7月7日、平和遺族会全国連絡会結成26周年記念のつどいに参加しました。1985年8月15日に当時の中曽根首相が閣僚と共に戦後初の靖国神社集団「公式」参拝を強行しました。その翌年の7月7日、日本の本格的な中国侵略戦争開始となった盧溝橋事件があった日に、平和遺族会全国連絡会が結成されたのです。
資料にあった結成宣言には「「二度とアジアの人々を敵視し、平然と何の罪もない民衆を殺すようなことをしてはならないと思います。私たちは、戦争の悲劇を味わったものとして、日本の政府が再び戦争の惨禍をもたらすことがないように最善の努力を払いたいと願います。」とありました。

この日は、西川重則さん(平和遺族会全国連絡会代表)が「日本国憲法の改憲をめざす自民党改憲その他の草案と憲法審査会に対して、アジアの視点に立って、私たちの課題を考える」という演題で、杉原泰雄さん(一橋大名誉教授・憲法)が「改めて立憲主義体制と日本国憲法の本質について考える」という演題で講演をおこないました。

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西川さんは、昨年11月からついに始動した衆参の憲法審査会の危険性を訴えました。2000年1月から5年間続いた衆参の「憲法調査会」をずっと傍聴してきた西川さんにとって、(国民投票法によって国会への設置が決められた)憲法審査会での審議の行方はすでにその「憲法調査会」で見てきているからなのです。

昨年の5月18日に参議院で憲法審査会の規程案が強行採決されたときのことを西川さんは5.18事件と言います。投票総数229、賛成218、反対11、民主党の採決棄権5、反対は共産党、社民党という結果でした。この比率は衆参憲法審査会それぞれの比率でもあり、毎回の審議(と言っても、各党が意見表明をし合うのみ)を重ねての結果がどうなるか、西川さんには読み取れるのです。
「あまりに遅すぎる」とその厳しい現状を見据えながらも、西川さんは「なお改憲(改悪)阻止を!」「あきらめずにしっかりやろう!」と檄を発しました。そして、そのためにも「アジアの視点に立って、憲法前文、第9条、第19条、第20条、その他の条文の徹底学習の緊急性」をと強調し、世論の変革を!国会包囲を!と訴えられました。

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杉原さんは日本の現状を、①連日の憲法不在の国会論議、②「歴史的な危機要因」の累積状況下における憲法不在の政治、③日本の経済・財政破綻と国民の生活破綻を押し進める反憲法的政治の進行と評し、「10年前の憲法軽視とは違い、憲法を無視する現実が進んでいる」と危機感を訴えました。
そして、戦後の日本国憲法の原理・原則の無視という形をとって、憲法の再度の転換が進行していると指摘し、日本国憲法の原理・原則は誤っているか?立憲主義とはなにか?なぜ憲法下?と話を進められました。

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近代以降においては一国の危機は、A.憲法の原理・原則的規定が誤っているか、B.憲法から離脱する政治が誤っているか、のいずれかであることが多い、日本の危機はBであると指摘され、良い内容の憲法であるのにこれを軽視する政治が強行されているときには、その政治をやめさせないと近い将来大変なツケがくる、と訴えました。
他にも、「税制は財産権のひとつ」という消費税批判の話や、憲法の鎖で政治家を縛らなければダメだという「権力乱用」についての話などなかなか深みのある講演でした。(Se)