました。
 21日、朝10時から開かれた下野市の教育委員会は、当初打ち出されていた狭い会場から60人の傍聴席がある広い会場に変更され、ほぼ満杯となりました。最後の「採決」以外は公開で行われました。
 教育委員会の論議では、教科書選定委員会でのあまりにも不自然な「選定」のしかたが明らかとなりました。歴史教科書以外の教科については、順位はついていましたが複数社が候補として挙げられていました。ところが歴史教科書については、当初「育鵬社」は3番目の候補だったにも関わらず、最終の「選定」では「育鵬社」1社だけが取り上げられたというのです。
 また論議の中で、教育長が「教育基本法が改定(改悪だ!)され、愛国心教育が重視されることになったのだから育鵬社の採択を」と強調しました。これに対して、他の委員からは次々と疑問、意見が出されました。決定的だったのは「育鵬社版教科書は『自虐史観を克服することこそが他の教科書との決定違いだ』と堂々と言っている。選定委員会では育鵬社版を選定するにあたって、この『自虐史観の克服』という一番重要な課題についての審議はしたのか?」との問いでした。選定委員会の答えは「(『自虐史観』についての審議は)しませんでした」というものでした。
 そして、最終決定として、中学の歴史教科書については「東京書籍」となり、「育鵬社」は否決されたのです!これは、単に5人の教育委員が「良心派だった」ということにとどまりません。やはり、全国から数多く届けられた「採択するな!」の声、そして、当日の教育委員会にかけつけた数多くの人たちのたたかいが作り出した勝利であるということです。それは、実際の教育委員会での論議にも反映されていました。「育鵬社」のあまりの突出性について、「東日本大震災、そして原発の大事故という人々のこれまでの価値観が揺らいでいる中で、なぜわざわざこれだけ突出した教科書を選択しなければいけないのか」という論議でした。この内容は、まさに今回「採択するな!」の申し入れなどに書かれていた内容だということです。
 栃木県連絡会も前日の20日、教育委員会を訪問して「育鵬社」の歴史教科書を採択しないよう要請書を提出しました。対応した教育長に「育鵬社」版歴史教科書が、台湾・朝鮮への植民地支配を美化し、侵略戦争を「大東亜戦争」と記し、沖縄戦の「集団自決」が日本軍の強制であることを押し隠し、広島・長崎の原爆についても軽視し、詳細に取り上げないなどの問題点を指摘。さらに、「育鵬社」版はその公民教科書の中でも、改憲や愛国心を強調し、原発に至っては、「安全でクリーン」というデマを展開していることに対して、こんな教科書では、子供は納得しないし、子を持つ親も納得しない、教師も真実を教えられないと訴えました。

画像

 15日に大田原市では、反対の声を踏みにじって「育鵬社」版教科書の採択が強行されました。だから、下野市でひっくり返せたことはとても大きな勝利です。全国での闘いの勝利の第一歩を勝ち取りました。最大の攻防は杉並区であり、横浜市です。引き続きともに頑張りましょう! 全国で「つくる会」教科書の採択を阻止しましょう!(栃木県連絡会事務局)

●『下都賀事件』について
 下野市は、かつての「下都賀採択地区協議会」の一部です。この協議会は2001年に「新しい歴史教科書をつくる会」執筆の扶桑社版教科書を採択しました。しかし、県内から、また全国から抗議が集中し、その力で採択協議会に採択をやり直させ、結果扶桑社版ではなくなりひっくり返しました。大きな打撃を受けた「つくる会」ら右翼は『下都賀事件』などと呼んで、「下都賀でリベンジを」と言ってきたのです。