2014年9月11日。2011年9月11日に経産省前テントが建てられて3年が経ち、この日「テントひろば」は4年目に入った。いま、国・経産省から、「テントが建っているところは経産省・国の敷地だから、テントを撤去せよ、損害賠償を支払え」と裁判に訴えられているが、テントひろばは健在である。

この3年間、テントひろばに集う多くの人たちは反原発の砦としてテントを守ってきた。毎週の首相官邸前・金曜行動の時は、“さあ行くぞ”、“来週も頑張ろうね”を確認する場として、情報の発信源として、福島と結ぶ場として。また、夜は泊まり込み、昼は座り込み、日夜テントを守ってここまで来た。

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9月11日は、3周年を記念して、また、再稼働阻止の大行動として、経産省を包囲行動が闘われた。心配された雨も降らず、約800人の人が集まり、20時の経産省を包囲する怒りヒューマンチェーンも成功させた。

テントとしてはこれから、9.27~28の川内原発再稼働阻止現地闘争への結集、10.14脱原発テント裁判第8回口頭弁論に向かう。皆さん、ご参集あれ。(T)


■9.11行動は下記の通り行われた。
16時~17時     経産省本館前及び別館前アピール行動、経産省申し入れ行動
17時~18時     記者会見(テントひろば)
18時~19時30分  経産省前集会
19時30分~20時  経産省包囲 怒りのヒューマンチェーン

●経産省前でつぎつぎと抗議の発言

16時前にはテントひろばに参加者が集まりだし、16時から経産省前で抗議行動が始まった。

★まず淵上さん(テントの代表格)が力強く発言した。

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「私たちはなぜここで頑張っているか」と言って、テントを建てて今日に至るまでのことを話した。そして、「3年たつのに福島の困難はなにひとつ解決されていない。8月24日に公表された福島県民健康調査・検討委員会の<甲状腺検査評価>では、甲状腺癌とその疑いのある子どもが104名にもなった。

福島はありとあらゆる困難に直面し、むしろより深刻になっているのに、なんの解決もされないままに、政府・原子力規制庁は9月10日に新基準に基づいて川内原発の再稼働を合格させた。こんなこと許されない。原発をやめると言えば、私たちはすぐにもここから立ち退く、そうしないならテントで闘い続ける。」

★亀屋さん(双葉町から東京への避難者)も怒りの発言。

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「原発事故の帰還困難地域に放射性物質の中間貯蔵施設をつくることを県は受け入れましたが、私たち地権者にはなんの話もないままだった。私は売らないと言ったら、30年間貸してくださいと。30年経ったら土地を更地にしてお返ししますと言う。

私が、中間ではなく最終でしょ。中間と言うなら、その後どこにもって行くんですかと聞いたら、まだ決まってませんとのこと。30年後に私は死んでいます。あんたたちだって役所にいないでしょ。答えてください。私はふるさとに帰りたい。帰れないけど帰りたい。その気持ちわかりますか!」

★浪江町から『希望の牧場』の吉沢さんも駆けつけ訴えた。

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「浪江町はもっともひどくやられた地域で除染なんかしたって二度と帰れない。子どもたちは絶対に帰ってこれない。そういう町です。除染作業はむなしい。限りがみえる。そんな子としたって元の町には戻らないだろう。大勢の避難者は仮設で過酷な扱いを受けている。まともな賠償も受けられない。帰るところもない。年寄りはどんどん仮設で命を落としていくだろう。棄民です。

私たち10軒の農家は650頭の牛たちを守りながらがんばっている。生き残った牛たちを殺処分するな。この牛たちは福島原発事故の生きた証人として放射能の影響をどうあらわれるかを見事に証明します。6月20日、農水省に黒毛和牛の全身に見たこともない白い斑点があらわれた牛一頭を連れてきて、大騒ぎになった。その因果関係を認めようとしない。

原発の時代を乗り越える壮大な連帯運動を、深い連帯闘争こそ今こそ必要なんだと僕は思います。町はもう元に戻らない。でも僕はいまそこに住んでいる。被爆している。でもこの場所から問い続け、闘い続けていきます。」

●テント前での記者会見

記者会見には、鎌田慧さん、落合恵子さん、山崎久隆さんら、また、福島から武藤類子さん、黒田節子さんらも参加した。

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                    (撮影むきんぼ)

●記者会見の後、再び経産省まで抗議行動

制服向上委員会のメンバーも歌を披露

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●その後、経産省を取り囲むヒューマンチェーンを2回おこなった。

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                     (撮影むきんぽ)