再稼働阻止!未来のために立ち上がろう! 2年目の3.11を迎え、「絶対にフクシマを忘れない、風化させない、繰り返さない」と、3月11日に福島現地でコンサート・集会・デモが行われました。福島、そして全国から1350名が参加し、安倍政権の再稼働攻撃に抗する「命の祭り」が福島の地からわき上がりました。

福島県教育会館大ホール

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椎名千恵子さんと佐藤幸子さんの魂のかんしょ踊りを先頭に福島県庁に向かいデモ

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3.11早朝、私たちは上野駅から「青春18切符」(!)で福島に向かいました。乗り継ぎの各駅停車で片道5時間、電線にビニール袋が引っかかって電車が一時停止してしまうわ、予定の電車が強風で運休してしまうわで、ハラハラドキドキ。でも何とか集会には間に合いました(ホッ)。
電車でたまたま隣り合わせた郡山市在住の年配の女性は、地震で家の屋根瓦が崩れ落ちてしまっただけではなく「ゲートボール場も使えなくなった。この2年間、夏もずっとカーテンを閉めきっていた」と息苦しさを語っていました。一緒にいた福島市在住の娘さんは「前はマスクをしたりして気にしていたけど、今は周りも自分もそうもしていられなくなっている。生活があるし…」と。そして、河原の除染作業を見て「山を除染できないのに…、1度低くなってもまた戻ってしまうんですよね」と静かな口調でしたが激しい思いが伝わりました。
福島駅手前で電車から見た河原での除染の様子です。

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福島駅からはタクシーで会場へ直行です。このタクシーの運転手さんは、「この先の河の水も放射能が高いだろうけど、その底地はものすごく高いですよ。でも誰も計ろうとしない。自分は前から一軒に1つずつ放射線測定器を配布しろと行政に言っている。一軒一軒であちこち計って、ここはこんなにあるぞ!と言って行かなきゃダメなんだ」と怒りを露わにしていました。本当にその通りです。

会場に着いたときはすでにコンサートも始まっていて、ホールはもういっぱいで、外に人があふれていました。
人、人、人がごった返す中で、毎月1回街頭で集めた「ふくしま共同診療所へのカンパ」を佐藤幸子さん(福島診療所建設委員会呼びかけ人)に託しました。11万5000円です。

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集会が始まり、主催者あいさつで椎名千恵子さんは、「2年目の3.11に、福島のこの地で、再稼働阻止!未来のために立ち上がろう!とこれだけの人々が声をあげたことは、とっても大きな意味を持っている。8.6ヒロシマ、8.9ナガサキ、5.15オキナワ、そしてここに、3.11フクシマを決してはずしてはならない。」と訴えました。

青森県で大間原発反対をたたかう小笠原厚子さんもかけつけてアピール。「私の母は亡くなるまで30年間大間原発建設反対をたたかいました。大間原発の敷地内には157人の地権者がいましたが、母だけが買収に応じませんでした。その結果、工事設計をやり直せざるをえなくなり、平成22年稼働予定が24年稼働予定となり、23年に福島事故が起きて、止まっています。母は『安全です、事故は起きません』と言う会社の人に、『1度起きたら、もう2度と元に戻らないんだ。生活も子どもも、畑も海も。』と向かっていきました。」と語りました。そして、「絶対原発をなくすという思いで、一緒に歩んでいきましょう」と呼びかけました。小笠原さんとお母さんの生き様に感銘しました。
広島からも反戦被爆者の会の下田禮子さんが参加されアピール。デモでも先頭で歩かれていました。また、たたかう農民も登壇しアピール。千葉の三里塚農民・市東孝雄さんの姿もありました。

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福島からは、浪江町の「希望の牧場」を運営している吉沢正巳さん、動労水戸の労働者、国労郡山工場支部の橋本光一さん、そして、若い学生たち、最後にふくしま共同診療所の医師と佐藤幸子さんからのアピールがありました。
いずれの発言にも胸が打たれました。

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最後に、「原発いらない 命が大事」の歌をみんなで歌い、「来年の3.11もまた会いましょう」と確認しました。

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集会のあと、福島市内デモへ出発です。

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デモは福島駅前まで。駅前でも最後のデモ隊が到着するまで、かんしょ踊りが続きました。
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みんなの熱い思いで実現された3.11福島行動、3.11フクシマが闘いの日として歴史に刻まれました。(OS)