「5.15沖縄闘争」3日目の14日は辺野古の浜へ。そして名護市内デモに参加しました。

那覇から名護へは高速道路で。高速を降りてもずっと後ろについてくる米軍の車。こんなこと東京ではあり得ません。不気味でした。沖縄ならではの現実です。

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辺野古の海は静かでした。

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砂浜に咲く小さな花

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でも、この辺野古の浜に分厚いコンクリートが埋め込まれてしまいました。キャンプシュワブとの強いられた境界線です。

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16歳で沖縄に来て、辺野古の海上戦では抗議船の船長を担った富田晋さんが現状の報告をしてくれました。富田さんは、新基地建設阻止・基地撤去の闘いに本当に勝利するにはそれを闘う労働運動が再建されなければならないと考え、地元で働きながら地域合同労組を作り仲間を増やすため日々闘っています。辺野古のおばぁにその話をするとおばぁは「ああ、全軍労ねー」とすぐ理解してくれたそうです。おばぁたちは若い頃、みんな基地内で働いていたのでした。

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米軍基地に向け抗議のシュプレヒコール

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デモの集合地点である名護市役所です。沖縄らしい建物ですね。

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デモに出発です。

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デモのコールに合わせてコブシをあげるおじぃ。

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デモのコールに合わせて手をたたく人
高校生たちもデモに入ってきました。

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名護十字路です。

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前夜雨だったので、名護では雨の中のデモになるのではとみんなでカッパを買い込んできましたが、幸い晴天に。ただ晴れると陽射しがものすごく強く「沖縄だなぁ」と実感します。

3日間、米軍基地が居座る沖縄を体感しました。40年前の1972年5月15日、大雨の中、沖縄復帰記念式典が行われていた会場すぐとなりの与儀公園で、沖縄の労働者民衆がずぶ濡れになりながら基地付き核付き「復帰」弾劾!と怒りの叫びを挙げ続けていたという光景が舞い戻ってきます。このくやしさ、怒りの闘いを引き継ぎ、全国の労働者民衆の力を合わせて基地撤去、原発なくせと進みましょう。(Se)

デモ解散地にあった真っ赤な花が咲いた木。

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